「……ウィル、本当にセンセに相談しないで行くつもり?」
「はい。それに…もう出港の時間ですから。先生には貴方から伝えておいて下さい」
時間がないんです、と、一通の手紙をスカーレルに渡す。
迷いの無い言葉に、何を言っても無駄だろうとスカーレルは小さく溜め息を吐く。
それは困惑ではなく、諦めにも似た呆れの表れ。見限ったのではなく、強固な意志に折れざるを得ない、
そんな気持ちの表現だ。
「一ヶ月で戻ってきます。だから…」
待ってて下さいと…、そう言おうとしてウィルは躊躇する。
元々アティとの間に約束など存在しないのだ。一方的に自分が言い出した事であって、
彼女は『貴方が決めた事なら』と、ただ、そう答えただけ。未来を誓う言葉を交わした訳ではない。
「先生を…お願いします」
そう告げると、ウィルはワイスタァン行きの船にシンテツと共に乗船した…一度も振り返ることなく。
すれ違い
「はい、これ。ウィルから預かってきたわよ」
スカーレルを迎えた仲間の心中は複雑だった。
当然ウィルと二人で戻ってくると思っていた彼らの前に現れたのは、迎えに行った時と同じ、スカーレルの姿だけで。
見渡せどもその帰りを待ちわびた人物の姿はなかった。
「ちょっと、それどういう事?!」
開口一番、喧々轟々と怒りだすソノラの言動は既に予想済みなのか、はたまた慣れなのか。
スカーレルはさして慌てもせず、ばっさりと切り返す。
「どうもこうも…本人が『そうする』って言ってるんだからしょうがないでしょ。大体、アンタ、あの頑固者に
口で勝つ自信あるの?」
「う…」
それに今、文句を言うのだとしたら一番その権利がある人物がいる。その人間を差し置いて
でしゃばる必要はない、とスカーレルは暗に匂わす。
もともと、少し沖にカイル達一家の船を待機させ、スカーレルが小型ボートでウィルを迎えに行き、
彼を連れて戻ってくる手はずだった。アティが乗船している事は伏せられており、彼を驚かせようという
目論みもあったのだが、結果的にはそれが裏目に出たといえる。
アティはスカーレルから受け取った手紙を開封し、それに目を通す。
「……どう、して……」
持つ手が震え、紙のカサカサと擦れあう音が静まり返った船内に響く。
手紙には短く、いつもより少し焦ったような走り書きで、それでも綺麗な字でこう書かれていた。
『キルスレスを復元しに、ワイスタァンという街へ行ってきます。
ウィゼルさんと同じ、鍛冶師の人が一緒です。
なるべく早く戻りますから心配しないで下さい。 ウィル』
どうして一人でそこへ向かったのかなど、聞かなくても分かる。
理由が書いていないのは、自分を困らせないため。
嘘がつけない、真っ直ぐな彼の優しさ。
でも、その優しさに甘えすぎていたのだろう。彼を、ウィルを、こうして追い詰めてしまったのだから。
気持ちが整理されるまで、と曖昧な返事をした自分を待ち続けて。
同じ位置に立って、自分を支えようとした彼が選んだ結論は。
「……ウィルは剣を作り直して、そして"抜剣者"になるつもりなんですね……」
皆、アティの言葉に目を見開き驚きを露にする中、スカーレルだけはその表情を崩さなかった。
「坊やはまだセンセとの"差"を気にしてるんでしょうよ……馬鹿なコね…」
実際、ウィルが気にするほど能力の差が現れているとも思えない、比較しようが無いのだ。むしろ、実力でいえば彼の方が今や上であろう。
確かにアティの能力は突出しているが、それは島内での話であって、己の力だけで無色と対等に戦ってきた
ウィルが成長した今、総合的に判断すれば彼に分がある。
が、彼が気にしている差はそれだけでは無い。
いや、それこそが彼の中の最大の差―――――
「…差なんて…もうずっと昔に無くなってしまったのに……」
アティが持つ感情。
その想いは、特別な恋愛感情を排除していたあの頃と違い、差など存在しなかった。
なのに、その想いは伝わらず、彼は一人、行ってしまう。
ウィルが自分を避け始めた事に気付いてそのままにしたのは、彼への返事が用意出来ていなかったから。
そう言い訳をして自分に嘘をつく。
もし今彼が自分を好きではなかったら?
気持ちはうつろうものだから、ずっと同じだなんて言いきれない。
本当は誰より傍にいて欲しかったのに、失うのが怖くて臆病な自分を正当化した。
自分を誤魔化し、不安を覆い隠して。
「っ、た!」
俯くアティの額がパチリと打たれた。
「言葉は伝えるためにあるって、センセがそう言ったんでしょ。それを教えてやった生徒に嘘をつく気?」
腐っても教師なんだから、しゃきっとしなさい。
渇を入れるようにスカーレルは言い切る。それはどこか妹を叱る兄姉のような響き。
彼女には持つことが叶わなかった、家族のような温かさを秘めた優しさ。
俗に言う"でこピン"をされ、アティは赤くなった額を押さえた。
「そうですね。私らしくないです、自分で言った責任は自分で取らないと」
あの子に笑われてしまいます、そう告げたアティは少しだけ遠い目をしていて。
"あの子"が誰を指すのか皆あえて口にしないのは、遠い日に失われた悲しい命を思い出していたから。
己の死を望むが故、本来の自分を棄て、悪に徹しようとした少年の事を。
アティは顔を上げ、そうしていつものように微笑んだ。
強い意志を輝かせた瞳で。
「……皆さん……私の我侭をきいてもらえますか…?」
一方通行だった想いが、今、交差しようとしていた。
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