(―――― 一度でいい)


(本当は一度で良かった)




(貴方がその微笑を私に向けてくれるのなら―――――――)










白い雪 〜はかない小鳥〜
   for SUMMON NIGHT2    






1


「・・・っっ!もう、やめてって言ってるでしょ、その呼び方!」
「これはまた随分と御機嫌斜めのご様子で・・・ご主人様」
「〜〜〜〜っっ!!」

にっこりと優雅に微笑むその人の名は、機界の伝承者の異名を持ち、融機人でありまた兄弟子であるネスティ・バスク。そんな彼に対し羞恥に怒りを震わせる少女の名は、調律者の末裔、トリス・クレスメントであった。
トリスが怒りを覚えるのも無理は無い。
今まで兄弟子として、また家族のように接していた彼が、突如自分の"護衛獣"になると宣言し。
自分の行動にいちいち文句をつけていた彼が、今度は命令する立場になれ、と言う。
人を馬鹿にするにも程がある、と、トリスは思った。
まるで自分をからかって楽しんでいるだけの様に思える発言に真意を問うが、彼はひとこと「僕には適役かと思われますが?」と言い放つ。
丁寧かつ敬服するような物言いの一言一言に、含みがあるというか、裏があるというか。
そんな状況を素直に受け入れられる程トリスは人間が出来ていなかったし、ハイそうですか、と、大人しく納得するような人間でもなかった。例えネスティの言うことが理にかなっているとしても、反抗せずにはいられないのだ。
等の本人以外は"無駄な努力"と呆れているのだが、トリスは「絶対に誓約なんかしてやんない」と、半ば意地になり、その話題が会話に上るたび、耳を塞いだり何処かへ隠れたりしていた。
ネスティにとってトリスの護衛獣になるという事は、彼女に近付く輩を無遠慮に排除出来る格好の理由となる。故に、トリスが何と言おうとその役を遂行しようと思ったし、彼女を言い負かし丸め込む自信はあった。
尤も、彼女に嫌われてはいない、という自信があるというのも一つの理由だが。

そんな訳で、サイジェントから戻ってから毎日、飽きもせずこの不毛な言い争いが続いていた。

「大体、恥ずかしくないワケ!?」
「何を?」
「何、って・・・ネス、将来有望の優等生だったじゃない。なのにこんな劣等生のあたしが主になるんだよ?!」
「自覚しているならもっとしっかり勉強すればいい。幸い時間はたっぷりとある・・・"再教育"すると言ったろう?・・・・・・ご主人様?」
だから何で語尾にそれをつけるのよ!と、トリスは喉まで出かかるが、あえてグッと飲み込んだ。

・・・完全にからかわれている。

返す言葉も浮かばず、ただジロリとネスティを睨みつけるしかないトリス。
彼はといえば、そんなトリスの視線に臆することも無く、これをやっておけ、と、一冊の課題を渡す。
「なに、コレ・・・」
「僕が戻るまでやっておくんだ」
「ええっ!?・・・って、ネスは何処行くのよ!」
「・・・ご主人様に労いの品を買いに行って来る。・・・言ってたろう?新作のケーキがどうとか」
「えっ!ホント?!」
パッフェルさんとこのケーキ?と、瞳を輝かす妹弟子に苦笑しながら、ネスティは部屋を後にする。
一人残されたトリスは、飴と鞭を知り尽くしている兄弟子に文句を言いながらも、律儀に問題に手をつけていった。


だが。



その日、トリスの元へ彼が帰ってくる事は無かった―――――――――








2


「何だって?ネスティが行方不明!?」
テーブルから身を乗り出すように、金色の髪をポニーテールに結った女性が叫んだ。
「ちょ、ちょっと、声が大きいって!モーリン」
「おっと、すまないね、ミニス」
「全くもう・・・」
モーリンの声に一瞬店内が静まり返るが、すぐにまた元の喧騒を取り戻す。彼女らに注がれた視線もすぐに他へ向けられた。
ここは港町ファナンのとある喫茶店。
あの旅の後――――――――
皆それぞれの生活に戻り、以前と変わらぬ生活をしている者もいれば、新たな目的の元、旅立った者もいる。
あの旅でその名を世間に知らしめたモーリン。門下生のいなかった道場も、入門者が殺到し、今ではその面影すらない。また、彼女自身も師範として忙しい毎日を送っていた。
モーリンは咳払いを一つして席を正すと、今度は落ち着いた口調で目の前にいる金髪の少女、ミニス・マーンに問いかける。
「トリスならともかく、あのネスティが行方不明になんてどういう事だい?」
「それはあたしも思うけど――――――」
今、この場にトリスがいたら、それってどういう意味よ、と反論するのであろうが、生憎ここにはモーリンとミニスの2人だけだ。当然の事のように中断無く、会話は続く。
「買い物に出かける、って、それっきりだって。ゼラム周辺はかなり探したみたいだけど・・・で、この辺を統轄してる金の派閥(うち)にこっそりと要請が来たのよ」
「で・・・手がかりは無いのかい?」
モーリンの言葉に、ミニスは顔を曇らせた。言わずもがな、というやつだ。
俯くミニスにモーリンは空を仰ぎ、ふう、と溜息を吐く。
「・・トリス、全然ご飯食べてないみたいなの・・・・一日中ネスティの部屋で、彼が戻るのをずっと待ってるの・・・あんなトリス見るの、辛くて・・・・・」
仲間と居る時のトリスには考えられない事だが、本当の彼女はそれ程強くない。彼女がああまで明るく、アクティブにいられたのは兄弟子の存在あってこそ、なのだ。今になって仲間達はその事実を痛感する。
主のいない部屋で一人、じっと待ち続けるトリスの姿。ミニスはそれを思い出し、胸の辺りがギュっと締め付けられる。涙声になっていくミニスに、モーリンは彼女の頭にポン、と優しく手を乗せた。
「・・・大丈夫だって。あのネスティがトリスを残していなくなったりする筈ないだろ?」
「・・・うん・・・」
モーリンの励ましに、やっと顔を上げたミニス。だが、その後とんでもない事実を聞かされる。
「だけど分からないもんだねぇ・・・この前見た時は元気そうにしてたのに・・・」
「モーリン、トリス達に会ったの?」
「ああ、一週間位前にパッフェルの店の前でね」
事も無げに言うモーリンにミニスは叫ぶ。
「ちょっと、どういう事!?」
ミニスの勢いに流石のモーリンもたじろいだ。
「仕方ないだろ、一瞬だったし・・・あんたを呼ぶ暇なんて・・・」
「そうじゃなくて!モーリン、今、一週間前って・・」
「え?ああ、トリスは見なかったけど、ネスティには会ったよ。あたいには気付かなかったみたいだし、あたいも声をかけなかったから」
ミニスはガタン、と音をたてて勢いよく立ち上がる。
「・・・変だよ、モーリン・・・」
「ミニス?」
「だって、ネスティが行方不明になったの、二週間前なんだよ!?」
2人の顔がにわかに青ざめる。
何かが始まろうとしている――――――そんな不穏な空気が辺りを包んでいた。








3


ネスティが突然いなくなり、二週間が過ぎようとしていた。
トリスはその間ずっと、ネスティの部屋で彼の帰りを待ち続けた。誰かに何を言われてもそれは彼女の耳には届かず、トリスは長い、狂いそうなほどの時間を、主不在のこの部屋で過ごしていた。ただ待つ、というのは気の遠くなるような苦痛を与える。と同時に、今まで自分が彼にこのような心配と不安を与えていた事に改めて気付く。
ごめんなさい、もう、しないから、お願いだから早く戻ってきて、いつものように叱って、と、トリスは何度も心の中で呟くが、彼女の欲しい答えをくれる人は一向に現れない。

心が押しつぶされそうだった。
こんなにも自分は弱い人間だったのだろうか。
ネスティと少し離れたというだけで、ひどく駄目になってしまう。
情けない。
こんなにも彼に依存していた自分に、今頃になって気付いてしまった。

「ネス・・・」
膝を抱え、ベッドの上に蹲る。
が、自分以外の誰かの気配に気付き、ふと、顔を上げる。
「ライ、ザー・・・・?」
無意識に召喚してしまったのだろうか。静かな機械音を鳴らした召喚獣は、トリスの横にふわふわと浮かんでいた。まるで彼女を心配するかのように、また、見守るかのように。
ライザーがトリスの隣にスッと着地する。だが、トリスがライザーに触れようと手を伸ばした瞬間、けたたましく扉が開かれた。
「トリスっ!一緒に来て!!ネスティがっ、ネスティが・・・!!」
「ミニス・・・?」
突然の訪問者に呆気にとられるトリスの腕を引っ張り、ミニスは有無を言わさぬ勢いでシルヴァーナに乗り、飛び立った。
トリスが自分の置かれた状況に気付いたのは、ケーキ屋の中にある喫茶店へ通された時だった。見覚えのあるそこは、ファナンに在中の際、よくアルバイトに来ていた店。パッフェルに無理矢理手伝わされていたのだが、今となってはそれもまたいい思い出だ。
突然引っ張り出したかと思えば、と、トリスはミニスに呆れる。自分には、今、こんな所で悠長にお茶を飲んでいる余裕など無いのだ。
「ミニス、悪いんだけど」
しかし、立ち上がろうとするトリスの腕を、グイ、と掴んでミニスは言う。
「・・・ネスティかもしれないの・・・」
「  え・・・? 」
「ここに・・・もしかしたら別人かもしれないけど、トリスに確かめてもらおうかと思って・・・」
トリスには訳が分からなかった。
ミニスだってネスティの事は良く知っている。なのに何故今更「ネスティかも知れない」などと言うのか。会っているのだとしたら本人に直接確かめればいいだけの事。しかし、それが出来ないという事は――――――
「!!トリス、あっち!」
「――――――?」
ゆっくり振り返るトリス。ミニスの指し示す方向を、その瞳が映し出す。しかし、トリスは「ネス」と呼ぼうとしたその声をそのまま飲み込んだ。
ケーキが陳列されたガラスケースを指し、店員に注文する青年。
深い藍色の髪と瞳。
神経質そうな眼鏡。
スラリとした長身に黒尽くめの服とマント。
身に纏うものだけが彼女の知るネスティと唯一異なる点だった。
「トリス、ネスティ行っちゃうよ!?」
躊躇するトリスにミニスは痺れを切らし、一人、ネスティの元に駆け寄った。
用を済ませ去ろうとするネスティの背に、待って、と腕を引っつかみ引き止めるミニス。
「ねぇ、あなたネスティなんでしょ?何でトリスの所に戻らないでこんな所にいるのよ?!」
ミニスの言葉にネスティは全く反応を見せなかった。それどころか彼女の腕を乱暴に払い、掴まれていた衣服の乱れを正す。
「一体君は誰だ?・・・確かに僕はネスティだ。だが、僕は君など知らない。人違いだろう」
氷のような冷たい瞳で言い放つ。感情のこもっていない声。
呆然とするミニスの代わりに、今度はトリスが問いかけた。
「・・・ネス、なんでしょ?あたしの事も忘れちゃったの・・・?」
しかしトリスに向けられた視線は、ミニスへのそれと全く変わらない、他者を排除しようとする瞳だった。

「ネスティ?どうしたの?」

彼の背後から聞こえる少女の声。
ネスティはその声にゆっくりと振り返る。いつもはトリスだけに向けられていた微笑で。
「いえ、何でもありませんよ。・・どうやらそこのご婦人方が僕を誰かと勘違いされているようで」
「・・・ふぅーん・・・ま、いいや。それより買えた?」
「はい、マスターのご所望通りに」
「そ。じゃ、もう用事も済んだし帰ろうよ」
ネスティが"マスター"と呼んだ先には、ミニスより少し年上の13、4の少女が立っていた。
亜麻色の髪にまだ幼さの残るそばかすだらけの顔。ネスティに向けられる少女の瞳は柔らかな色を放っており、トリスにはすぐにそれが"恋心"であると分かった。なぜなら―――自分も同じだから。
2人が出て行くのを見送ったところで、トリスはやっと我に返り、慌てて自分も店を出る。
「ちょっと待って!」
少女とネスティが振り返る。
ネスティの表情は全く変わらなかったが、一緒にいる少女は明らかに敵意むき出しの視線をトリスにぶつけてきた。
「・・・貴方、ちょっとしつこいんじゃない?彼、知らないって言ってるでしょ?」
「ネス・・・ホントに忘れちゃったの、あたしの事・・・ネスティ・バスクっていう名前は覚えているのに?」
トリスは少女の言葉に構わずネスティに問いかける。正確言えば無視したのではなく、少女の声など、今のトリスの耳に届かないだけなのだが。
「――――僕はネスティ・ライルだ。バスクなどという名は知らない」
「え・・・?」
トリスの疑問に答えたのはネスティではなく少女だった。
「バスク、なんてちゃっちい家名、知るはずないでしょ。この人はね、ネスティ・ライル。融機人の末裔で、あたしの"護衛獣"よ」
全身の毛が逆立つかのような感覚。トリスはその言葉が間違いである事を祈るようにネスティを見る。
しかし彼は少女の前に跪き、頭を垂れ、そして彼女が差し出した手の甲にそっと口付けた。

「はい、マスター」

少女はネスティからトリスへと視線を移し、ウフフ、と嘲笑する。
衝撃、だなんて生易しい物ではない。
ネスティは彼女を"主"と呼んだのだ。
「アンタなんて知らないってさ」
追い討ちをかける少女の言葉に、トリスはガクリと膝を折った。ショックで言葉を失ったかのように黙り込むトリス。そんなトリスを心配して追ってきたミニスが腹ただしげに叫んだ。
「あんたネスティに何をしたのよ!その人は・・・ネスティはトリスの恋人なんだからっ!元に戻しなさいよっっ!!」
「―――――恋人?」
それまで無邪気に笑っていた少女がミニスの一言にガラリと表情を変える。
憎悪の眼差しを向け右手を水平に伸ばした。
言った当人ではなく、トリスへ向けて。
「・・・彼はあたしのモノよ。誰にも・・・渡さない」
少女の口元が微かに動き、何かを呟き始める。それが召喚術の詠唱だとミニスが気付いた時には遅く、術は既に発動していた。
「ヘキサボルテージ!」
少女が放ったのはAランクの攻撃呪文だ。
しかし効果が中範囲のため周囲への被害は免れなかった。
ミニスはトリスを庇うように抱き締め、目を固く閉じる。
誰か助けて、と心の中で強く念じながら。

「―――半魔の水晶!!」
「―――アストラルバリア!!」

聞き覚えのある、懐かしい少女と少年の声が響く。
恐る恐る目を開けたミニスの視界に入ったのは、見覚えのある後姿が二つ、自分達を守る壁のように立ち塞がっていた。ミニスは嬉しさに叫ぶ。
「・・・っ、ナツミ!ソル!」
「やっほ、ミニス。何とか間に合ったみたいね」
ミニスの方に振り返りウインクする少女。少年の方は前方を睨んだまま凝視していたが、やがてチッ、と舌打ちをして緊張を解く。
少女の名はナツミ。本人に全くその気がなくても、誓約者(リンカー)と呼ばれるエルゴの王である。少年の方は、その誓約者を異世界から召喚した張本人であり、名をソルと言った。
難しい顔をするソルを心配気に見つめたナツミに、彼は二、三度首を横に振る。
「駄目だ。逃げられた」
「そっか・・・ん〜、まぁ仕方ないよ。この子達が無事なだけでも良しとしなくちゃ」
風が吹き、白煙が綺麗に消し飛ぶと、次第に周囲がはっきりしだす。
少女の放った召喚術はナツミが周囲に結界のように張った召喚術により弾かれ、一切の被害も受けずに済んだようだ。先頭にいた2人も同様に、ソルの召喚術で守られ無傷である。
それも誓約者と護界召喚師の力あってこそ、の芸当だが。
「2人共ありがとう!でも・・・何でここに?」
ミニスの問いにソルの表情が曇る。
「場所変えよっか、ミニス。・・・トリスの事も心配だし」
「あ、うん・・・」
動かないトリスをナツミとミニスが両脇から抱え、3人はシルヴァーナでモーリンの家へと向かった。