「全くテメエは肝心なところで抜けてっからこーゆー目に遭うんだよ!」
「悪い悪い。つい人の流れに乗ってしまってな」
2メートルは超すであろう大男に罵声を上げられても、怯むどころか全く動じず、 能天気な笑顔さえ向けてそう答えるシンテツ。 その悪びれもしない態度に、それ以上の反論を塞がれた大男は苦虫を噛むような 表情を浮かべた。
赤く、長い髪に軽装の甲冑を纏ったこの大男。
名をラショウと言い、見たままで言えばその特徴的とも言える額の角から、 シルターン出身の鬼の一族であることがわかる。
見事なまでに鍛えられた筋肉はそれ自体がまるで鋼の武器のようで、 ウィルはアズリアの腹心の部下であったギャレオを思い出す。
「で? 一緒に連れてきたコイツは何なんだ?」
また厄介事か、とばかりにうんざりした様子のラショウに、日常茶飯事のことなのだと瞬時に理解し苦笑するウィル。 どこにでもお人好しというのはいるらしい。
しかしシンテツは彼のそんな態度も気に留めず言い放った。
太陽のような笑顔で。

「仕事の依頼だ。"黒鉄の鍛聖" としての腕試しとも言える、な」



不安



ワイスタァンの第一印象は噂通りだった。
街を包む潮風の匂いと、空にはタタラ――製鉄炉から立ち昇る白い煙。 商人や若い鍛冶師見習いで活気に満ち溢れたその街は、噂に違わぬ賑やかさだ。
「お帰りなさい、シンテツ様」
「あら、シンテツ様! 戻られたんですか?」
そんな中案内されるがまま後に続いたウィルは、道行く人々に次々声をかけられるシンテツを目にし、 彼がここの住人にとってどれだけ重要な人物であるかようやく認識できたような気がした。
まあそれも無理はない。
有り金を全て護衛獣に渡し、自分は空腹で倒れかけていたのだ。 そんな姿を目にしたウィルに、シンテツの"黒鉄の鍛聖"としての威厳もカリスマ性も見えはしないだろう。
「ここが俺の家だ」
「えっ」
考え事をしていたせいか、気付かぬうちに彼の家の前まで来ており、 見上げたそこにはいたって普通と変わらない住宅があった。
「おーい、今戻ったぞ」
ドアを押しやると、内ノブにつけられていたらしい装飾品が涼しげな音色を奏で、主を迎え入れる。 音色の向こうから聞こえるのは「はいはい♪」とどこかワンテンポずれたような返事と、 近付いてくる早足の靴の音。
彼らの前に現れたのは、栗色の柔らかそうな長い髪に、慈愛に満ちた微笑を浮かべた女性であった。
「ただいま、アマリエ」
「お帰りなさいシンテツさん、ラショウさん。意外に早かったのね……あら? そちらはどなた?」
ウィルは真っ直ぐな視線を向けられはっと我に返る。
決して彼女に見とれていた訳ではない。 いや、見ていたのだが正確には顔以外のある部分を凝視してしまっていた。
「こいつはウィル。ちと訳有りで剣を鍛える事になった。んで、こっちは俺の妻のアマリエ……と、俺たちの子供」
そう言って、シンテツは彼女の大きなお腹を撫でさする。
臨月を控えた彼女の腹部はかなり大きく張っていて、どうしてもそこに目がいってしまう。 その視線に気付いたアマリエだが、特に不快な表情も見せず、ウィルに向かって柔らかに微笑んだ。
「あ、あのっ、ウィ、ウィル・マルティーニです! よ、宜しくお願いします…っ」
真っ赤になって俯いたウィルは、それだけ言うのが精一杯で。
そんな彼にシンテツとアマリエ、そしてラショウまでもが笑いを堪える事が出来なかったのは言うまでもないだろう。
そんな和やかな空気が流れる中、不意にシンテツはその表情の色を変える。
「つもる話は中で…と言いたいが、そいつは後回しにして剣に取り掛かった方が良さそうだ」
「そんな、シンテツさんだって疲れてるじゃないですか、僕は明日でも…」
気を使わせているのだろうと、ウィルはその申し出を断ろうとしたが、シンテツの瞳は先程の穏やかな色とは全く違う、 炎のような鋭い輝きを見せた。
「…上手く言えないが、やけに静か過ぎる。鍛冶師としての"勘"ってヤツか……とにかく早いとこタタラへ行こう」
風の匂い、空気の色。
何を根拠としているのかは不明だが、その焦りと緊張、張り詰めた空気は伝わってくる。
ウィルとラショウはシンテツの言う通り、鍛冶場のある銀の匠合へと急いだ。

銀の匠合には見習い達の使用する大きな鍛冶部屋の他に、製鉄炉付きの部屋が いくつもある。見習いから鍛冶師へと成長した暁に、頭領から個人使用を許され、与えられる部屋。
鍛聖となったシンテツは中央工城に専用の鍛冶場を持っているが、部外者のウィルを連れては入室できない。そのため こちらを使う事にした彼らだが、シンテツの感じた"何か"はそこで形となって現れた。
「…っ…! 駄目だ、やはり炎が足りない…!」
剣を打つハンマーの手が止まる。
深夜にまで及ぶ作業に疲れた様子など微塵にも見せなかったシンテツだが、その時初めて深い倦怠の息を吐く。
シンテツの手によって元の姿を取り戻したキルスレス。
しかし、その刃の色は鈍く、禍々しさすら感じられない 普通の剣となっていた。
かつての剣の姿を知る者が見ればその差は歴然としていて、鍛冶の何たるかを知らないウィルでさえ 何かが違うのだと瞬時に察する。
「このままじゃコイツは元の姿に戻る事も、生まれ変わる事も出来ない……なぁ、ウィル。 お前さん、何を迷っているんだ?」
シンテツはウィルを正面から見据える。
「僕は、何も……」
その真っ直ぐな瞳に全てを見透かされそうで、ウィルは視線を逸らす。
「鍛冶師をなめるな。そんな不安を抱えたまま剣が出来るか。この色を見ろ」
剣という形を成しただけのキルスレスを突きつける。
「これはお前の心を映した、迷いの色だ」
鈍く光るその色はウィルの姿も映さない。
ウィスタリアスの輝きは、その持ち主であるアティの心の輝き。
その澄んだ刃は彼女の心の色。
近付く事だけを考えて、大切な何かを見失っていた。
守りたかったのは彼女の隣にある自分の位置ではない。彼女の笑顔。
砕けたシャルトスを、自身の心を復活させた彼女の強さが自分にあるのか。
この7年で、自分は抜剣者となり得る程の力を持てたのか。
そればかりが頭にあった。だが。
「……自分を信じられない人間が、自分の分身とも呼べる剣を創り出せる訳がない…僕は 二人との差ばかり考えて悩んでいました。でも」
魔剣を浄化し、新たな剣へ創り変えなければウィスタリアスもいつかその力を失ってしまうだろう。
だが、ただ剣を創り変える事は出来ない。
作り手の心を宿し、使い手の心を映す剣。
剣を持つことが戦いなら、剣を創りあげることもまた、自身の心との戦いなのかもしれない。 自分の心、想いを迷わず叩き込むのだから。
「僕は僕でしかない。だから、僕は僕自身の剣を創る」
迷いを吹っ切ったウィルの瞳には、幼かったあの頃の、ただ純粋に守るための強さを求めた光が戻っていた。
「……いい目だ。これで俺も存分にハンマーを揮えるな」
気合を入れなおしたシンテツが作業に戻ろうとしたその時。
「っ、おい、シンテツ! 大変だ、は、早く…っ!!」
転がるように部屋へ飛び込んできたのは、ラショウには及ばないが筋肉質の若い男。 どことなくむさ苦しさを感じさせるその男は、他には目もくれず、一直線にシンテツの元へと向かった。
「なんだ、ブロンか。どうしたんだ? そんなに慌てて」
「どうもこうもあるか! つべこべ言わずさっさと来いっ!!」
訳も分からず、腕を捉まれ、階下へと引きずられるシンテツを、ウィルとラショウは慌てて追う。 連れて行かれた先で待っていたのは、恰幅のいい、人の良さそうな中年女性だった。しかし よく見るとその表情は固く、青ざめていて、何かあったのだと瞬時に判断できる。
女性はシンテツの姿を見て少しだけ安堵の色を浮かべたが、焦りを抑える事は出来ずに 彼に掴み寄った。
「シンテツさん、大変だよ! アマリエちゃん、予定よりひと月も早く産気づいちゃって…!!」
「な…アマリエが? で、どんな具合なんだ?」
「今、みんなして準備してるところさ。なぁに、ベテランが付いてんだ、その辺は大丈夫さ。 アマリエちゃんは呼ばなくていい、って言ってたけどそういうもんじゃないだろう? だからアタシが 代表してアンタを連れに来たって訳さ。さあ、ほら!」
流石のシンテツも有無を言わさぬ熟女の勢いに押され、そのまま連れて行かれそうになるが、そこは鉄の鍛聖と 呼ばれた男である。剣を放り出したままにもしておけない。
「分かった、い、今行くからちょっとだけ待っ――――――」
「!?」
瞬間、製鉄炉の火が落ちる。
手元にあるカンテラが辺りを照らしてはいたが、先程までの明るさはない。
「おや? どうしたんだい、製鉄炉の灯を落とすなんて」
シンテツ、ラショウ、ブロンに緊張が走る。
「何があったんです?」
何食わぬ顔をしながら小声で質問するウィルに、シンテツも彼の方を向かず返答した。
「タタラの灯を落とすなんて在り得ない事だ。恐らく炎の聖霊絡みの"何か"があったに違いない…… 幸い、今は真夜中で殆どの人間が気付いていないが、朝になったらそうはいかない。だからそれまでに 何とかして―――」
「なにブツブツ言ってんだい! ほら、シンテツさん、早くおしよ! 生まれちまうじゃないか」
「いや、俺は」
「アンタ、妻の一大事って時にまで仕事、ってんじゃないでしょうね…?」
「だから、それは…」
「なんだい、これから父親になるって時に! いいから覚悟決めな! ほら、アンタも普段世話になってるんだから 一緒に来な!!」
完全に迫力負けだった。
女性はシンテツとラショウ、そしてブロンを連れ、風のように去っていってしまう。 一人ぽつんと残されたウィルは、己の置かれた現状を理解し、立ち直るまで数分の時間を要した。
「まいったな…これじゃあ剣はしばらくおあずけになりそうだ。いや、それよりもタタラの方が問題かな……一体何故……」
部屋に戻って確認するが、製鉄炉の灯は消えたままだった。
おそらく、ここだけの問題ではないだろう。部外者のウィルでさえ、不穏な空気の色を感じる位だ。 ただの整備不良とは言い難い。
先程シンテツが言っていた、炎の聖霊絡みの何か。
この都市の守護者と称される炎の聖霊パリスタパリス。
剣の聖霊とも呼ばれる彼が生み出す炎が鍛えているからこそ、この都市で作られた武具は良質で 評価が高いとも言われている。その炎の聖霊に何かがあっては、キルスレスは生まれ変わるどころか、 元の姿を取り戻す事さえ困難だろう。
ウィルは薄灯りの中、鈍い色を放つキルスレスを手に取る。
腕に感じる重みに、それこそが剣の所有者ではない証だといわれているかのように感じた。
「……それでも僕は行かなければならない。この剣に光を取り戻すために」
剣を鞘に収め、ウィルはカンテラを手に銀の匠合を後にする。 深夜のためかそれとも炉が落ちたせいなのか、深い闇に覆われた街は不気味なほど静かで、 恐怖心は無いが息を呑まずにはいられなかった。
地下最下層にいると言われる炎の聖霊に会うため、船上で聞いた話の通り、 街の中心にある中央工城へと向かうウィル。 しかし、うっかり者のシンテツがきちんと説明しているはずもなく、ウィルは聖霊に 会う前に、扉を守る役人により早々に退去を命じられてしまった。
「地下へは許可証を持った者しか入る事が出来ません。まして、鍛冶師でない貴方が危険を承知でここへ 入るなど、一つの目的しか考えられませんね。さあ、お引取り下さい」
鉱石目当ての冒険者と思われたのだろう。丁重ではあるがかなり強引に引き下がらせる。
強行突破でいこうか逡巡するウィルだが、服をくいと引っ張る小さな手に気付き、視線をその先へと向けた。
「こっちへ」
10歳前後の眼鏡をかけた利発そうな少年は、ウィルの服を引っ張りながらどんどんと歩いていく。 地下迷宮への入り口から離れていくことに流石に焦ったウィルは、役人から見えなくなった所で足を止め、 彼の手を取った。
「君は?」
「……お兄さん、剣の聖霊に会いに行きたいのでしょう?」
いきなり核心をつかれ、言葉に詰まるウィルを見て目を細めて笑う。
その子供らしい笑顔につい表情も和らぐウィルだが、少年は 眼鏡の端をくいと軽く持ち上げる仕草をすると、おおよそ子供らしくない発言をする。
全くもって予想外の。


「僕の名前はサクロ。僕がお兄さんを聖霊のところに案内してあげるよ」








第5話です。
いやー、凄く間が開いてしまいましたね…(汗)
それもこれもクラフトの設定がイマイチ掴みきれなかったのが 原因です。ルマリさん事件とか色々お尋ねして回ったのですが、 やはり本編では詳しく語られなかったようで。結果『捏造』 する事になりまして、次回はその捏造編となります(涙)。
サクロは出そうか出さないか迷ったのですが、ご希望の声に 応えて最後に登場させてます。でもこんな風に出てきたら、 次回はかなりでばってしまうのでは…ぶるぶる

次は剣が出来そうな予感。(予感って!)

04.4.10 HAL