聖王都ゼラム。 この時期街はにわかに活気づき、そして少女達はソワソワし始める。 ――――建国祭。 単なるお祭りとして捉えられそうだが、それはこちらの世界でいう"あるイベント"に良く似ている部分を持っていた。 そう、言わずと知れた"聖バレンタインデー"である。 ここゼラムでは、建国祭は家族と共に過ごすのが一般的だ。 父親は家中を飾り立て、母親は料理に腕を振るう。 そして子供はデザート用の菓子を焼く。 そんな風習はいつの頃からか、"女性が手作りのお菓子をプレゼントし、男性に愛を告白するイベント"を立ち上げてしまっていた。 家族の分を作るついでに、好きな人へもおすそ分け―――――― そんなトコロから始まったのだろうが、今ではすっかりそちらがメインとなっているフシもある。 建国祭に向け菓子作りを練習する女性が増えるためか、ゼラムの街はどこを通っても、甘い香りが漂っている気さえした。作る菓子の内容も時代時代で様変わりし、クッキーだったり、ケーキだったり。どうやらここ数年の流行は"チョコレート"のようだ。 それは兎も角、ゼラムの女性達はこの告白のビックチャンスに浮き足立ってか、皆、何だか目が血走っていた。 女性がそんなであれば男性とて平然としてはいられない。 お菓子を貰う貰わない、はオトコの沽券に係わる、と、やけに女性に親切にしたり・・・。 様々なカタチでアプローチする始末だ。 ・・・下心見え見えである。 そんな本来の意義とは随分ずれてしまった建国祭だが、ここに世間一般の常識には疎いともっぱらの評判(おもに仲間達から)の、一組のカップルがいた。 彼女の名はトリス・クレスメント。 彼の名はネスティ・バスク。 今日はそんな二人の甘い?物語をお届けしよう・・・・・・・ チョコと憂鬱 〜笑顔のウラ側〜 「うっきゃあ!!」 ガッシャーン! クワンクワンクワン・・・・・ 何かが引っくり返り、何かが床で回る。 テーブルに広がる、白い、生クリームの海。 床に飛び散る黒くて甘い液体。 甘い香りの漂うそこは、台所という名の戦場だった。 「今日中に作らなきゃいけないのに〜〜〜」 戦場で泣き言をいう、一人の少女。 蒼の派閥に属する召喚士であり、"調律者"の異名を持つクレスメントの末裔、そして、二年前この世界(リィンバウム)を救った英雄の一人―――――――― そんなたいそう立派な肩書きを持つ彼女だが。 「うう・・・ネス、起きないかなぁ・・・・・」 トリス・クレスメント。 その実態は、真夜中、好きな人の為にお菓子作りに奮闘する普通の(不器用な)少女であった。 「全く・・・何をやっているんだ、あの馬鹿は・・・・」 数日前からトリスのお菓子作りは始まっていた。 毎夜遅くに繰り広げられるその 彼の名はネスティ・バスク。 色々あってついこの間まで木になっていた、トリスの想い人である。 トリスはお世辞にも料理上手とは言えない。 苦手意識も強く、食べるのが専門、とばかりに料理からは遠ざかる毎日だが、流石に年中行事ともなると話は別だ。 下手ながらも、毎年兄弟子であるネスティと師であるラウルの為にお菓子を作り、三人でささやかに祝う。 だが、毎年作っているものの、味音痴の兄弟子と、親馬鹿なラウルに甘やかされ続けたトリスの料理の腕は、一向に上がる気配を見せなかった。 しかし。 今年はそうは言っていられない状況下にある。 理由は――――かつての仲間が大集合する、というモノだった。 元々、建国祭など見たことがない、というアメルやルウを招待したつもりだった。 が、いつの間にか膨れ上がる希望者に、 「それならばいっそ全員を招待したらどうじゃ?」 とのラウルの一言で、トリスは今、地獄を見ていた。 目の下にクマを作りながら、毎夜、お菓子作りに奮闘するトリス。 本人はネスティに気付かれないよう、作業しているつもりらしい。 が。 連日深夜にド派手な音をたてる妹弟子に気付かぬ程、彼は鈍くなかった。 ただ彼女のために気付かない振りをしているだけで。 いや、多少煩くとも、ここは我慢し、知らぬ顔をするのが「オトコ」というものだろう。 そう。 ・・・例えそれが重度の安眠妨害だとしても、だ。 ネスティははっきり言って神経質の部類に入る。 彼は物音等で一旦目が覚めてしまうと、すぐには眠れない性質だった。 ゆえに。 結局、トリスが静かになるまで眠れないネスティもまた、寝不足の日々が続いていた。 だが、さすがに翌日に行事を控えこの調子では、朝になったところで完成していない確率の方が高い。 ネスティは不安になり、家の中で唯一灯りの燈った台所へと足を向ける。 が。 台所の惨状は、ネスティの想像を絶する有様だった。 (うっ・・・これは・・・・・・) これでは人の食せる物は出来ないかもしれない―――――――― 融機人(ベイガー)から人間へと変化した自身の身にも、少しだけ不安を覚えたネスティは、床に座り込むトリスに声をかけた。 「・・・大丈夫か?トリス・・・」 「――――ネス・・・ゴメン、起こしちゃった・・・?」 さすがのトリスも諦めモードに入っており、途方に暮れている。 ネスティの顔を見ても然程驚かず、ただ、力なく微笑んだ。 「・・・・・もう間に合わないね・・・明日お店で買ってくるよ」 そんなトリスに対し、ネスティは肯定も否定もせず、無言のままテーブルの上にあった本を手にする。 パラパラとめくられるページ。 パタリと閉じられる本の音。 「ネス?」 「・・・コレを作るのか?」 「え?あ、うん・・・」 トリスの答えに、そうか、とネスティは頷き、チョコレートとはかりを手にする。 「なに。まだ間に合うさ・・・二人で作れば、な」 「っ・・・・ネス!!ありがと!」 チョコレートと生クリームだらけのまま、ネスティに跳びつくトリス。 そのくすぐったい様な甘い香りに、ネスティは小さく笑い、そして彼女の頭をポン、と優しく撫でた。 「コラ。まだ喜ぶのは早いぞ?さっさと作ってしまおう」 「うん!!」 料理音痴と味覚音痴の両名が協力して作るお菓子など、この上も無く恐ろしいが、そこは優秀な兄弟子様。 お菓子など分量通り、レシピ通りに作れば、ソコソコいい味になるのである。 兄弟子の卒の無い指示の下、トリスは何とか作り上げることが出来たのだった。 「あとは固まるのを待つだけだな」 「うん。皆が来るの、夕方って話だから、あとは明日ラッピングするね。・・・・・ありがと、ネス」 「・・ああ」 二人の共同作業は思ったよりも捗り、予定通り人数分のチョコレートが出来上がった。 トリスは"後片付けくらい一人でやる"と言ったのだが、ネスティは"手伝ったからには最後まで"と、頑として譲らず、結局、床掃除までもが共同作業となる。 トリスはテキパキと片付けるネスティを見て、盛大な溜息をついた。 「・・何だ?人の顔を見てその態度は」 「ん・・・ネスってさ、何でもできるなぁ、って思って」 「これは分量通りに作っただけだ。・・僕は料理上手という訳じゃない。新しい物を作り出す事は出来ない」 それでもあたしより全然才能あるもん、と、ふて腐れたように呟くトリスにネスティは苦笑する。 「・・・なによ、その笑い」 「いや?別に」 むくれるトリスが可愛くて微笑んだネスティ。 しかし、小馬鹿にされたように感じたトリスは些かご立腹だ。 よって、言わなくても良いことをつい、口走ってしまう。 うっかりと、口が滑った、と、言うべきか。 「そうよね〜ネス、美人だし」 (※「君と踊ろう」参照) 「なっ・・・!」 「あたしなんかがあげるより、美人のネスティさんがチョコ渡した方が、皆も喜ぶかもね」 ね、ネス?と、勝ち誇ったように言うトリス。 痛いところをつかれて二の句が出ないネスティを尻目に、鼻歌交じりで掃除を再開する。 口論?に勝ち上機嫌のトリスだが、勝負というものは非情な世界だ。 勝利を確信した時、その人は決まって敗北するようになっているのが世の常なのだ。 「やっと終わった〜〜〜」 お菓子作りも、掃除も終え、これでゆっくり休む事が出来る、と、トリスは大きく背伸びした。 「ありがとね、ネス。遅くまで付き合せちゃってゴメン」 「いや、構わないさ」 いつもなら小言の一つもありそうな兄弟子なのだが、何故か今回に限って静かだった。 しかし、トリスは特に疑問も感じず"やっと眠れる"という安堵の息を漏らした。 連日の寝不足がピークにきていたのか。 それとも単に鈍いだけなのか。 その微笑の裏に隠された真意に、トリスは全くと言っていい程気付かなかった。 いや。 元々この兄弟子に敵う事はないのだ。 「ところで・・・チョコレートは僕の分もあるのか?」 「はぁ?!なに言ってんの、今更!!当り前じゃない!大体・・・・もとはネスの為に作り初めたんだし・・・・・」 自分の為に、という言葉に、ネスティは一瞬だけ驚き、そしてその表情をゆっくりと笑顔に変えた。 トリス(自分)の前でしか見せない微笑を向けるネスティに、彼女もまた微笑んだ。 その直後に待つ、恐ろしい企み?にも気付かず。 「そうか。・・・日も変わってしまった事だし・・・・今、食べてもいいか?」 「うん!あ、でもまだ固まってな―――――△×○□?!」 トリスの言葉を最後まで待たずに、ネスティは「いただきます」と、彼女の頬に唇を寄せた。 ・・・正確には"頬についたチョコレートを舐めた"なのだが。 「っ・・・ん、なっ、な、なななな・・・・ね、ネス!!?」 言葉にならないトリスに対し、ネスティは、至って平然と彼女の動揺する姿を眺めていた。 彼にキスされた頬を押さえ、後ずさりするトリス。 熱い――――― 顔だけでなく、体中が熱を帯びている。 顔中を紅色に染めたトリスが、やっと何とか言おうと口を開きかけた瞬間、今度はその唇に口付けが交わされた。 「・・ん・・・むぅ・・・・・んんんん〜〜〜〜っっ!!」 息継ぎする間も与えられないほど、濃厚に。 まるでトリスを味わっているかのようなその動きに、彼女は翻弄され、全身の力を吸い取られたかのようにその場に身を崩す。 「 っと 」 ネスティにもたれかかるように抱き抱えられるが、抵抗しようにもそんな力は無かった。 体中に広がる痺れた様な甘い感覚に、身も心も支配され、冷静な思考能力は失われる。 スキナヒト ノ 温もり。 スキナヒト ノ 体温。 ぼお〜っとした頭で幸せをかみ締めていたが、徐々にエスカレートするネスティの行動に、流石のトリスも危機感を感じる。 「?!・・ん、はぁっ・・・・!・・や、やぁ・・・・んぅ!!」 自分の口から出た、思ってもない程の甘い声に、トリスは益々恥ずかしさを覚えた。 ネスティの唇はトリスの首筋をなぞり、鎖骨へとゆっくり移動する。 好きな人にチョコレートを渡すつもりが、何故ゆえこの様な状況となっているのか。 トリスは残された僅かな理性をフルに働かせ、考えた。 (そ、いえば・・・チョコと生クリーム、体中に・・・・) 「んん!っちょ、ちょっと待っ・・・ね、ネスぅ・・・お願・・・・」 涙目に懇願するトリスの姿に、ネスティの動きは多少弱まる。 「・・・ナンダ・・?」 「もしかして・・・チョコレートって・・・・・・あたしのコト、なの・・?」 に〜っこり。 返事の代わりに極上の微笑み。 ネスティの笑顔はトリスを恐怖に慄かせる程の迫力があった。 走り出したオトコノコは、止める術が無い。 (こ、怖いよお・・・) 助けを求めようにも、頼りの師範は派閥の手伝いに借り出され、明日になるまで戻らない。 こんな深夜に男女が一組。 しかも互いに想い合っているカップルだ。 ・・・この後の展開など、語るまでも無い。 「ごちそうさま」 隣でぐったりと伸びるトリスに、そう声をかけるネスティ。 その発言にトリスは「むぅ〜」と膨れると、頭からすっぽりと毛布を被り、ふて腐れた。 「あたしはチョコじゃないんだから!!・・・んもう、来年はネスの分、作ってあげない!!」 そんな彼女を見て、ネスティはククク、と、堪えるように笑う。 二人っきりの時のネスティの笑顔は怖い。 前回の教訓を生かしきれていないトリスは、今回もまた、前回同様の目に合うのだった。 甘い雰囲気をかもし出してはいるが、何故か"両想い"という自覚にかける二人の、ちょっとした一日。 そんな甘い一日、いかがなものだろうか。 end. 02.2.14 HAL |