「……良かったのか? さっきの奴、たいそう驚いてたみたいじゃないか」
甲板の船尾で遠くなる陸地を見つめていたウィルに、シンテツは遠慮がちに尋ねる。
航海には丁度良いくらいの風と晴天に恵まれた出港だったが、彼の心の陰りに気付かないほど シンテツも鈍くはない。
「何やらワケありのようだが、短くても深い付き合いになるんだ。よかったら話してみないか? 一人で グジグジ考えてるとロクな精神状態にならないもんだ」
これから剣を作るんだろ、と肩を力強く叩かれる。
予測しなかった強さにウィルは一瞬息をつまらせるが、恨みがましく見上げた先に映る、屈託のない笑顔に 毒気を抜かれたように苦笑した。
「……そうですね。何から話しましょうか……」
ウィルの瞳の色が深い緑に染まり、懐かしむように言葉を紡ぐ。
しかし、一方でその心は会話とは別の、数週間前の出来事を振り返っていた。






ベッドと、そして机が一つだけ。
生活感のないその部屋を感慨深げに見回す。
カーテンの開かれた窓からは陽の光が差し込み、床を照らしていた。
「……行こうか、テコ」
「ミャミャー!」
数年前には両手でやっと持てたほどの大きな鞄は、今や軽々と肩から下げられていて、 年月の経過と彼の成長を物語っていた。
彼が出て行ったその部屋は、パスティスにある軍学校の学生寮。
もう二度と足を踏み入れる事のない場所。
そう、卒業を迎えたこの日。
それが彼の新しい夢への出発点。はじまりの日だった。
彼女の心をもっと理解したくて。同じものを見たくて。
軍学校に入学したのは勿論自身の目標でもあったが、島での時間が彼の夢の方向を変え、 それを最終目的の手段のひとつとした。 積極的に学びはするものの、それはひとえに彼女の力になりたいがため。 学校創立以来の実力の持ち主と言われながら、軍人への道を選ばなかった彼に その才能を惜しむ者も多かったが、断固として彼の意思は変わらなかった。
強い、強固な意志。
身体こそ大きくなり、今やあの頃の面影をようやく探せるほどの成長ぶりだが、 かの人への想いはあの時から卒業のこの日まで、変わる事無く、想い続けた先に向かっていた。
気持ちは変わりゆくもの。だが、その想いは育っていくから。
それが愛情なのだと誰かが言っていた…誰かとは言わずと知れたオカマを装うあの男だが。
ウィルはふと思い出し笑いをして表情を緩めた自分に気付き、照れ隠しなのか一つ咳払いをすると、 ぺたぺたと己の後をついて歩く護衛獣に声をかけた。
「また長い船旅になるけど、テコはどうする? 眠っているかい?」
深い緑色のサモナイト石を取り出す。
それは彼との誓約を結んだ証、深い絆。
「ミャ〜、ミャーミャミャ!」
いやいやと首を振り、テコは自信ありげに自分の胸をドンと叩く。
どうやら送還される気はないらしい。
ウィルは「わかったよ」とテコの頭を優しく撫で、微笑む。 が、テコを抱き上げ、学校の門を出ようとした彼の前に見覚えのある人物の姿が映った。
そこに立っていたのは、学校の教師であり、かつて師の好敵手でもあった人物。
「もう行くのか。今日卒業したばかりだというのに、気の早い奴だな、お前は」
「レヴィノス先生…」
「おいおい、もう卒業したんだ先生はよしてくれ。アズリアで構わん」
何度呼ばれてもお前にだけは慣れないな、と彼女は笑う。
「すまないが少し付き合ってもらうぞ。時間は大丈夫か?」
「ええ。まだ船の時間まで余裕がありますから構いませんよ」
疑問系ではない、断定の言葉に苦笑するウィルだが、 おそらくもう二度と彼女と話す機会は無いだろうと、申し出を素直に受けた。

「しかし…早いものだな。あれからもう7年か。まぁお前がこんなに成長してるんだ、私も年をとる訳だ」
「身体だけですよ。中身はまだまだ…追いつけていません」
一瞬、苦虫を噛む様な表情を見せた彼に気付かない振りをし、アズリアは微笑む。
「そう謙遜するな。お前の実力は私も熟知しているつもりだ。 ……伊達にこの7年間、教師として見てきたわけじゃないからな」
アティやウィルと共にパスティスへと戻ったアズリアは、どういう経緯を辿ったのかは不明だが、 気付けば軍学校の教師の一人として席を置いていた。
任務に失敗し、多くの部下を犠牲にした事は彼女のキャリアに大きく傷をつけたが、彼女が現役から退いた理由は 他ならぬイスラの死が原因であろう。
牙を抜かれた獅子が戦場に出る事は叶わん、と、短くその理由を語ったアズリア。
しかし、弟を死に追いやった事への自責の念が彼女をそうさせたのだろう。
島を去るあの日、イスラの墓標の前で一人泣き崩れる姿を見てしまったから。
他人に己の弱さを見せる事を嫌う彼女の、そんな姿を思い出し、ウィルは表情を曇らせる。 アズリアはそんな彼の様子を単に『自信の無さへの表れ』だと誤解し、苦笑したが。
「なぁ、ウィル。お前、あの島に帰るのだろう? だったら……これを持っていってくれないか?」
「っ、それは…!」
大切そうにしまってあった木の箱から取り出された、布で梱包されたそれは。
「キル、スレス……」
包みを開くと、鈍い輝きが放たれる。
彼の命と共に砕けてしまった、一振りの剣。かつて紅の暴君と呼ばれていたもの。
「そうだ。イスラの持っていた剣のカケラだ」
彼の墓標の下に埋めてきたのだとばかり思っていたが、まさか、今こうして再び目にするとは。 ウィルは夢にも思っていなかったらしく、二の句が続けられずにいた。
「イスラの心だから持っていろ、と渡されたのだが……これは私が持つべきものではないようだ」
テーブルを挟んで座るウィルの前に押し出される。
「お前が持っていろ」
「な…」
「おそらくイスラも……弟もそれを望んでいる」
自分は適格者ではない。
剣に選ばれたのは彼で、自分ではなかった。
望もうと叶わないその事実が伸ばす手を躊躇わせる。
「私は詳しい事は知らん…が、ここでお前を見ていて思った。 それが一番良い方法だと思う。頼む……これを…イスラの心を受け取ってやってくれ」
目を閉じ、頭を下げて懇願するアズリアに困惑するウィル。
プライドの高い彼女がこうまでするとは余程の事であろう。
彼にあった二つの望み。
一つは生きる事。そして、もう一つは……死。
アティとイスラがその根底で似ているのは、二人のどこかに死を望む心があったからで、 適格者として選ばれたのは、剣が二人の中のそれに気付いたからなのかもしれない。
アティは他人のために己の死をも厭わない自己犠牲を。
イスラは自分と共に全てを消し去ろうという破壊と虚無を。
光と闇。
それは正反対の性質でありながら、どちらも同じく哀しい、二つの心。
「でも…僕は……」
自分には二人のような強い、何ものにも負けない意志は無い。
イスラの、彼の剣を継承出来るような強さは。
継承したところでたちまち剣に意識を飲み込まれ、闇に染まってしまうのではないか。
そんな不安に俯いたウィルだが、頭に鈍い衝撃を喰らい、たまらず顔を上げる。
「顔を上げろ! もっと自信を持て! お前はあいつの生徒だろう!?」
そして私の生徒でもあるんだ、と付け加えたアズリアの表情は晴天のように澄み切っていて。 それは全く似ていなかったが、遠い空の下にいる彼の師を思い出させた。
「ウィル。確かにお前とイスラは良く似ている…アティとは別の面でな。 だが、お前はイスラじゃない。闇を照らす光が傍にある……だからお前は大丈夫なんだ」
「アズリア先生…」
「それがお前とイスラの"差"だ」
そうして託された想いを手に、ウィルは故郷へと向かった。
この時はまだ、己の運命を変えるべく出会いが待ち受けている事など知る由もなかったが。




ウィルの話を聞き終えたシンテツは、感心したようにほぅと息を吐く。
「そうか…お前、若いくせに随分苦労してるんだな」
「自分を磨くには丁度良かったですよ。ま、今だから言える事ですけど」
「違ぃねえ」
ニヤリと笑う青年が二人。
船はワイスタァンへと順調に向かっていた。








第4話です。
ちょっと2、3話と比較し長くなりましたがここでようやくウィルが剣のカケラを持っていた 理由をはっきりさせる事が出来ました。え?予想通りだったって?……うう(涙)
差といえば、ウィルとアティの年齢。公式設定が無いので、この話を書くにあたり自分で 年齢設定を立てました。なので最初「あの戦いから6年」だったのが微妙に7年へと 変わっているんですねー(笑)。気付いた方はいないと思いますが。 (出逢った頃はウィル…13才、アティ…19才、ってとこでしょうか。)
さてはて。
次回はようやっとワイスタァンからお届けできそうです。
あんなキャラやそんなキャラが出てくる予定。え?眼鏡は出るのかって?それは……

04.2.22 HAL