「あのね、あたしネスの事……」
「トリス。君の感情は恋なんかじゃない。たまたま僕が一番君の傍にいる異性というだけの事で、 その好意を恋愛感情と錯覚しているに過ぎないんだ。もっと周りを見ろ」
続きを言わせる事無く、一方的に切り捨てられた想い。
好き、と、その一言すら言わせてもらえずに終わった。

それが、あたしの初恋。




初恋革命。 ■■■




「トリスさんとネスティさんは恋人同士なんですか?」
新しい仲間が増えるたび、何度と無く質問されるあたし達の関係。
「はぁ?! あのカタブツ眼鏡の兄弟子とあたしが? んなワケないでしょ〜!」
見てれば分かるじゃない、と笑い飛ばすあたしに同調した相手は「そうですね」と苦笑する。
……納得されるのも何か腹が立つんだけど。
とはいえ、顔を合わせればしかめっ面。口を開けばお小言ばかり。 甘い雰囲気のカケラ一つない、そんなあたし達を見て、誰が恋人だと思うだろうか。
確かに。
ネスは文句を言いながらも最終的にはあたしを守ってくれてるし、 あたし以外の人間がどうなろうと知ったこっちゃない、って感じなんだけど、それは あたしが彼の妹弟子で、お目付け役という任務を派閥から任命されているからであって、 決して個人的な感情で動いているワケじゃない。
まぁ、私情で動くネスなんて全然想像出来ないけど。
「ネスとはただの兄妹弟子。腐れ縁みたいなもんだってば」
「……誰が"腐れ縁"だって?」
「 ゲ。ネス」
「げ、とは何だ。全く…無駄口を叩く暇があるならもう少し勉強したらどうだ?」
始まった。
ネスの十八番、お説教。あたしに対してのみ使われる技だけど。
よりにもよって一番マズイ相手に聞かれたと肩を落とすあたしを見て、さっきまでお喋りの相手だった シャムロックは、同情の眼差しを向けつつ、苦笑している。
でも。
延々と続くかと観念したあたしに、意外にもネスの説教は短く、あっさりと終わった。
この言葉を最後に。
「そうすれば君の言う"腐れ縁"ともサヨナラ出来るぞ?」
「……!」



そう告げて背を向けるネスに、返す言葉が出ない。
違うの、そんな意味じゃない。
心の中で紡がれる言葉。でも唇はその言葉を飲み込んで、ただ遠くなる後ろ姿を目で追う。
言えない。
言ったらまた、否定される。
好きでいる事も、傍にいる事も拒絶されてしまったら、あたしの想いは今度こそ行き場を無くしてしまう。 方向を見失ってしまう。
「トリスさん?」
「………」
ううん、違う。そうじゃない。
さっきのは違うんだ。
「ごめん、シャムロック。あたし、行くね」
返事も待たずに走り出し、見慣れた深紅の後姿を追う。
走っているせいなのか、不安からくるものなのか分からない速い鼓動。 感じる痛みは息が上がってるせいなのか、それとも。
それとも胸の奥の負の感情から来るのか定かじゃなかったけど、わかってる事はただ一つ。
彼を傷つけて、そして自分も傷ついたという事実だけ。
「ネス…!」
「な……っ、うわっ?!」
振り向いた身体に体当たりする勢いでしがみ付く。不意打ちのタックルは流石のネスも予想出来なかったらしく、 あたしの重みを支えようとした身体はバランスを崩し、地面へと倒れ込んだ。
「突然何をするんだ、君は!」
予想通り、烈火の如く怒り出すネス。でも負けてなんかいられない。
「一本」
「?」
「一本取ったよ、ネス。約束、果たしてもらうからね?」
見習い時代、ネスが約束してくれた言葉。
「ネスから一本取ったら何でも一つだけお願いきいてくれる、って言ったよね?」
サボってばっかりのあたしに餌をちらつかせたつもりだったんだろうけど、あたしはフリップ様…じゃなくて、 蛇のように執念深くその事を覚えていた。あの頃はネスから一本取るだなんて夢のまた夢だったけど。
「それは訓練中の事で…」
「"男に二言は無い、僕が君に嘘をついた事があるか?"」
「……!」
「言ったよね、ネス?」
二の句が続かない、とはこういう状態を指すのだろう。
ぽかん、と口を開けたまま絶句したネスに対し、あたしは勝ち誇ったかのようにふんぞり返る。
あ、なんか気分良いかも。勝つ、ってこんな気分なんだ。
ネスに口で勝つなんて日は永遠に来ないと思ってたから、感動も倍増だわ。
「……で? 君は一体僕に何をして欲しいというんだ」
何を言っても無駄と諦めたんだろうか。ネスは意外にもあっさり負けを認め、理論武装していた あたしは逆に肩透かしを喰らった感じだったけど、まぁこの際よしとしよう。うん。
「あたし、ずっとネスの妹弟子でいていい? ずっと、おばあちゃんになっても、ずっとね」
あ。
ネスってば呆気にとられた顔してる。
顔が自然に緩んでいくのが自分でも分かるけど、どうにも止められない。
「……君はいつまで僕に面倒をかけるつもりだ……」
やっと搾り出すように零した言葉は、呆れを含んだ優しい声。
「だから言ったでしょ? ずっとよ、ずっと。不肖の妹弟子の面倒を見るのも兄弟子の役目でしょ?」
「そんな役目があるか。大体、それは願いじゃない。そんなもの願わずとも、もう叶っているだろう?」
「え…?」
「君が嫌がっても僕は君の兄弟子だ。一人前と認められるまでみっちり扱いてやるから覚悟するんだな?」
ニヤリ、と、眼鏡の縁を軽く上げて意地悪そうに笑う。
そんな仕草一つに心臓が跳ねる事なんて、目の前のこの人は知らないんだろうな。
ねぇ、ネス。
あたし、派閥の外へ出て、こうして色んな人と出会って、色んな人の考えを知って。
知って思う。
この気持ちが勘違いじゃないって。
ネスを好きな気持ちは他の誰とも違う、もっとあったかくて、ドキドキするものだから。
「トリス、いい加減しがみ付いてないで戻るぞ」
べったりひっつき虫のようになったあたしに、ネスもそろそろまいったらしい。
本人は至って気にしない素振を見せていたけど、耳が赤い。今更だと思うんだけどな。
「はぁ〜い」
「返事は短く」
「はいはい」
「一回だ」
「…ハイ」
「宜しい」
偉そうに言うネスの隣に並んで歩く。
派閥に来た頃は、手を引いてもらってこうして並んで歩いた。でもそのうち後ろを歩くようになって。
いつも視線の先は冷たい大きな背中。
今は伸ばせば手が届く距離にあるけど、気持ちはあの頃より離れてしまったんだろう。
ネスも、あたしも大人になってしまったから。
でもいつか。
いつかこの旅が終わる時、もう一度。
沢山の人の中からあなたを選んだ、って胸を張って言うから。その時は。






「ネス、好き。だーい好き」
いい加減数えるのも馬鹿らしいが、ネスティが勘定したところによると、この5分の間に"好き"と 30回は言っている。言われて嬉しくはあったが、どんな物事も度を超すというのは宜しくない。
「…だからといって、そんな大安売りのように連呼しなくてもいいだろう…」
照れが極限に達したのか、ネスティは顔を赤く染めたまま頭を抱え込む。



照れもするだろう。
ソファーで本を読んでいたネスティの膝の上に、向かい合う形で座っての告白だ。
まして好きな女性にされては鋼鉄の理性を持つネスティとて、気持ちが揺らいでも不思議ではない。
だがトリスは自分を膝から下ろそうとする腕をやんわりと制す。
「だって言える時に言っておこうって決めたんだもん。……二年間、後悔したから」
「トリス……すまない……」
震える小さな肩を抱きしめる。このか細い身体のどこに、悪魔に立ち向かう強大な力があるというのだろうか。
「ネスは言わせてくれなかったけど、あたし、ネスの事ずーっと好きだったんだからね?」
「……ああ、そのようだな」
「ああ、って……じゃ、何で言わせてくれなかったの? 勘違いだ、なんて言ったクセに」
トリスの疑問にネスティは囁く様に彼女の耳元で答えを告げる。
男性であることを忘れさせるような、秀麗な微笑みで。


「初恋は実らない、って言うだろう? …が、どうやら迷信だったみたいだな。お互いに」