■夢の終わり■


 アントニオは虎徹のグラスを取り上げた。ソファに身体を預けるその寝顔は、無邪気なほどに安らかだ。
 黒い髪をそっと手で梳く。
 こんな日が来るとは思わなかった。
 部屋の中で二人きり、惚れた相手が傍らで眠る。こんな幸せがあるだろうか──
 アントニオの心が重く痛む。
 この幸せは、不幸が起きなければ手に入れることのできなかった幸せだ。
 甘く苦い想いを抱えたまま、アントニオは虎徹の寝顔を眺めた。

 初めはどこに惹かれたのか。
 まっすぐな瞳と、まっすぐな信念。
 一緒に馬鹿できる、気安さ。
 どこか自分に似た、孤独。
 好かれていることを微塵も疑わない、ナルシストぶり。
 それは呪縛にも似た快感だ。
 蠱惑的、という言葉を知ったのはいつだっただろう──

 それは年を重ねるにつれ、深く甘く、染み込んでいく。
 例え結婚しても、妻とは全く異なる次元で、自分は特別な存在なのだと、虎徹がそう思わせる。

 アントニオは、虎徹の頬に触れた。

 抱きしめたい。
 男に興味は全く無いが、虎徹は別だ。
 欲情するし、抱きたい。
 征服したい。
 惚れた相手を犯して自分のものにする、それは雄の本能だ。
 想像の中で何度犯したか、もはや覚えてはいない。

 アントニオは頭を振った。
 今、虎徹が安らかに眠っている、それは夢のような幸せだ。
 願わくば、この幸せが少しでも長く続くといい。
 いつかは消える夢だと分かってはいる。虎徹が立ち直るか、あるいは新しい相手を見つけるか。それまでの、儚い幸せだ。
──これくらいは許してくれよ──
 心の中でつぶやき、アントニオはそっと唇を重ねた。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 大きな手が、髪を梳くように撫でる。あったかくて優しくて気持ちいい。目を瞑っていても分かる、この男はきっと、幸せそうに笑っているに違いない。
──ホント、お前、優しすぎ。──
 寝たふりをしていることがばれないよう、虎徹は身体を動かさないまま、その心地よさに身をゆだねた。アントニオの体温が、心臓の奥に染み込んでいく。

 なあ、アントニオ。
 お前、気付いてる?
 そういうの、弱みに付け込む、って言うんだぜ?
 惚れた相手を落とす常套手段。

 弱ってるところに優しくされたら、ダメだって。
 俺、弱いんだから。
 甘やかされたら、甘えちゃうよ?
 なあ、そんな理由でお前はいいわけ?
 ダメだろ、そんなの。
 俺、カッコ悪いよ。
 それとも……そんな理由でもいいくらい、俺が好き?
 馬鹿だよ、お前。
 好きになっちゃうじゃん。ダメだって。
 最近、気づくとお前のこと考えてるよ、俺。
 ……友恵のこと思い出さない日もあるのにさ。
 ダメだよ、友恵がいなくなっちゃうよ。
 お前でいっぱいになっちゃうよ。
 ……怖いよ。

 このままじゃ、ダメだ。
 ズルズルひきずって、俺だけ甘やかされて、ますますお前は囚われる。
 俺は覚悟を決めた。
 お前を解放するよ。
 でないと、永遠に俺たち、ズルズルだ。それでいい年でもねえだろ。
 もしかしたら、お前に嫌われるかもな。
 俺、ずーっとサイテーだったから。今でもサイテーだから。
 もう、この関係、終わりにしよう。
 後悔のない選択をしようぜ、お互いに。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 そして虎徹は目を開けた。
 視界いっぱいに、見慣れた男の顔がある。
──ははっ、なんて顔してんだよ──
 驚きに目を見開く男の首に、虎徹は腕をまわした。
──もし嫌われたら、これが最後のキスになるんだな──
 ぼんやりと思いながら、男を引き寄せる。吐息の甘さを味わいながら、虎徹はゆっくりと舌を差し出した。


『なあ、アントニオ。俺、本当のこと言ってもいい?』



END








二次創作に戻る