■いつもどおりの日(1)■


 それはいつもどおりの、今までと変わらない、一日の流れだった。
 お互いに差し迫った対局は無く、カレンダー上は休日で学校は休みだ。
 いつもどおり桐山は買い物袋を下げて島田の自宅へとやってきた。
 桐山が昼食を作り、一緒に食べて、食器を洗って、その後一局。冷蔵庫の中には、島田が買っておいたおやつが入っている。今日は洋菓子店のプリンだ。
 明るい午後の日差しが差し込む部屋に、パチリ、パチリと駒の音だけが響く。
 傍目にはきっと、総じて穏やかな時間に見えるだろう。
 島田はちらりと、向かいに座る桐山を見た。桐山は真剣な表情で盤を見つめている。いつもどおり、いやむしろいつも以上に集中している。
 島田が駒を進める。数秒もおかず、桐山も駒を進める。持ち時間をほとんど使わず、まるで早指しの訓練をしているかのようだ。それでいてミスは無く、桐山はただただ勝つために駒を進めていく。
 島田はゆっくりと息を吐き出した。
 いくらお互いに平静を装っても、将棋は正直だ。はやる気持ちとそれを必死に抑える気持ち、早く終わらせたいと思う感情とそれでも勝とうとする本能。全てが島田に伝わってくる。
 今日の桐山が、いつもどおりであるはずがなかった。そして桐山ほどではなくとも、それは島田も同じだった。
 昼前の約束の時間にチャイムが鳴った時、ドアを開けた瞬間に見えたのは、見たことも無いくらいガチガチに緊張した桐山の姿だった。昼食を作りながら、また一緒に食べながら、桐山は珍しく良く喋った。スーパーの品揃えの話や滅多に聞いたことのない学校での出来事など、脈絡なく続く話に、島田もまた意図的に明るく相槌を打った。不自然な明るい会話と不自然な沈黙を繰り返し、ようやく盤を挟んで今に至る。
 お互いに無言のまま、パチリ、パチリと駒の音が続く。桐山の思考が、盤を通して島田の中に流れ込んでくる。桐山の指す手もまた、島田の思考を読んでいるのが分かる。
 島田は苦笑した。まったく、桐山の頭の中は今、本当は別のことでいっぱいなのだ。なのに手を誤らず、きちんと相手をよく見て、そして勝ちにくる。可愛げがない、とも思うが、そうでなくては面白くない。
 昼から今まで数時間、声で交わす会話はずっとちぐはぐだったのに、今は盤を通して桐山と会話が成立している。
 島田は無意識に、口の端を吊り上げた。持ち駒を手に取り、迷いなく盤面に打つ。
 桐山が目を見開いた。動きが止まる。一瞬の間の後、次の手を探して必死に盤を睨みつける。
 島田もまた、盤を見つめた。
 桐山が今日、何を期待しているかは分かりきっている。逃げるつもりなどない。
 ただ今はこのままもう少しだけ、桐山との会話を楽しんでいたかった。



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