■止まれないこの世界■


 熱の残るベッドの中で、二人はただ無言で身体を寄せ合っていた。
 いつもより若干激しく貪りあい、気怠く、あとはこのまま眠ってしまうだけだ。
 だが眠ってしまえば、この時間が終わってしまう。それが名残惜しく、二人はただ身体を寄せ合った。
 宮田が緩慢に、木村の髪に指を通した。少し癖のあるその髪が、しっとりと汗に濡れて指に絡みつく。それに逆らわず、木村は宮田の胸に顔を埋めた。規則正しい鼓動が耳に響く。その音がいつもより大きく聞こえるのは、胸の肉が薄くなったせいだろうか──つい浮かんでしまう推測を木村は意図的に頭から追い出した。
 骨にまで伝わる力強い鼓動と、皮膚から伝わる熱を少しでも長く感じていたくて、身体全体をすり寄せる。それに応えるように、宮田の指がより深く髪に絡みつく。
「木村さん」
 宮田が木村の頭を胸に乗せたまま、ぼそりと言った。
「ん?」
「もし生まれ変わったら何になりたいですか?」
「は!?」
 あまりにも素っ頓狂な質問に、木村は思わず顔をあげた。
 宮田は淡々と言葉を続けた。
「今日、雑誌の取材で聞かれたんです。そんなこと考えたこともないから、困りましたよ。他にも、休日の過ごし方とか、理想のデートコースとか。オレにそんなこと聞いてどうしようってんですかね」
 面倒くささを思い出したような表情で、宮田がぼやく。
 木村は少しほっとした。宮田の言葉に他意はなさそうだ。
 それにしても、取材でそんなことを聞くのは、ボクシング雑誌ではまず無いだろう。いったいどんな雑誌だったのか──若い女性読者の多そうな雑誌を木村は思い浮かべた。何となく面白くない。
「で、お前は何て答えたの?」
「普通に、ボクサー、って答えましたよ」
 それ以外に何があるんですか、と真顔で言い切られ、木村は苦笑した。
「まあ、お前らしいけどさ。俺だったら、そうだな、野球選手は今でも憧れるぜ?」
「ああ、少年野球をやってたんでしたよね」
 木村は得意そうに笑った。
「そうそう、青木と二人で、無敵のバッテリーだった──」
 だったんだぜ、という言葉の語尾が急速に小さくなる。あからさまに嫉妬を孕んだ視線に睨まれ、木村は首を竦めた。宮田の前で──特にベッドの中で、他の男の名前は厳禁だ。ちょっと面倒なヤツだな、と思わなくもないが、その面倒な嫉妬が実はちょっとだけ嬉しいのもまた事実だ。
 木村は慌てて、話題を変えた。
「えっとあとは、よくある答えなら、鳥になって空を飛んでみたい、とか?」
「鳥?」
 宮田は意外そうな顔をした。
「そうか、人間以外もアリなんですね」
「まあ、所詮、想像の話だし」
 うまく話題を逸らせたことにほっとしながら、木村は宮田の前髪に手をのばした。湿り気を帯びた艶のある髪をかきあげ、下から瞳を覗き込む。
「宮田は、動物だったら猫っぽいな。目が大きくて気の強い黒猫だ。かわいいだろうなあ」
 くすくすと笑いながら、木村は宮田の顎の下にそっと触れた。指先から伝わる、いつもよりも硬い顎の骨の感触に、木村の心がちくりと痛む。その痛みに気付かれないよう、からかうように笑いながら、木村はわざと本物の猫にするように顎の下を擽った。
 むっとしたように、宮田がその手を捉える。
「うわっ」
 掴んだ腕を強引に組み敷き、宮田は身体を入れ替えた。猫のような大きな瞳が獣の熱を孕み、木村を見下ろす。
「宮田……?」
「オレが猫なら、アンタは犬ですね」
 木村を見下ろしたまま、宮田は優しく笑った。
「犬って、室内でも飼えますよね? 首輪が必要なんでしたっけ」
 指先でそっと木村の喉元をなぞりながら、宮田は続けた。その瞳に僅かに、夢見るような光が宿っていることに木村は気付いた。
「……この部屋で飼っていれば、毎日会えるんですよね」
 首筋を首輪の形になぞられる、その感触に木村の身体がぞくりと震える。
「……宮田」
 木村は宮田を静かに見上げ、頬にそっと触れた。
「で? この部屋で、鳥ガラみたいに痩せていくご主人様を毎日見続けるのかよ。俺は嫌だぜ、そんなの」
「……ッ」
 喉を辿る宮田の指が止まった。大きな目が、まるで夢から覚めたように、更に大きく見開かれる。
 木村は穏やかに微笑んだ。自分の上にいる宮田に腕を伸ばし、優しく抱きしめる。
「たったの一ヶ月とちょっとだろ? 別に会えないわけじゃないし、メールも電話もするし」
「……」
「お互い様だろ? ちゃんと待ってるからさ」
 肩甲骨から背骨へと、その感触を確かめるように、木村は宮田の背中にゆっくりと触れた。
 どちらかの試合が決まって本格的な減量が始まったら、お互いの部屋へは行かない、セックスもしない。それは二人が決めたルールだった。宮田は言うに及ばず、木村も減量はかなり厳しい方だ。一緒にいれば、減量する側はもちろん、見ている側もつらいことは分かりきっている。それでも一緒にいるか、あるいは一人で戦うか。二人とも、出した答えは同じだった。
 宮田は、木村の肩に顔を埋めた。歯を食い縛り、腕の中の愛しい身体を力いっぱい抱きしめる。穏やかな体温が、全身に伝わってくる。

 自分で決めた道に悔いも迷いもあるはずがない。どんなに辛くても、困難があっても、自分を律することができると思っていた。実際、そうやって生きてきた。けれど、人を好きになるとこれほどまでに、自分の感情を制御できなくなるなんて、知らなかった。

「……木村さん」
「……ん?」
 顔を埋めたままの宮田の小さな声が、木村に届いた。
「まだ眠りたくないんです。もう少しだけ、このままでいさせてください」
「……うん、俺も……」
 触れ合う肌から、泣きたいほどの体温がお互いの想いを伝えあう。自分を抱きしめるのと同じだけの強さで、木村は宮田の身体を抱きしめた。



END



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