■呼吸の仕方■


 桜の舞い散る高校の入学式。
 新入生代表として壇上に立ったあいつを見た瞬間、俺の呼吸は止まった。
 臆することなく真っ直ぐに、前を見つめる瞳。
 体育館に響く、凛とした声。
 滑らかに音を発する唇。
 時折、空気を求めて上下する白い喉。

 あれからずっと、俺は呼吸の仕方を忘れたままだ。



 幸いにも、俺とあいつは同じクラスだった。
 とは言え、片や学年トップの超優等生にしてクラス委員。
 俺はといえば、運動神経だけが取り柄のバスケ部員。
 できるだけ自然に声をかけて勉強を教えてもらったり、教師に頼まれたノート運びをさりげなく手伝ったり。
 下心がばれないように苦心しながら六ヶ月。
 俺はようやく、あいつと「仲の良いクラスメート」の地位を築いた。

 きっかけは、何だったか覚えていない。
 放課後の教室で二人きり、勉強を教えてもらっている最中。
 何気ない会話の中で、誕生日の話になった。
「誕生ケーキってさ、ローソク立てるじゃん。子供の頃さ、あの火を一発で吹き消せるとすげー嬉しかったなー」
「そうなのか」
 あいつはいつもどおり、淡々と答えた。
 別に、興味がないわけではない。普段から何事にも冷めているだけだ。だから俺は気にしないで話し続ける。
「お前はそういうのなかった?」
「なかったな」
「え、そうなの?」
「誕生ケーキって、食べたことがない。うちは両親とも仕事で、ほとんど家にいなかったから。あ、一応、カットされたケーキはお手伝いさんが買ってきてくれたけれど」
「マジ!?」
 通いのお手伝いさんが食事を作ってくれている、って話は聞いていたけど、そんな小さな頃からだとは思わなかった。
「じゃあ、家族で誕生会とかしたことってないわけ?」
「ない」
 あいつは淡々と答えた。
 あまりにも淡々としていて、俺はなんだか腹が立った。
 うちなんて、俺の誕生日だってのに姉貴がケーキの飾りのチョコレートプレートを食っちまって。それで大泣きしたことがあったっけ。両親は、そんな様子を笑いながら見ていた。
 こいつは、そんな誕生日を過ごしたことがないんだ。
「じゃあ、俺がお前の誕生日を祝ってやるよ」
「え?」
 あいつは怪訝そうな顔で俺を見た。
「何言ってるんだ。子供じゃあるまいし」
「いいじゃんか、俺が祝いたいんだからさ」
 あいつは珍しく、俺から目をそらした。
 眼鏡の奥の長いまつげが、半分伏せられる。
「……誕生日を祝うなんて、ナンセンスだ。誕生日が来るということは、自分の葬式がまた一年近づいたということだ。何でそれがめでたいんだ」
 あいつがそんなことを言うから、俺は何も言えなくなった。
 それきり、誕生日の話をすることはなかったけれど、俺は心に決めていた。
 絶対、こいつの誕生日を祝ってやる。

 そして当日。幸いにも土曜日で学校は休み。
 俺は片手に地図、もう片手にケーキの箱を持って、住宅街を歩いていた。
 やがて見えてくる、ひときわ大きな家。家っていうか、屋敷。敷地面積だけでも、隣の家の三倍くらいありそうだ。
 インターホンを押して、セキュリティカメラに向かって手をふる。
 しばらくして、あいつがドアをあけた。珍しく、驚いた顔をしている。普段は見られない、シャツにジーンズという私服姿が新鮮だ。
「どうしたんだ」
「言ったろ、誕生会やるって」
 笑いながら、俺はケーキの箱を見せる。
 あいつはちょっと戸惑ったような顔をしたけれど「あがれ」と言って俺を中に入れた。

 初めて見るあいつの部屋は、思ったより物が少なかった。なにせ学年トップだから、参考書が山積みされているのを想像していた。
 シンプルな勉強机に本棚。それにパソコンとCDデッキ。ごく普通の部屋だ。
 これまたシンプルなシングルベッドが目に入った時、俺の心臓がびくんと跳ね上がった。数々の不埒な妄想が、一挙に俺の脳裏に蘇る。
 平静を装いながら、俺はあいつがどこからか持ってきた座布団に座り、ケーキを床に置いた。あいつも、俺の向かい側に座布団を置いて座る。
「じゃじゃーん」
 俺が箱から出したケーキを見て、あいつは顔をしかめた。
「これって……」
「誕生ケーキって言ったら、やっぱコレだろ?」
 生クリームのホールケーキの上には、名前プラスちゃん付けで「おたんじょうびおめでとう」と書かれたチョコレートプレートが載っていた。
「ほら、ロウソク立てようぜ」
 ロウソクを十六本数え、半分を強制的に渡す。
 二人でロウソクを立てて、持参したライターで火をつけて。
「明るいと雰囲気出ないな」
 と言って、俺は立ち上がって勝手にカーテンを閉めた。
 薄暗い部屋の中、ロウソクの光がオレンジ色に輝く。
 座布団の上に戻って、あいつの顔を見た瞬間。俺は息を呑んだ。
 あいつは……笑っていた。ロウソクを眺めながら、とてもとても嬉しそうに。
 オレンジ色の光が、あいつのまつげの影を落とす。唇に光が反射する。
 唐突に俺は……キスがしたくなった。ケーキひとつでこんな笑顔を見せる、あいつが愛おしくて愛おしくて。
 だけど、俺は我慢した。今の幸せそうな顔を壊したくない。もっともっと、あいつの幸せな顔が見たい。
 あいつは勢い良く息を吸い込むと、炎を一気に吹き消した。
 部屋は薄闇に包まれ、あいつの顔が見えなくなる。
 俺はありったけの気持ちをこめて言った。
「誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
 あいつは顔をあげ、俺と目をあわせた。闇の中でも分かる、幸せそうな顔。
 あいつの唇が近づいてきた……ような気がした。あともう少し。俺が乗り出せば触れ合う距離。
 一瞬の間の後。
 あいつは立ち上がり、カーテンを開けた。
「包丁と皿を持ってくる」
 と言い残し、部屋を出て行く。
 俺は脱力し、ケーキを見つめながら、考えた。
 もし俺がキスしたら、あいつはどんな顔をするだろう。さっきみたいに幸せな顔をしてくれるだろうか。それとも、つらい思いをさせてしまうのだろうか。
 俺があいつに抱いている欲望を知ったら、あいつはどうするだろう。
 考えるだけで息が詰まる。
 今の「クラスメート」のポジションをキープするか。玉砕覚悟で告白するか。
 決断するだけの勇気は、まだ俺にはない。
 今日はただ、あいつが生まれてきてくれたことに感謝しよう。誕生会もしてやらないなんて腹が立つけど、あいつがこの世にいるのはあいつの両親のおかげだから、あいつの両親にも感謝しよう。

 いつか、俺の気持ちを伝えられたら、俺はまた呼吸の仕方を思い出せるのだろうか。



END



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衝動的に書いちゃいました。テーマは「ボーイ」の「ラブ」です。
初めての一人称です。
SSっていうか、ポエム……なのか……?




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