■ほら、こわくない■


 ドアの前で、安積は深呼吸をした。
──大丈夫。いつもあいつがやっていることだ、俺にだってできるはずだ──
 安積はチャイムのボタンに指を伸ばした。



 チャイムが鳴ると、部屋の中からいつになくバタバタとした音が聞こえた。
 中からドアが勢い良く開く。
「安積……」
 速水は、驚いたような、ほっとしたような、そんな顔をしていた。
「なにを驚いているんだ?」
 安積はいつもどおり部屋に入った。上着を脱ぎ、ソファーに腰掛ける。
 速水もいつもどおり、隣に座った。が、いつもより微妙に距離がある。ふんぞり返ることもなく、妙に行儀がいい。いつものように肩を抱いたりキスを仕掛けたりと、じゃれてくることもない。
 しばらくの沈黙のあと、安積は速水の方を見た。
「どうした? おまえが大人しいと、調子が狂う」
 速水は下を向いたまま、自分の手を安積の手に重ねた。遠慮がちなその動きが、いつも自信に溢れる速水らしくない。
 安積は言った。
「おまえ、俺がもう、この部屋に来ないと思っていたのか?」
 沈黙は肯定だった。
 安積は呆れた顔をした。
「おまえがやることにいちいち怒っていられるか。そんな無駄なことしても、俺が疲れるだけだ」
 安積の手を握る、速水の手の力が強くなった。速水が小さな声で言った。
「……俺は、どうしたらいい?」
 消えない不安。繰り返すかもしれない過ち。これ以上安積を傷つけたくない。速水は搾り出すように声を出した。
「いっそ──」
「速水」
 安積は速水の言葉を遮った。
「おまえは、説得力のない言葉を信じられるか?」
 何を言おうとしているのかが分からず、速水はようやく安積の顔を見た。
 安積はまっすぐに速水を見ていた。その顔には、優しいほほえみが浮かんでいた。
「俺はおまえと一緒にいる。ずっと一緒にいる」
 安積の声は穏やかだった。その口調は明確で、迷いはなかった。
 速水は呆然と、安積の顔を見た。安積は苦笑した。
「説得力がないだろう? 信じてくれとは、俺には言えない」
 安積は続けた。
「こんな説得力のない言葉でも、おまえが望んでくれるのなら、何度でも言う」
 だから、怒らないで聞いてくれ──
 安積はそう言いながら、ゆっくりと、速水を抱きしめた。
「おまえも、ひとりでかかえこむな」
 一瞬の間の後。速水の腕が力強く、安積を抱きしめた。
 安積の名を何度も呼びながら、額を肩にすりつける。唇がやさしく、肩口、喉、頬をたどる。
 やわらかく唇が重なった。安積は、速水の首に腕をまわした。
 深くはなく、甘えるように、互いの唇を食む。
 唇が離れ、二人は目を見合わせた。
 安積は少し照れたように笑った。
 速水はにやりと笑った。この笑い方を見るのは、本当に久しぶりのような気がする。いつもの速水の笑い方だ。
「一緒にいてくれるんだよな? 安積」
「ああ、一緒にいる」
「ずっとだぞ」
「ああ、ずっとだ」
 何度も何度も、同じ質問と同じ答えを繰り返しながら、速水が安積を腕の中に抱いた。
 速水の腕の中で、安積はようやく、緊張が解けていくのを感じた。
 
 
 
 こわかった。不安だった。
 速水が、自分と共にいることを諦めてしまうのではないかと思った。それがこわかった。
 それでも、不安を見せず、余裕のあるふりをして。
 自信をもって、強引に自分の気持ちを伝える。
 速水がいつも、自分の前でやっていることが、こんなにも大変なことなのだと、安積は知った。
──ずっと一緒だ──
 何の保証もない言葉だ。少し前までは、口にできなかった。
 それでも、時には速水のように、まず声に出して言ってみる。それもいいのかもしれない。
 口に出した言葉が、本当になればいい。いや、本当のことにしたい。
 あたたかい速水の体温を感じながら、安積はそう思った。



END




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「喰らい尽くす」の補完です。
あれだけだと、ちょっときつかったので、いつもの二人に戻しました(笑)。

イメージは、「テトとナウシカ」です(大笑)。
人間であるナウシカが自分から指を出して、それを獣であるテトは噛むのです。
でも噛まれたナウシカは、「ほら、こわくない、怯えていただけなんだよね」って言うのですよ。
ナウシカだって、きっとこわかったんです。ナウシカがこわさから逃げなかったから、テトはナウシカを信頼したのですよ。
……って、何が言いたいのかというと。
獣を躾ける、って、こういうことなのかなあ、というお話です(笑)。






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