■雨の朝■


 バタバタと何かを打つ音がする。
 速水はゆっくりと目を開けた。
 部屋の中が薄暗い。夜明けのそれとは少し違う、白っぽさだ。強い音が窓の外から聞こえる。
──雨か──
 速水はベッドの中から腕を伸ばし、カーテンの端を少しだけずらした。打ち付ける水の粒が窓ガラスに大きな跡をつけている。
 隣で安積がもぞもぞと動いた。ひんやりとした空気から逃れるように、布団の中に肩までもぐりこむ。
 雨音に混じり、かすかに寝息が聞こえる。
 速水は、安積の顔を見た。唇が僅かに開いている。だが、薄暗いせいで表情までは分からない。
 速水はそっと、顔を近づけた。
 安積は眉間に皺を寄せることもなく、眠っていた。力みのない表情は、少し笑っているようにも見える。
 その顔を速水はじっと見つめた。こんなふうに、いつまでも寝顔を眺めていられるのは二人の休日が重なる朝だけだ。
 静かな寝息を聞きながら、速水は自分の頬がゆっくりと緩むのを感じた。
 安積の寝顔が穏やかであることが、こんなにも嬉しい。
 それは、安積が自分の傍で安らかな時間を過ごしていることに対する純粋な喜びであり、また、無理をさせているのではないかという不安が打ち消される安心だ。
 そしてもうひとつ──かつて、自分以外の人間の傍で眠っていた頃、安積の寝顔はこんなにも穏やかだっただろうか?──
 自分に都合のいい想像だということは分かっている。安積にはとても聞かせられない、みっともない感情だ。
 速水はそっと、安積の頬に触れた。安積が僅かに表情を動かした。幸せそうに笑ったように、速水には見えた。
 雨音が強くなった。
 安積がゆっくりと、目を開けた。
「……雨……か?」
 ぼんやりとした声に、速水は優しい顔で笑った。多分、安積は起きてはいない。耳から聞こえた音に、口がそう尋ねているだけだ。
「もう少し寝ていろ」
 速水の声に、安積は何か返事をした。少しだけ手を伸ばし、速水の腕に触れる。そのまま安積は、目を閉じた。
 先ほどと変わらない、穏やかな寝息が聞こえる。
 速水はそっと、安積の手に自分の手を重ねた。伝わる温かさが、速水の中にある感情を僅かに溶かす。
──安積が穏やかに眠っている。それだけでいい──
 速水はそっと、安積の額に唇をあてた。


END




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