■まるでリボンをほどくように■


 ベッドの上で、速水は安積の肩に毛布をかけた。
 夏も終わり、夜は少し肌寒い。
 安積が小さなくしゃみをした。
「寒いか?」
「いや、平気だ」
 そう言いながら、安積が速水に身体を寄せた。Tシャツから伸びる腕が速水に触れる。いつもより少し、冷たい。
 速水は起き上がり、クロゼットから長袖のシャツを取り出した。
 ありがとう、と安積が素直に礼を言った。
「次に来る時には、スウェットでも買ってくる」
 安積がもぞもぞとシャツを着る。速水のシャツは、安積には少し大きい。袖口からは僅かに指先が覗き、首周りからはTシャツがはみ出している。
 可愛いな──そう正直に言いたいが、へそを曲げることは分かりきっている。速水はただ笑った。
「わざわざ買うこともないだろう? 俺のを貸してやる」
「いつもそういうわけにはいかないだろう」
 安積が生真面目な顔で言う。
 速水は苦笑した。安積は、洗濯物が増えるのを気にしているのだ。
 速水の部屋から帰るとき、安積は必ず自分が脱いだものを持ち帰る。
──洗っておくから置いていけ──と速水が言えば。
──そこまで甘えられるか──と答える。
 ただでさえ、タオルやシーツを洗うのは速水なのだ、自分のものまで洗ってもらうわけにはいかない。それが安積の言い分だ。寝巻きを借りれば、タオルと同じように、速水が洗うことになる。
 速水にしてみれば、今時の洗濯機は、ただ放り込めば乾燥までやってくれる。別に何も手間ではない。
 が、安積にとっては、そういう問題ではないようだ。
 安積がベッドに潜り込んだ。速水の身体を引き寄せ、ぴったりと抱きつく。
 やがて、体温に安心したように、安積は寝息をたてはじめた。
 速水はしばらく、その寝顔を眺めていた。
 安積がこの部屋に来るようになって、数ヶ月。
 この部屋にある安積の私物は、洗面所のコップと歯ブラシ、そして僅かな着替えだけだ。もちろんワイシャツはクリーニング済み、それ以外も全て、洗濯された状態で安積が持ち込んだ物だ。安積が脱いだものを置いていくことはない。
 その律儀さが、いかにも安積らしいし、好ましいところだ、と速水は思う。
 だが。
──もう少しくらい、甘えてもいいんだぞ──
 速水は、眠っている安積の額に軽く、唇をあてた。


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 数日後。
 速水の部屋に入るなり、安積は小さな声をあげた。
「しまった!」
「どうした?」
「スウェットを買い忘れた!」
 本気で悔しそうな顔に、速水は笑いながらテーブルの上を指した。そこには、量販店の袋があった。
「おまえのだ。開けてみろ」
「え?」
 話の流れから、中身はスウェットだろうと安積は思った。
「すまない、いくらだった?」
「高いものじゃなし、別にかまわんさ。気になるなら、今度、飯をおごってくれ」
 申し訳ないと思いつつ、でも少しだけ嬉しさを感じながら、安積は袋を開けた。
「……」
 それは、パジャマだった。水色の地に青いストライプ、綿100%の、ごく普通のパジャマだ。
「おい、速水。買っておいてもらって何だが……俺はもう何年も、パジャマなんて着ていないぞ」
 速水がにやにやと笑った。
「たまにはいいだろう?」
「いや……しかし……」
 そもそも、速水はパジャマを着ない。たいていは、スウェットやTシャツだ。上半身は裸でいることも多い。
 何故、自分だけがパジャマなのか?
 安積の疑問をよそに、速水は言った。
「とりあえず、試しに着てみろ。気に入らなかったら、次は自分で買ってこい」


 風呂から上がり、安積はパジャマに袖を通した。
 着慣れない薄手の生地が、少し、頼りなく感じる。だが、肌に触れる感触は悪くない。
 部屋に戻ると、速水はベッドに腰掛けて雑誌を読んでいた。顔を上げた速水は、安積を
上から下まで眺め、満足そうに笑った。
「……なんだ?」
「いや、なんでもない」
 意味ありげな表情が少し気になりつつ、安積はいつものように、速水に近づいた。ベッドに片膝を乗せ、正面から速水の首に腕をまわす。
「安積、今日はこっちだ」
 速水は安積を後ろ向きにし、腰を抱き寄せた。自然に安積は、速水の足の間に座る形になる。
 首の付け根を唇が這い、安積は身震いした。
 速水の腕が、後ろから抱きしめてきた。その手がそのまま、パジャマのボタンにかかる。
 後ろからゆっくりとボタンをはずしていく、この行動に安積は覚えがあった。仕事帰りでシャワーを浴びる前、速水は時々、後ろからワイシャツのボタンを外そうとする。わざとゆっくりと外されるのが気恥ずかしく、たいてい安積は浴室に逃げ込むのだ。
「……おい、速水」
「ん?」
「おまえ、まさかこれがやりたくてパジャマを買ったのか?」
「いつもはなかなか、最後まで脱がせられないからな」
 速水が後ろで笑う。
「悪趣味だぞ」
 憮然とした声で言いながらも、安積は速水の腕の中に身体を預けた。呆れ半分なのが正直な気持ちだが、いやなわけではない。ただ、速水があまりにもやさしくボタンを外すので、いささか大事にされすぎているような気がして、いたたまれないのだ。
 速水がゆっくりと、二つ目のボタンを外した。悪戯をするように、そっと素肌に指を滑らせる。安積の口から甘い息が漏れた。
 三つ目のボタンに指をかけながら、速水が言った。
「安積、このパジャマは、持ち出し禁止だからな」
「なに?」
 当然のように持ち帰って洗うつもりでいた安積は、僅かに渋い顔をした。
「おまえに洗濯させるわけにはいかないと、言っているだろう」
「いいや、これは俺の権利だ。俺が使うんだから、俺が洗う」
「使う?」
 いやな予感に、安積は眉を顰めた。
「そうだ。おまえが来なくてさびしい夜に、使わせてもらう」
 速水は『さびしい』を強調した。
「何に使う気だ!?」
 思わず顔を赤くして叫んだ安積に、速水はにやりと笑った。
「寝る前に、このパジャマをおまえだと思って、おやすみと言う」
「……」
「何をすると思った?」
「うるさい!」
 冷静に考えれば、パジャマ相手に挨拶をするのも十分に恥ずかしい。
 が、もっと恥ずかしいことを想像していた安積は、それどころではなかった。
「だから、さびしい俺のささやかな楽しみを盗るんじゃないぞ」
 速水は最後のボタンを外すと、安積の胸に手を這わせた。同時に、首筋に軽く噛み付く。
「ん……っ」
 安積の手が、速水の腕に重なる。肩から、パジャマの上衣が滑り落ちた。
 速水は安積をベッドに引き上げ、のしかかった。そのまま唇を重ねようとする。
「ちょっと待て」
 安積がもぞもぞと動いた。
「どうした?」
「脱がないと……寝るときに着られなくなる」
 仰向けに寝た体勢のまま、安積はパジャマを脱ごうとしていた。
「着られなくなるほど、汚すつもりか?」
 低い声で囁くと、安積の身体がひくりと震えた。速水を睨む目は、既に潤んでいる。
 速水はゆっくりと、パジャマのウエスト部分に手をかけた。下着ごと脚から引き抜き、ベッドの下に落とす。
 安積の首筋に顔を埋めた速水の耳に、小さな声が届いた。
「……ありがとう」
 速水は優しく笑った。そして、今度こそ本当に、唇を重ねた。


END




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