■無線■


 安積は、運転席の男をちらりと見て、そっと溜息をついた。
 完全にリラックスしてハンドルを握る姿は、まるでこれからドライブに行くかのようだ。うっすらと笑みすら浮かべている。
 職権濫用ではない──と思いたい。
 安積はもう一度、溜息をついた。

 確かにここ数日、事件が立て続けに起こっていた。安積を含め強行犯係のメンバーは全員、朝から晩まで、連日走り回っていた。別にそれが、つらいわけではない。それが刑事の仕事なのだ。
 だが、気持ちとは裏腹に、身体に疲れがたまっていたのは事実だ。
 課長への報告のために一人で現場を離れ、重い足で駅へ向かっていたところに、良すぎるほどのタイミングで速水のパトカーが通りかかった。
 パトロール終わりで署に戻る途中だ、乗っていけと言われ、もちろん一度は断った。が、結局、乗ってしまった自分が情けない。署までは車で、わずか十五分の距離だ。
 だいたい、パトロールは二人一組ではないのだろうか? 何故、この男は一人でパトカーに乗っていたのだろう。
 その理由を安積は考えないことにした。

「だいぶ、お疲れのようだな、ハンチョウ」
 いつの間にか、ぼーっと外を眺めていた安積に、速水が声をかけた。
「まあな」
 安積は窓から流れる景色を見ながら答えた。
「事件を起こす奴は、刑事の都合なんて考えちゃくれない」
 いまさら言うまでもない。
「ハンチョウ、疲れているところに言いづらいんだがな」
 速水が、言いづらい、とは珍しい。軽く驚いて顔をあげると、速水はにやりと笑った。
「今週末、俺は土曜日が第一当番、日曜日が第二当番だ」
 何が言いづらい、だ。要するに、土曜の夜は空いている、ということだ。
 安積はむっとした顔をし、助手席の前にある無線機に目をやった。
「……それまでに片付いたら、行く」
 安積の答えに満足したのか、速水が笑った。
「ところで、ハンチョウ」
「なんだ?」
「知ってるか? 無線はボタンを押しながら話さないと、こっちの声は聞こえないんだ」
「……」
 そんなことは百も承知だ。何年、警察にいると思っているんだ。
「だからそんなに、いちいち確認しなくても、俺たちの会話は聞かれやしないぞ」
 速水のからかうような声に、安積は思わず、口をへの字に曲げた。
「……わかっている」
 そもそも、別に聞かれて困るような会話をしているわけではない。
 だが安積は、どうしても無線機を確認してしまう。速水と二人でパトカーに乗っている時、たとえばさっきのように二人だけの約束をする場合に。
 万が一、ボタンが何かにひっかかって、押された状態になっていたら。
 現実にありえないほど可能性が低いと分かっていても、安積の目は無線機を見てしまうのだ。
 以前は、無線など全く気にしていなかった。張り込みの車の中、村雨や須田と、お偉いさんにはとても言えないような捜査の話をしていた時でさえ、そんなことは考えもしなかった。
 無線を気にするようになったのは、速水との関係が変わってからだ。
 パトカーに乗っているのは、移動手段にすぎない。職権濫用はともかく、後ろめたいことは何一つないはずだ。
 なのに、仕事中に速水と二人きりでいるという、この状況に、安積は罪悪感を感じてしまう。今日のように、一週間以上も二人きりで会っていない時は、特にそうだ。
 仕事中だからこそ余計に、たとえ誰に聞かれていなくても、速水との関係をあからさまにするような言葉は言いたくない。無線機を見るのは、自分への戒めだ。
 隣で速水が笑った。
「どうせなら、聞かれて困るような台詞のひとつでも言って欲しいんだがな。
 なあ、ハンチョウ」
「うるさい」
 安積はますます、不機嫌になった。
 だいたい、なんだかんだ言っても、速水も同じなのだ。
 速水は仕事中はたいてい、安積をハンチョウと呼ぶ。二人きりのパトカーの中でも、それは同じだ。速水なりの、仕事とプライベートの線引きなのだろう。
 やがてパトカーは、見慣れた建物の駐車場に滑り込んだ。
 安積は助手席で、ネクタイの緩みを直した。
 これから課長に、状況を報告する。その後、報告書を書いて、終わったら部下と合流して、聞き込みだ。やることは山ほどある。
 パトカーを降りた安積は、助手席のドアに手をかけたまま、運転席に向かって素直に礼を言った。
「助かったよ」
 そのままドアを閉めようとすると、速水が中から声をかけた。
「安積」
 名前を呼ばれ、安積は驚いて速水を見た。
 速水は笑った。
「十五分くらいデートしたって、バチは当たらんさ」
 デート? たった十五分の、この時間が?
 その時、遠くから速水を呼ぶ声が聞こえた。交機隊の制服を着た男が走ってくる。速水には速水の仕事があるのだ。
 安積はパトカーを離れ、署の建物に向かった。
 久しぶりに呼ばれた名前が、耳に残る。
 それにしても、速水の口からデートなんて言葉が出てくるとは思わなかった。
 安積は、自分の頬が緩むのを感じた。心なしか、足が軽く感じられる。
 もし、またパトカーの助手席に乗ることがあったら、また自分は無線を見るだろう。
 そして、ボタンが押されていないことを確認したら、もう少しだけ気の利いたことを言おう。
 そんなことを思いながら、安積は外階段を上った。


END


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なんちゃって無線です。
パトカーの無線はPTT(Push To Talk)だと思い込んでいたので、こんなお話になりました。
よく考えたら、ドラマ版ハンチョウで安積さんが、無線でしゃべる時に口を近づけて、聞く時に口から遠ざけるシーンがあったような気が。
ってことは、自動認識なのかしら???
実際に、パトカーの無線がどうなっているかなんて全然知らないので、大間違いだったらごめんなさい。
まあ、雰囲気ってことで(笑)







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