■月■


 深夜営業の遊興施設から出てきた安積は、小さくため息をついた。
 有力な情報が得られないまま、何日が過ぎただろうか。
 数日前に事件が起こった。発生の推定時刻は午前零時頃。
 安積を含めた強行犯係のメンバーたちは、連日、深夜の街を聞き込みにまわっていた。

 安積は腕時計を見た。
 午前一時過ぎ。
 道にたむろす若者は徐々に減り、店の明かりも消えていく。
 街が暗さを増すにつれ、丸に近い形の月が安積の足元に影を作る。
 
 通りの向こうに人影が見えた。村雨と桜井だ。
「どうだった?」
 安積の問いに、村雨は首を横に振った。
 さすがに少し疲れた顔の村雨を同じく疲れた顔の桜井が伺う。
「今日も空振りですね」
 桜井の言葉に、村雨が答える。
「明日になれば、きっと何か、進展があるさ」
 村雨の言葉に、桜井が少し笑った。
 これはこれで、いいコンビかもしれない。安積はそう思った。
「今日は切り上げよう。直帰してくれ。須田たちには伝えておく」
 わかりました、と村雨が答えた。軽く頭を下げ、二人は去っていった。
 
 人通りのない、深夜の道路。頭の上の月が、少しだけまぶしい。人工の光が多いこの場所では、珍しいことだ。
 なんとなく、もう少し近くで月を見たくて、安積は歩道橋を上った。歩きながら須田に電話をかけ、二人に直帰を指示する。
 携帯電話を閉じると、安積は、歩道橋の柵に肘をついた。
 薄暗い街灯と月の光が、地面に自分ひとりの影を作る。
 見下ろす道路を赤いランプが通っていく。巡回のパトカーだろう。サイレンは鳴っていない。形をみればすぐ分かる、交機隊のものではない。
 たとえ交機隊のパトカーだとしても、乗っているのは別の隊員だ。
 安積はもう一度、腕時計を見た。
 午前一時を過ぎ、もう少しで三十分になる。
 ひんやりとする風が流れ、安積は思わず首をすくめた。
 安積は、手に持ったままの携帯電話を見つめた。
 速水は明日は、早朝からの当番だ。今頃はもう、眠っているだろう。
 最後に速水のマンションへ行ったのはいつだったか──
 歩道橋の上を風が吹き抜ける。
 もしかしたら、まだ起きているかもしれない。眠っていたとしても、起こされて怒ることはないだろう。
 電話をかけて、そして──何を言えばいい? 言える言葉など、ひとつしかない。
 
 ──今日は月がきれいだぞ──
 
 安積は携帯電話を開き、しばらく見つめ、そして閉じた。
 歩道橋を下り、署へ向かってゆっくりと歩く。
 月がきれいなことなんて、事件が片付いてから言えばいい。

 今日は刑事部屋のソファーで寝よう。
 安積はそう思った。


END




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