■春のあなたは花の色■


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【はじめに】
このお話は、とある漫画(商業誌)のネタをそのまんまパクってます。
ご了承くださいませ。
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 刑事部屋に、くしゃみの音が響き渡る。
 村雨が苦い顔で、桜井を見た。
「すみません、今日は花粉が多いみたいで……」
 鼻をかみながら、桜井が涙目で言い訳をする。
「つらそうだねえ」
 須田が、心の底から同情したように言う。
「そんなにつらいものなのか?」
 安積は桜井に尋ねた。
 花粉症に縁がないので、実際のところ、どれほどつらいのか安積には分からなかった。ただおぼろげな知識で、くしゃみや鼻水かひどいことは知っている。それと、おそらくイメージの問題であり偏見だとは分かっているが、若い者の方が花粉症になりやすいような気がしていた。もちろん、その若さが羨ましいとは思わない。
 安積の問いかけに桜井は、そうなんですよ、と、ここぞとばかりに花粉症のつらさをアピールした。
「目も痒いから、涙が出るんですよ。それと少し熱っぽくって、頭がぼーっとするんです」
「治療法はないのか?」
 安積の言葉に、桜井は顔を輝かせた。
「これが効くらしいんですよ!」
 桜井は引き出しから、なにやらいろいろと取り出し、机の上に並べた。
 サプリメントのようなものもあれば、茶と書かれた袋もある。
「これが……を含んでいて……効果が高いんです。こっちは……が入っていて──」
 どこの国の言葉なのか分からない単語を並べる桜井に、安積は、尋ねたことを少し後悔した。
「ああ、それ、テレビで見たことがあるよ」
 須田の助け舟に、安積はほっとした。
「須田、おまえは大丈夫なのか?」
「大丈夫だと思いますよ? 今まで一度も、そういう症状になったことはないですから」
 須田はこんなところまで、ツキに恵まれているらしい。安積は村雨を見た。
「私も大丈夫ですが、妻が、ひどい花粉症ですよ。毎日マスクをして、つらそうにしています」
 村雨の妻が花粉症だと聞くと、素直に気の毒だと思ってしまう。目の前の桜井をあまり気の毒だと思わなかったことに気づき、安積は少し、申し訳ない気分になった。
 安積は最後に、黒木を見た。黒木がくしゃみをしているところをあまり見た記憶がない。きっと大丈夫なのだろうと、安積は思った。
 今まで会話に参加していなかった黒木は、静かに言った。
「俺は毎年、二月から病院で薬をもらっていますから」
 症状のひどい人は早い季節から薬を飲むんですよ、と須田が説明してくれた。
 安積は少し、驚いた。黒木と花粉症のイメージがつながらなかったのだ。
 安積の表情を見て、須田がこっそり笑った。
──チョウさん、何気に、ひどいこと考えてるなあ。桜井と黒木は三つしか違わないんですよ──




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 翌日。
 刑事部屋に、くしゃみを噛み殺す音が響いた。
 村雨が驚いたように、安積を見る。
「すまない」
 安積はティッシュを手に取りながら、もう一度、くしゃみを抑えた。
 朝から鼻がむずむずすると思ったら、くしゃみがとまらない。鼻水が出る。目に涙がにじむ。
 桜井が、少しだけ嬉しそうな声で尋ねた。
「係長も花粉症ですか?」
 そんなはずはない。
 だが、昨日、桜井に聞いた症状は、ほぼ全てあてはまる。安積は絶対に、それを認めたくなかった。
「今日は外が埃っぽいからな。そのせいだろう」
 平静を装い、書類に向かう。だが、頭の回転が鈍く、なかなか作業が進まない。
「はい、どうぞ」
 桜井が湯飲みを差し出した。
 村雨もいい加減、お茶汲みなどやめさせればいいのに──そう思いながら湯飲みに口をつけた安積は、次の瞬間、吹き出しそうになった。
「チョウさん!? 大丈夫ですか!?」
 須田が驚いて立ち上がった。黒木が駆け寄り、取り落としそうになった湯飲みを受け止める。
「……桜井。これは何だ……?」
 予想していた緑茶とは全く違う、甘ったるい味に、安積は顔をしかめた。
「花粉症に効くお茶ですよ」
 桜井が得意げに言う。村雨が目で制止していることに、気づいていない。
 安積は努めて冷静に言った。
「桜井。私は花粉症ではない」
 意図したわけではないが、その声は、取調室で容疑者と話す時のように低かった。
 メンバー全員が固まる。
 その時、聞き慣れた声が刑事部屋に響いた。
「おいおい、何の騒ぎだ?」
 メンバーは全員、入り口を見た。この青い制服姿が、これほど頼もしく見えたことはなかった。
 いつもどおり、ずかずかと入ってくる速水をぼんやりと安積は見ていた。
 この男は、花粉症など無縁なのだろうな──
 もし速水が花粉症になったら、さぞかし、やかましいくしゃみが署内に響き渡るのだろう。それを想像し、安積は顔をしかめた。
 速水が安積の顔を見た。
「なんだ、ハンチョウ、風邪か?」
「花粉症ですよ」
 すかさず桜井が言う。
 須田は、村雨の表情を見て思わず首をすくめた。
 殴り倒してでも黙らせたい──村雨はそういう表情をしていた。
「花粉症?」
 速水がもう一度、安積を見た。
 安積は目を逸らした。なんとなく──特に理由はないのだが、花粉症だと速水に知られるのが恥ずかしい。
 この男はまた、人の悪い笑顔で、自分をからかうのだろうか──
 速水は真顔で言った。
「どう見ても風邪だろう? 症状は?」
 安積は、だるさに耐えながら、重い口を開いた。
「……くしゃみ。鼻水。頭の回転が少し鈍い。あとは微熱……か? 計ってはいないが」
「微熱?」
 速水が安積に顔を近づけた。
 須田と黒木が、その先を予測し、固まった。
──こんなところで、額で熱を計ったりしないでくさだいよ!!
 予想に反し、速水は安積の顔を見ただけだった。
「三十八度──はないな。だが、まだ上がりそうだぞ」
──あなたの目は、サーモグラフィですか!?
 須田が心の中で叫ぶ。



 黒木がちらりと、村雨を見た。村雨は黙々と、書類に向かっていた。この状況に対し、完全に、無視を決め込んでいる。
 桜井だけが、状況が飲み込めず、きょろきょろと周りの人間を見ている。
 速水がそっと、安積の頬に触れた。
「熱いな……」
 須田はその瞬間に後ろを向いたので、その場面を見ずに済んだ。しかし、いつも俊敏な黒木は珍しく反応が遅れ──というより、目が離せず、その場面を見てしまった。
 安積は、頭が回らないのか、されるがままになっている。速水の手を振り払おうともしない。潤んだ瞳が速水を見上げ、薄く開いた唇が浅い呼吸を繰り返している。
 速水が僅かに、安心させるように笑った。それは、黒木が今まで見たことのない、とても優しい顔だった。



 一瞬の後、速水はいつもの顔に戻り、にやりと笑った。
「治ったら交機隊に来いよ。鍛えりゃ風邪なんかひかなくなるぞ」
「治っても行くもんか」
 潤んだ瞳で、安積は速水を睨んだ。
「とにかく、今日は早く帰って休め」
 速水はそう言いながら、部屋を出て行った。
 すれ違いざま、速水の小さな呟きが偶然、須田にだけ聞こえた。
──髪が濡れたままなのは、まずかったか。乾かしてやれば良かったな──
 須田はため息をついた。
 つまり、係長が風邪をひいたのは、髪が濡れたのが原因だということだ。そして、速水小隊長は、その髪を乾かすことが可能だったのだ。
 髪が濡れたままで何をしていたのか──須田は安積の心中を思い、それ以上想像するのをやめた。
 桜井が、おそるおそる、安積に声をかけた。
「係長、本当に風邪なんですか?」
「……そう考える方が、筋は通るな」
 村雨が桜井を見た。
「桜井。俺たち全員に責任があるが……何事も、予断は禁物だ」
 始まりは、桜井が安積に言った「花粉症」という言葉。桜井のミスリードだ。
 だが、プロの刑事が揃いも揃って、その言葉に乗せられた。全員が、なんとなく気まずい気持ちで、目を逸らす。
 沈黙の後、黒木が遠慮がちに言った。
「係長──今日は定時であがってください」
「……そうさせてもらおう」
 安積はぐったりと、椅子の背もたれに身体を預けた。
 花粉症でなくて良かった。
 だが、風邪をひいた原因を思うと、それはそれで、少し落ち込む。若いころは、こんな理由では風邪をひかなかったはずだ。
 体調管理はしっかりとしよう。そうでないと、部下たちに迷惑がかかる。
 安積の落ち込みをよそに、臨海署内には少しだけ幸せな空気が漂っていた。
 今日、幸運にも強行犯係の安積係長を見た署員は、その姿を脳裏に焼き付けていた。潤んだ目、染まった頬、薄く開いた唇。それらに胸を高鳴らせた署員があちこちにいた。
 そして、一番胸を高鳴らせたのは──それを見慣れている速水を別にすれば──安積のすぐ近くにいる、黒木だった。





END




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