スポーツコラムNo.54

日本に言論の自由はあるのか(2010/6/22)


このサイトでは基本的に言いたいことを実名で記し、某選手、某団体などというぼかす表現はしないように心がている。
しかし、報道機関では奥歯に物が挟まった言い方なり、タブーで触れられなかったり、黒を白と報道するところまである。

そのことをよく表していたのが今回のワールドカップのオランダ戦の中村俊輔への報道の仕方だ。
オランダ戦のあのパフォーマンスを批判できないメディアは報道の看板を下ろした方が良いというほど誰が見ても場違いなプレーをしていた。

中村俊輔は日本代表のユニフォームを提供している日本サッカー協会のメインスポンサーでもあるアディダスの生涯契約選手でアディダスにとってはどんなことをしてでも世間的評判を落としたくない選手だ。

そして中村俊輔は報道機関が絶対に逆らうことが出来ない創価学会信者ということがメディアで批判が起きない最も大きな理由だろう。
中村自身は特に熱心な信者ということではないとのことだが(母親との繋がりで入信させられているというのが実情なのだろう)、創価学会が信者の有名人を広告塔にするのは当たり前のことで、中村に対する批判は許さないと考えているのは想像に難くない。

時にインターネット上で中村を批判する記事がアップされてもほどなく「記事は存在しません」となり、アディダスか、創価学会からの抗議かは定かではないが中村に対する記事にネット上でさえ目を光らせている。

CSのプロサッカーニュースで夕刊フジの久保武司が23人発表前に中村俊輔が落選すると記事を書いたことに関して”様々なところからお叱りの言葉を頂いている”と話していた。
世間一般でネタとしてしか受け取られない夕刊タブロイド紙にさえ創価学会の圧力は強く、もっと一般的に信頼の高いメディアでは創価学会に関した批判的な報道はほぼタブーとなっている。

創価学会は警察、マスコミ、検察、政治(公明党)と権力を握る機関に信者を送り込んでいると言われ、創価学会に関連した批判的な報道が出れば大量の嫌がらせ電話が来るなど仕事にならないという話もある(これは在日韓国人・朝鮮人に関しても同様)。

日本には憲法で言論の自由が認められているが、果たして本当の意味で言論の自由があるかと言われれば疑問だ。このように匿名であればお茶を濁した発言をしている解説者もばっさりと俊輔を批判したいのが本音だろう。しかし、本音を語れば仕事を失ってしまい、下手をすればサッカー界から追放されることさえ可能性としてはあるかもしれない。
創価学会だけに限らず、芸能事務所所属の選手を批判するのも難しいかもしれない。芸能事務所というのはかなりの確率で暴力団と繋がっているのは公然の秘密で身の危険を冒してまで批判をすることに及び腰になってしまうのは仕方ないと言えるかもしれない。

正論を堂々と言えない日本のメディアの状況は北朝鮮や中国を笑うことは出来ない。特に中国はスポーツに関しては日本よりも遙かに客観的な目を持っており(政治が不自由な分だけスポーツに優秀な記者が集まっているのかもしれない)、今回の中村のパフォーマンスをJ2の選手が混じっていたと酷評しており、日本の大手メディアが踏み込むことのできない領域にあっさり踏み込んでいた。もちろんしがらみがないからこそ素直に表現できているのは間違いない(中国も自国の政治に関しては絶対にこうはいかない)。

経済一流、政治三流と言われたりする日本だが、国民の世論形成に大きく影響を及ぼすメディアは三流どころのレベルではないのは確かだ。このサイトでは散々メディアに関して取り上げてきたが、改めてこの国のメディアの在り方は厳しく見直されなければなならないと感じた。
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