−フェルプスを霞ませたボルト− 北京五輪の前半が終わった段階でこの五輪の主役はマーク・スピッツの7冠を上回って8冠を達成した(うち7世界新)マイケル・フェルプスになるだろうと多くの人が思ったことだろう。 しかし、陸上短距離でサンダー・ボルトの異名の通りこれまでの価値観を破壊するかのような雷のようなショックを全世界に与えた。 フェルプスの方が獲得した金メダルの数は大きく上回り、打ち立てた世界記録の数も上で両者とも前人未到の記録を打ち立てた。しかし、水泳と陸上では世界記録や金メダルの価値は異なるというのが正直なところだ。 フェルプスは7つの世界記録をマークしたが、水泳というのは非常に頻繁に世界記録が塗り替えられる。さらに今回は水着ドーピングともいえる100m当たり0.5秒以上の短縮が見込まれるスピード社のレーザーレーサーの登場もあり、さながら世界記録のバーゲンセールとなった(全32種目中延べ25回の世界記録更新)。 フェルプス自身もアテネで6冠を達成しており、他国が強い4×100mフリーリレーさえ金メダルが取れれば8冠の可能性は十分あると見られていてフェルプスが8冠を達成してもそこまで大きな衝撃は与えなかった。 対してボルトのパフォーマンスは誰もが度肝を抜かれた。水泳よりも遥かに競争の激しい陸上短距離で圧倒的なスピードを見せた(水泳で最も競争の激しい自由形50&100mにフェルプスは出場していない)。100mでは最後流した状態で9''69の世界記録をマークした。流さなければ9秒6台半ばの記録は出ていたと思われ、100分の1〜2秒ずつ更新されていくのが当たり前の100mの世界記録の変遷の常識を破るような走りだった。 そして200mでも世界中を驚かす。200mの世界記録は1996年アトランタ五輪でアメリカのマイケル・ジョンソンがマークした19''32でこれは数十年時代を先取りした記録と言われ、世界歴代2位のタイソン・ゲイを0.30秒引き離している陸上を知る者にとっては非常にレベルの高い世界記録だった。 向かい風0.9mという悪条件の中でその世界記録を更新する19''30をマークするというのはいかにボルトが怪物であるかを示している(2位以下の選手がゴール後呆れたような表情をするのも当たり前のレベルが違いすぎる記録)。 ボルトがとてつもない衝撃を与えたのはその身長にもある。水泳は大男で足が大きく短足が有利(脚は沈みやすいため)でまさにフェルプスは理想的な体を持っている。 しかし、陸上短距離ではこれまで大男はスタートに不利でストライドは大きくてもピッチが伴わず180cm前後の人間が最も100mに適しているとアメリカ人コーチなどは考えていた。 ところが2m近い196cmのボルトはこの常識を打ち破る。190cmの同じジャマイカ人で前世界記録保持者のアサファ・パウエルのような特別な技術でスタートから飛び出すということはないものの、他のスプリンターと同程度のスタートダッシュを見せて中盤以降の圧倒的な加速力で世界記録を打ち立てた。 ボルトの走りを見て思うのは前傾姿勢が素晴らしいことだ。前傾するということは重心が前に来て骨盤も前傾し、離地場所と重心との距離が遠くなり爆発的な加速力を生み出す源となる(重心が前に来ることによって接地も前から出来、地面を押す距離も長く取れ加速が増す)。前傾を保つにも強力な筋力が必要で地道な筋トレがボルトの加速力を支えているのだろう。2004年のアテネ五輪200m一次予選のボルトの走りもTVで見たが明らかに前傾姿勢が取れず体が突っ立った状態で走っており予選落ちしても仕方ないと感じた。 22歳になったばかりのボルトが好条件で100m、200mを走るとどのようなタイムが出るか想像できないほど衝撃的なボルトの走りだった。故障がない限り当分はボルト時代が続くというのは誰もが感じたことだろう。それほど他のスプリンターとはレベルが違いすぎる。 −さすがの北島− 日本勢で最も印象に残ったのは世界記録と五輪新記録で2大会連続の2冠を達成した平泳ぎの北島康介だろう。 北島の素晴らしいところは明確な目的を持って予選から泳ぎ、そして予定通り世界記録を達成して100mを制したことだ。 予選からノルウェーのダーレオーウェンが五輪新記録を連発して決勝を前にして優位に立っているかに思えた。 しかし北島の予選・準決勝を見ると決勝で最高のパフォーマンスを出すためのテストレースだったことがよく分かる。 予選は前半の50mを28''34とゆっくり入って後半勝負のレースを行い、準決勝では一転して前半から飛ばして27''84と50mの日本記録に近いペースで飛ばして後半どのような反応を示すか試した(速く入りすぎて後半失速した)。 決勝前日の新聞では”プロの目”と称して元水泳選手がダーレオーウェンを焦らせるために前半を27''6で入るべきと頓珍漢な事を書いていたが、北島と平井コーチはどのようなレースをすればいいかきちんと分かっていた。 大きな泳ぎで後半に余力を残した状態で前半の50mを泳ぐ。タイム的には予選と準決勝の中間の28''0くらいで入ると最も良いタイムが出るというのが分かっていたのだろう。 ライバルと目されたダーレオーウェンは前半50mを北島よりも速かったが、ターンまで10m前後のところから前を行く北島を追うためにピッチを上げてスピードアップして北島の前でターンしたものの体力を消耗したために後半が持たなかった。 北京が始まる前に想定していた世界記録決着を見事成し遂げた北島康介。200mで自身の世界記録を更新できなかったのは悔しかっただろうが、世界記録と五輪新記録での2冠は見事としか言いようがなかった。 |
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