スポーツコラムNo.20

陸上界の人気実力乖離(2006/12/31)


−箱根駅伝が日本男子長距離を世界からさらに遠ざける−

正月恒例で非常に人気の高い箱根駅伝。正式名称は東京箱根間大学往復駅伝競走で駅伝の関東地域の大学ナンバー1を決める大会だが、実質的に全日本大学駅伝を超える大学駅伝ナンバー1を決める大会になっている。

なぜ箱根駅伝が全日本大学駅伝を超える大会になったかというとまず挙がることは1987年に完全TV中継が行われるようになり、正月1月2〜3日に開催と昼間にTVを見やすい日程で広く国民に知られるようになった。各年度大学駅伝最後の大会で、いわば決勝戦の位置づけになり、1区間の受け持ち区間が20kmを超え、全日本の8区約100kmに比べて、10区で217.9kmと総合力が求められるので実質日本一を決めるのにふさわしいように感じられる。

しかし、箱根駅伝の人気が出れば出るほど各選手の意識も箱根で勝つことが優先順位として高くなり、5000mや10000mの世界との差は開く一方で、世界記録が5000m12分37秒35に対して現在の大学生はトップレベルでも約1分遅れで高岡寿成が大学時代にマークした13分20秒の記録さえ10年以上破られていない(高岡は関東ではない龍谷大学出身)。

10000mに至ってはもっと悲惨で世界記録26分20秒31に対して大学トップでも28分を切れずにおり、同年代で実業団に所属するケニア人と比べても力の差は絶望的ともいえるほどだ。

世界のレベルが上がっているにも関わらず日本長距離のレベルが上がらないのは箱根駅伝の弊害が非常に大きい。箱根駅伝は20km以上のハーフマラソン前後の距離を走る。練習はその距離に耐えうるための持久力を養成することに重点を置く。箱根駅伝に求められるのは1km3分ペースを守れる安定した走りだ。5000mや10000mのトラック競技とは違い一人で走ることが多く、競り合ったとしてもペースのアップダウンでの揺さぶりは少なく(実力的に離れている者同士で競り合うために一度スパートをかけると離れてしまうことが多い)、安定したペースで走れることを目的とする。

世界でもラストスパートのスプリント能力に劣っていた日本人がこのような一定のペースで走れるような練習を中心にしていてはタイム差以上にトラックでは勝てないのも当たり前だ(トラックの急激なペースのアップダウンについていけず、たとえついていけたとしてもラストスパートで負ける負の2段構えとなっている)。

五輪種目にハーフマラソンという種目は存在しない。ケニア・エチオピアといった長距離王国は若年年代にトラックの5000m、10000m、アップダウンの激しいクロスカントリーで徹底的にスピードを磨く。もちろんマラソンが世界的にはマイナーな種目かつ年に何度も走れる種目ではないため稼ぐためには年に何度も走れる5000m、10000mの方が適しているというのもある。

そして5000m、10000mの前世界記録保持者のハイレ・ゲブレシラシエのようにスピードに衰えが見え始めるとマラソンに転向する流れとなっている(スピードが衰えたといっても日本トップ選手よりは遥かに速い)。その結果男子マラソンのスピード化が進み、日本男子長距離最後の砦も崩れかかっている。20歳前後の若い競技者は例え将来マラソン志望だったとしても徹底的にスピードを磨くべきで大学年代で最低でも5000m13分15秒切り、10000mでも27分30秒切りをするくらいのスピードがないとさらに高速化が予想されるマラソンでも太刀打ちできなくなってしまうだろう。

−トップ選手には箱根はおまけにならなければ−

1校10人も走れるということでトップ選手以外には最適なモチベーションとなるのは否定しないが、世界を見据えなければいけないトップ選手には弊害としかなっていない箱根駅伝。箱根駅伝があまりにも大きな存在となったためにそこで完結しているかのようだ。厳しい見方をすれば関東の1大会のために選手生命を狂わすような練習はすべきではない。スポーツビジネスに徹し、世界と戦うことを放棄して鎖国状態にしたり、大学で競技を終えるのであれば箱根駅伝を速く走るために全精力を傾ければいいだろう。
しかし、少なくともトップ選手はその後も競技を続けるわけだ。

大学年代に20数kmを安定して走れるための練習をしたせいで、本来なら身につけられたであろう能力を身につけられず成功してこなかった選手はかなりの数に上るとみられる(一番有名なのは大学時代に日本人には敵なしで大きな期待をかけながら社会人ではほとんど成績を残せなかった渡辺康幸だろう)。

−日本人に合っている種目−

マラソン・駅伝が日本では人気でさらに過去のマラソン成績から日本人には長距離やマラソンが合っていると思われがちだが、決してそうではない。
5000m、10000mのトラック競技は前述した通り、エチオピア、ケニアにはどんなことをしても勝てない。さらにカタールやバーレーンはオイルマネーを使ってケニアからの帰化を推進しており、男子ではアジア大会でさえメダルに遠い種目となっている。もちろんケニア・エチオピアだけでなく、モロッコなどのその他アフリカ諸国やスペインなどの欧州勢にも歯が立たないのが現状で、長距離トラック競技に関していえば砲丸投げや円盤投げのような絶望感さえ漂う(これらの競技とは違いそれなりに強化してこの程度なのだから長距離トラックの適性のなさは推して測るべし)。

ではどの種目が日本人に比較的合っているのだろうか。五輪・世界選手権でメダルを獲得している種目で真っ先に思い浮かべるのは室伏広治のハンマー投げだろう。確かに室伏は世界の歴代の選手でも偉大な選手だ。しかし、室伏以外の日本人は世界レベルからあまりにも遠いのが現状だ。室伏が引退すれば室伏の子供が出てくるまで世界レベルの選手は出てこないのではというほどレベル差がある。

他にメダルを獲得したのは2003年パリ大会で200m銅の末續慎吾と2001年エドモントン大会と2005年ヘルシンキ大会の400mハードルハードル銅の為末大だ。
日本男子の短距離はハンマー投げと違い継続的に世界に通じる選手を輩出している。高野進に始まり、朝原宣治・伊東浩司、末續慎吾と世界大会で最低でも準決勝に進出できるレベルを保ってきた。400mHでも山崎・刈部・斎藤の先駆者に為末そして将来性を感じさせる成迫と人材が豊富だ。

短距離といえば黒人が圧倒的に強く、日本人は手も足も出ないという印象が強いが、確かにアメリカ黒人を筆頭に100m200mでメダルは不可能に近く(それだけ末續のメダルは価値がある)、決勝に進むのさえ至難の業だ。しかし、長距離に比べれば絶望的というわけではなく、4人で走るリレーは決勝進出(8ヶ国)は当たり前、幸運があればメダルも獲得できるという位置にいる。
日本はリレーでメダルを獲得するために個々人を強化するという方針が合っているように思う。室伏のようなひとりの天才に頼るのではなく、ある一定レベルの選手を何人も輩出するようにすべきだ。その中でさらに飛び抜けたものが決勝、メダルへ挑戦するようになれば最高だ。

具体的に言えば4×100mリレーでは4人の100mタイム平均が10''20以内で走れる層の厚さを持てば38秒切りが視界に入る。そうなれば実力でメダルが狙える。現在で言えば末續しか10''20を切れず朝原がタイムを落としてからやや苦しくなっている。塚原がさらに一段と伸び、高平を始めとするその他の若手が常時10''30を切ってくる力をつけると面白くなる。

男子で他に世界レベルにいるのは澤野大地の棒高跳びだ。室伏ほど他の日本選手とのレベルの差は開いていないが、それでも現在世界で通用しそうな力を持っているのは澤野しかいない(重点的に強化すれば層が厚くなる素地はあると思う)。澤野はコンスタントに5m75を跳べるようになると非常に面白くなる(澤野のベストは5m83で5m60〜65辺りまではどんなコンディションでも跳べる力を持っている)。大阪世界選手権、北京五輪とメダルを期待できる一人だと思う。

女子で言えば世界に一番近いのは走り幅跳びの池田久美子だ。長年、花岡真帆と切磋琢磨し2006年についに世界一流の域まで到達した(1発の記録だけでなく、アベレージが大きく向上した)。日本女子の短距離は男子長距離以上に向いていないだけに世界的に見ればそれほどスピードがなくとも7m近く跳ぶ技術は素晴らしいものがある。バレーボールを見ていると日本女子はジャンプ力がなさそうに見えるが、陸上においては跳躍系は比較的得意としている分野になる。

池田久美子はベスト記録付近の記録が出せればメダル圏内にいるほどレベルが高く、走り高跳びにおいても日本記録並みの記録が出れば五輪・世界選手権で入賞できる。短距離でいくら日本記録レベルのタイムを出したところで予選も通過できないのとは対照的だ。

男子長距離の未来は暗いが、女子の場合はどうだろうか。男子よりはレベル差が小さいもののトラックでは入賞できれば万々歳だ。男子と同様に瞬発力が不足し、急激なペースアップについていけない。女子は男子と勢力図が少し違い、エチオピア、ケニアに加えて中国が力を持っている。中国は一時期、馬軍団が長距離界を席巻し、その後は鳴りを潜めていたがここ数年また息を吹き返してきた。中国はエチオピアの爆発的なスピードアップについていくことが出来る。タイムだけでなく、そこが日本とは大きな違いだ。北京五輪を契機にさらに中国がさらに強くなろうものなら日本が付け入る隙は全くなくなる(同じモンゴロイドだから希望もありそうに見えるが中国人のスパート力を日本人が身につくのは想像できない)。

国民的に関心のあるマラソンの今後はどうなるだろうか。女子マラソンは世界的に層が薄く、しばらくは急激な衰退はないだろう。しかし、10000mではどうしてもラストスパートに勝るエチオピア勢に勝てずメダルすら遠かったポーラ・ラドクリフがマラソンに転向した途端、それまでの常識を打ち破る記録を次々とマークした。五輪・世界選手権はコース設定がきつくスピードマラソンになりにくい点は日本にとっては有利だが、男子で言うゲブレシラシエのような10000mで好記録を持つ選手が次々とマラソンに回ってくるようになってくると苦しくなる。最低でも福士レベルの5000、10000のタイムで走る力がなければ長期低落は避けられないと思う。

−競技環境の改善を−

陸上界の問題は才能ある選手が競技に専念できる環境がないことだ。長距離はトップレベル以外でも非常に多くの選手が実業団で悪い言い方をすればぬくぬくと競技をできる環境があるが、長距離以外の選手はトップレベルの選手でさえ満足な環境を得ていないことがある。走り高跳びの醍醐直樹は2m33の日本記録を出した逸材(高跳びは五輪・世界選手権で2m35を跳べばメダル獲得圏内)だがそのような選手でも大学卒業時には実業団からの誘いはなく、独力で競技を続けたほどだ。

理想を言えば各地域の総合スポーツクラブに所属して生活ができるようになることだが、将来の理想の姿であって現在はまだ企業に頼らざるを得ない状況だ。
駅伝がTV放映されることによって企業の宣伝が出来る長距離が優遇されるのは分からなくないが(他の種目で注目を集めるのは五輪・世界選手権のみでその時は日本代表となり企業の宣伝にはならない)、世界に通じる選手育成にも力を注いで欲しいものである。

問題は陸上界トップにもある。日本選手権はガラガラ(地方開催時は珍しさもあってそこそこ入るが、横浜・日産スタジアム開催時は悲惨)で観客を呼ぼうとする努力を全くしていない。日本人の好きな世界レベルの選手が来るグランプリシリーズやスーパー陸上もかなりの空席が目立っており、協会は一体何をしているのか分からない(マラソン選考を見れば協会の酷さはある程度察しはつくが)。
多くの陸上ファンを作ることが選手の競技環境面のアップに繋がるわけで、陸上をメジャーにしたいと頑張っている為末のような個人にだけ頼っていては競技環境の安定した基盤は出来てこない。

優秀な指導者が存在し、それに伴い至るところで選手のレベルの向上も見られるのだから選手の素質が100%引き出されるような環境を整備することが非常に重要だと思う(その為にはサッカーのJFAのように協会がリーダーシップを持って取り組むことが必要)。日本人は元々の身体能力で決して有利なわけではなく、集中してトレーニングできなければ世界に太刀打ちできなくて当然なのだから。
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