スポーツコラムNo.14

スポーツ観戦に求めるもの(2006/11/6)


−何が楽しみでスポーツを見るのか?−

スポーツをする側だとさまざまな点に楽しみを見出す。スポーツを観戦する場合も楽しみ方は色々とあるが、ある共通点があることに気付く。

最近TVでスポーツ中継する場合に「感動・感動」とまるで感動の大安売りセールをしているかのごとく感動という言葉を使用している。感動とは心が動かされたり、奪われることである。ではどういう場面で心が動かされるのだろうか?
筆者が考えるにそれは観戦者の予想(想像)を超えたパフォーマンスに接した時だと思う。どのスポーツの観戦者もこの予想(想像)を超えたパフォーマンスを目の当たりにしたいという欲求があるように思う。

するスポーツとしても、見るスポーツとしても世界で1番人気があるのはサッカーである。なぜサッカーが世界中で愛されているのかというとルールが単純、誰でもが手軽に出来るといった理由だけではなく、この観戦者の予想を超えたパフォーマンスを見せやすく感動しやすいというのもあると思う。

サッカーは言わずと知れた手に比べると遥かに不器用な動きしか出来ない足を主に使うスポーツだ。もちろん足はなかなか思い通りに動かないという感覚が観戦者にはある。不器用なはずの足をまるで手で扱っているかのように器用に操ったプレーを見れば心を動かされるのは当たり前だ。
そして選手自身が主体的に考えて動き、無限の選択肢の中から創造性あふれるプレーをすれば観戦者が魅了されるのは当たり前といえる(もちろん戦術など監督からの指示もあるがそれが全てではない)。

ここはF1のサイトなのでF1の話をすると、主に1990年代に活躍したジャン・アレジというドライバーがいた。彼は成績面で言えば僅か1勝と歴代のドライバーで言えばその他大勢の中の一人でしかない(2勝以上挙げたドライバーは2006年現在67名いる)。しかし、人気面ではかなり上位に位置すると思われる。
アレジが人気を得るきっかけとなった大きな出来事はやはり1990年アメリカGPのセナと抜きつ抜かれつのバトルに感動した人間が多かったことにあると思う。

アレジは当時フル参戦1年目の新人ドライバーで車もセナの乗っているマクラーレン・ホンダと比較すればかなり落ちる車だと思われていた。そしてセナは既にタイトルを1度取り、スピードに関しては最速の存在だった。
そのセナを向こうに回してトップ争いで激しくやり合うことなど全くもって予想外と感じる人間がほとんどでそんなアレジの走りに魅了されてファンになっても不思議ではない。

先日のブラジルGPで引退したM.シューマッハに関してどのGPでの優勝が印象に残っているかと問われれば、まず圧倒的なスピードで制した2002年と2004年のGPはほとんど出てこないだろう(出てくるとすれば4ストップで勝った2004年フランスGPくらいか)。速いドライバーが最速の車で当たり前のように勝つ。観戦者の想定内で事が終わってしまうからシューマッハがいるとF1が面白くないと言われたわけだ。

それを考えると今年発表されたアロンソの人気がいまひとつでライコネンの人気が高いというのも納得がいく。アロンソは良くも悪くも予想外の動きがない。ポールポジションから出てそのまますんなり勝つというのがアロンソの勝ち方だ。ライコネンは去年の日本GPに象徴されるように劇的に勝ったり、エンジントラブルのせいで予選グリッド降格となり後方から怒涛の追い上げたり、ラスト1周でサスペンションが壊れて優勝を逃すなど見ている者の予想をつかない走りを見せた。となればライコネンに心揺さぶられる人間の方が多いのは当然で必然的にファンも多くなる。

−過剰なウナウンスにうんざり−

大した場面でもないのに大声を張り上げて過剰に反応する実況に違和感を感じたことのある人も多いだろう。観戦者は予想の範囲内のプレーであるために冷静に見つめているのに対して実況はさも大事であったかのように過剰に反応する。そのギャップが違和感となり、それが重なると怒りへと変わっていく。

よってサッカーで言えばゴールした瞬間は誰もが興奮状態になるのでそこでのある程度の興奮した実況は気になっていないと思う(もちろん2000年シドニー五輪での高原のゴール後の船越アナのゴルゴルゴル・・・はサッカー好き故に興奮してしまったのではなく明らかに自分が目立とうと狙ったものなので不快感しか残らない)。

特に民放は不必要な場面まで大声を張り上げて実況することが多く、不快に感じている人が多いだろう。NHKのように終始一貫して冷静に実況しろとは言わないが、観戦者が心揺さぶられるプレーをした時は盛り上げ、その他の時間帯は冷静にアナウンスするメリハリをつけた実況ならば多くの視聴者に耐えるものになるだろう(もちろん実況の中身も大切なのは言うまでもないが)。



当たり前と思っていることに対しては感動はしない。困難であると思われることを想像以上のパフォーマンスで乗り越えて達成したときに人は感動する。TVでは五輪などで日本人の成績予想をするときによく過剰に評価して関心を誘おうとする。しかし、勝って当たり前だと思わされるとたとえ優勝してもさほど感動しない。視聴者を感動させようとするには難しい状況だが、可能性は0でないと思わせたほうが視聴者の落胆は少なく、勝った時の感動は大きくなる(トリノでの荒川のように)。
しかし、それではTV局側とすれば視聴率が望めないのでやはりその選手の実力を的確に伝えることが1番ということだ(それがTV局と視聴者の信頼感の醸成にも繋がる)。
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