スポーツコラムNo.13

2006年W杯ドイツ大会を終えて(2)(2006/7/13)


−運動量も大事−

この大会を通じて感じたことは運動量に乏しいと厳しい戦いとなること。前述したようにブラジルもそう、日本も後半になると運動量がガクッと落ち、次々と失点をした。
走ることによってスペースが空く。そのスペースをうまく使った攻撃を仕掛けたり、よく走ることによってフリーな選手を作ることによって攻撃を機能させるとチームとしてうまく回っていく。特にクラブではポジションを固定せずに流動的に動き、マークをずらしたりしてギャップを作って攻撃を仕掛ける。アルゼンチンがセルビア・モンテネグロ戦で見せた攻撃は代表チームのレベルを超えたものだった(途中からセルビア・モンテネグロが戦意喪失してしまったが)。

各選手が動きながら考えてプレーすることはやはり大事だと改めて思った。足元パスばかりや裏を狙った縦パス1本ではなかなか整備された組織は崩せない(ブラジルはガーナ戦まではそれが通用したがフランス戦では全く駄目だった)。
動きながらボールを扱うというのは高い技術を要求されるが(三都主は一旦ボールを止めてからでないとドリブルが出来ない)、それができるチームは強いチームだと思う。

−メッシはマラドーナ2世か−

日本のTVでアルゼンチンのリオネル・メッシをマラドーナの後継者と盛んに連呼された。アルゼンチンでは新星が現れる度にマラドーナ2世と言われるが、マラドーナ級どころか超1流クラブのリーダーまで辿り着けた者はいない。

彼を見た時気になったのは太ももの前側の筋肉・大腿四頭筋が異様に発達していることだ。
ダッシュ力で重要なのはその反対側の大腿二頭筋である。メッシはもも前が発達しすぎてそこを使って走っているため、地面を後ろまで押し切れていない。後ろまで押せていないためにピッチ(回転数)があるので速そうに見えるが、実際はそこまで速くないだろう(アンリは逆でしっかり押せているためストライドが大きく一見スローに見えるが、実際はかなり速い)。

ボールタッチが素晴らしく、トップリーグデビューして間もないために通用しているが、プレースタイルを読まれた時に足先のコントロールだけで対応できるのか注目したい。少なくともマラドーナの後継者と呼べるほど偉大な存在にはならないだろう。

−失われた4年−

戦術のなかったジーコには元から期待していなかった。しかし、W杯前に書いたようにトルシエの代からほとんど同じメンバーで戦ってきたことによる、親善試合のドイツ戦で見せたような2人目3人目の動きを使った連携には期待していた。

しかし、ドイツ戦が調子のピークで、本戦では暑さのせいもあったのかもしれないが、全く日本の良さが出ず、結果以上に内容も完敗だった。
まず短期的な失敗で言えばコンディショニングが全くうまく行かなかった。本来、日本人は暑さに強く、アドバンテージとしなければいけない。しかし、先にバテたのは日本の方で、ドイツ戦がピークで明らかに体調は下がっていた。

W杯の報道で気になったのは毎日日本の練習を伝えていたことだ。コンディションを上げるにはトレーニングばかりしてはいけない。適度な休養を与えてこそコンディションは上がっていく。それを毎日何時間も練習し、挙句の果てには試合前に体に負荷を掛けるシュート練習をみっちりしていてはコンディションが上がるはずもない。

体のコンディションが全てといっていい陸上選手は、試合前になると練習の負荷を減らし、休養も多めに取りながら試合へ向けてコンディションを上げていく。末続慎吾は試合前に何日も練習を行わず、試合へ臨むこともあるようだ。走り高跳びの選手などはバネをためるために試合前の1週間以上跳躍練習を行わない選手も多い。
それだけに毎日ハードな練習を行っていた日本代表には疑問を感じていた。ドイツ入りすることが適度な休養となり、ドイツ入り直後のドイツ戦がピークとなってしまい、それ以降は無駄に練習を多くすることによってコンディションが下がる一方だったのかもしれない。

長期的な失敗で言えばジーコを選んだことがそもそもの間違いで、その間違いを作った原因は2002年のトルコ戦の捉え方によるところが大きいと思う。
あの時はトルコは勝てた相手だったという評価が大勢を占めていた。そしてトルシエのような規律で縛るのではなく、自由に日本選手の技術を生かした自由なサッカーをするということでジーコが選ばれた。

個人的にはトルコには勝てる気がしなかった。まず技術的に日本選手は全く適わなかった。トラップ、ボールコントロール、パススピード、シュート力など世界との差はまだまだ大きいと感じざるを得なかった(トルコよりも技術力が高い国はまだまだある)。
しかし、協会が出した結論は日本人には技術があるからそれを生かした自由なサッカーをしようだった。
そして露になった結果が、日本人にはまだまだ技術が足りないということだった。

ポストトルシエで技術委員会がリストアップした中に入っていなかったジーコをゴリ押しして監督にした川淵三郎日本サッカー協会会長の責任は重い。Jリーグを作り、発展させてきた功績は大いに認めるべきだと思うが、ジーコを独断専行の形で選んだ責任は取らねばならない。
自分の責任回避のために意図的にオシムの名前を出した失言から見ても、会長職を続ける資格はない。

ジーコが守備戦術は宮本に丸投げし(代表チームでは守備に力を入れて、安定させるだけでかなりチーム力は安定するにも関わらず)、攻撃も就任当初に黄金の4人ともてはやし、バランスを考えない名前だけの中盤構成にしたり、スタメンとサブを明確に分け、競争の意識を持たせない、事前にスタメンを発表する、練習は常に公開など想像以上に監督としての能力は低かったが、自由なサッカーをしたいとしてジーコを選んだのだから予想以上に監督としての能力が低くてもジーコの責任ではない。ジーコには監督経験がなかったのだから。

−走るサッカー−

ジーコの後を継いで0の状態からスタートをするオシム・ジャパン。ジーコが全く若手を育てず、かつチームをバラバラにしてからのスタートとなるためにオシムのやるべきことは非常に多い。
しかし、オシムサッカーを表現するときに使われる「走るサッカー」は現代のサッカーには必要な要素で代表にも合っていると思う。

もちろんやみくも走るのではなく、考えながら走るサッカーだが、W杯でも感じられたように運動量がなくては強豪国に伍して戦うことは出来ない。まして技術的に劣っているのだから、その分走って補うくらいでないと厳しい。

今回はトルシエやジーコの時とは違い、全般的に国民から歓迎ムードでスタートするオシムジャパン。
サッカー協会が毎回監督を選ぶ時に条件としてあげる日本をよく知るというのがあるが、今回はたまたまオシムが千葉の監督をしていたおかげで理想的な監督を迎え入れることができたが、この条件は必要ないと思う。

優れた監督ならば、日本人選手の特性を見抜くことは造作もないはずで、1年も日本代表監督をすれば日本人のメンタリティー、文化も理解するだろう。オシムは日本に来てから日本人よりも日本人らしくなり、日本に溶け込もうとしていたが、外国のチームを指揮する場合はその国の文化を知ることが重要なのは百も承知だろう(ジーコは長年日本にいても日本語をしゃべらず、試合が終わってはすぐブラジルへ帰っていたが・・そもそも日本選手にブラジルサッカーができると思った時点で本当の意味で日本のことを知っているかには疑問符だが)。
この条件(日本をよく知っている=協会がよく知っている)は単に協会が監督をコントロールしたいからだけのように思える(トルシエをコントロールできなかったトラウマか?)

まずは2年契約となりそうなオシムジャパン。土台がないところからのスタートだけに初めから結果を要求はできない。オシムが何を意図してチームを作っていくのか興味深い。素材に乏しいと言われているゴールデンエイジの下の世代をどのようにうまく使ってチームとしてまとめるのか、世界的名将の手腕に注目したい。
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