スポーツコラムNo.10

専門分野でなくとも最低限の背景知識必要(2006/3/12)


−厳しいスタート??−

総合スポーツサイト「sports navi.com」を見ていたらF1に関する見出しがトップページに掲載されていた。しばらくするとこの記事が削除されると予想されるので要約すると、タイトルが「佐藤と井出、厳しいスタート=F1バーレーンGP」とあり、金曜フリー走行で今年から新規参入したスーパーアグリの佐藤琢磨が27番手、井出有治が28番目の最下位だったと時事通信が報じている。

F1にある程度興味を持っている方ならばこのタイトルに違和感を感じぜずにはいられないだろう。スーパーアグリは正式エントリーが遅れ、オフシーズンのテストは正味3日間しか行えず、2006年仕様の車の本格的テストは一切できなかった(できたのはシステムチェックの数周のみ)。
さらに2006年仕様の車は2002年の車を改造して持ち込んでいるもので、タイムを期待する方が酷というもので、誰かトラブルでまともにタイムが出せない状況がない限りスーパーアグリの最下位は誰もが予想していたことだ。むしろ、金曜フリー走行では最後の数分で井出にトラブルが出てストップしたもののテストの時を考えると奇跡的とも言えるほど順調に周回を重ねた。

F1を理解している者ならば厳しいスタートではなく、想像以上のスタートだと認識するのが圧倒的多数だろう。時事通信の他にもスポーツ紙で「厳しい現実」などと現状を全く理解していない記事もあった。

この記事で問題なのは時事通信(あるいはスポーツ紙・一般紙)という色々なメディア(媒体)に記事を配信しているメディアがこのような記事を書いているということだ。
これが専門サイトで発表された記事ならば、読者はF1に興味がある人がほとんどなので「この記事を書いた人間は何も分かっていないな。」と一笑に付しておけばいい。
だが、この記事はスポーツ一般サイトで見かけたように、F1に興味がある人間よりもそれほど興味がない人間の目に触れる方が圧倒的多数である。

何に対してでもだいたいそうだが、あるものに対して興味のある割合はコアなファンの割合が1番少なく、ライトなファン層がある程度いて、積極的に情報を収集せず目に触れる機会があれば触れてみるといった多少興味がある層が圧倒的多数を占める。

この圧倒的多数の少しだけ興味がある層の目に触れるのが通信社等の記事だ。今回の場合はスポーツ総合サイトのトップページにリンクされたり、Yahoo!などのポータルサイトのトピックスに掲載されたりする。

このような記事を見て背景を全く知らない少しだけ興味がある層はどう思うだろうか?きっと「スーパーアグリっていう日本のチームが出来たみたいだけど全然ダメなんだね。情けないな。」と思ってしまうのが普通だろう。こういう層に対してはきちっとした内容を伝えることが重要になる。この記事を書いた記者はこれまでのスーパーアグリの流れを知らず(または考えず)結果だけを見て記事にしたのだろう。

日本の多くのメディアのスポーツ報道に対する悪癖は分かりやすい表面的な結果のみしか伝えられないということだ。
それは長年染み付いた野球報道の弊害だろう。野球ならば「誰々が何打数何安打で活躍しました。」と一番分かりやすい表面的な結果だけで報道が成り立っていた。
しかし例えばサッカーになるとその報道姿勢では本質は全く伝わらなくなる。例えば「稲本が強烈なロングシュートを放つなど活躍した。」のような感じで報道される。センターハーフ(MF)の稲本がシュートを放ったり、得点を取ることが彼に求められている最も優先順位の高い役割だろうか?サッカー専門の記者ならばプレー内容を分析できるだろう。そのような分析が出来る記者はサッカー専門媒体に寄稿すると推測される。
しかし、あまりサッカーに詳しくない者に触れる記事は例に挙げたような本質を突いていないものが多い。

通信社の記者なので専門家ほどの知識を要求することは無理だが、最低限の知識や背景を知っておくことは絶対に必要だとスーパーアグリの記事を見て痛感した。これでは一番価値判断基準を持たない少しだけ興味がある層が誤解をしてしまう。広く浅く記事を手掛けている者の責任は専門家よりも大きいのかもしれない。
ファジーノ岡山と日本スポーツ ホーム スポーツコラム目次