スポーツコラムNo.9

トリノ五輪を見ながら・・(2006/2/19)


−日本人のみにスポット−

日本の初のメダルを期待されたモーグルの上村愛子。彼女に関しては第2エアのコークスクリュー720にのみスポットが当てられ、それが決まればあたかもメダルは確実のような報道が繰り返しされた。
しかし、結果は見事にコークスクリュー720を決めたにも関わらず5位に終わった。演技内容を素人ながら見ても全体のパフォーマンスを考えるとメダルに届かない結果は妥当だと思う。

冬のスポーツは地上波でTV放映することは稀である(フィギュアと国内で行われるジャンプ競技を除く)。一般人がその競技の勢力図を知る機会はなかなかない(筆者もモーグル女子に関しては前回覇者トローぐらいしか印象に残っていなかった)。
TVでは上村愛子を大々的に取り上げ、他には里谷多恵を取り上げる程度で上村のライバルとなる外国勢の報道はほとんど目にしなかった(少なくとも筆者は)。ライバルの特長を知ればより深く競技を楽しめることは間違いないし、たとえ日本人がいなくなっても競技そのものを十分楽しめるようになると思う。
男子モーグルで日本人はメダル圏外だったが、外国勢の圧倒的な滑りだけでも非常に楽しめ、事前にもっと情報があればさらに楽しめたように感じた。競技そのものの魅力に気付けば五輪だけ盛り上がりその他の大会は無関心という多くの日本人の悪癖も変わって来るだろうと思うのだが・・。

−スピードスケート500m−

日本人の中で最もメダルの位置に近いと思われていた加藤条治。筆者も他の競技ではメダルを取れないと思っていたが、加藤には期待を寄せていた。
しかし、1本目でメダル圏外に去り、2本目に実力の片鱗を示したが6位に終わった。
日本チームのコーチの話によると加藤は他国のコーチ(状況から考えて韓国のコーチ)と接触しブレード(刃)を傷つけてしまい1本目の不調に繋がったとのことだ。確かに100mの通過が9秒82と加藤にしては非常に遅かった(2本目は9秒66)。緊張と体調だけでは説明できないものがあったと考えるのが妥当だと思うのでエッジング(刃と刃がぶつかる)があったのだろう。

それにしても五輪というのは全てが噛み合わないと勝てないということを教えてくれる。加藤自身の調子も最高というわけではなかっただろう。コンディショニングというのは非常に繊細なものでコンディションを確実に下げる方法はあったとしても確実にベストに持っていく方法は確立されていない。ほんのささいなことでコンディションは変わってしまう。加藤の場合エッジングと体調が完璧でなかったという2つの歯車が噛み合わない要因が出てしまった。
紙一重で争うスポーツにおいて2つも悪条件が出ればあっという間にメダル圏外に去らねばならないという現実を見せつけられた。

−残り400mが重要の意味−

スピードスケート500mにおいて解説者が盛んに強調していたことがある。100mからの残り400mの滑りが非常に重要だと。普段それほど外国勢が混じったスピードスケートを見る機会がないので何故重要なのかなかなか気付かなかったが、レースが進んでいくうちに分かった。
日本人といえば清水が得意としていたように100mで圧倒的なリードを築き、残り400mで貯金を食いつぶしながらも逃げ切るというのが勝利のパターンだった。
しかし、昔ほど100mで差が出にくくなっていた。長身選手がいとも簡単に9秒6台で100mを通過していっていた。
陸上競技では骨盤を前傾させできるだけ地面を長く押すことが重要だが、スピードスケートでは氷をどれだけ長く押せるかが勝負となる。特に長距離では顕著に差が表れ、よって長身選手が非常に有利となり日本人は全く手の出ない世界となっている。
500mは長距離に比べると背の低い日本人選手にも十分太刀打ちできていた。日本人選手は足の短さを利用してスタートからのピッチを速くして素早く加速して100mでリードを奪っていた。
しかし、スラップスケートの滑り方が熟成されることで500mもより長距離に近い種目特性になったのかもしれない。ノーマルスケートではピッチを速くして加速することが最善の道だったが、スラップスケートではピッチをそれほど上げなくても長く押すことを意識すれば100mのタイムがきちんと出てくる。むしろピッチを上げることに意識を取られるとスケートを押し切る前に前に足を運ぶことになってしまって空回りの状態を作ってしまう危険があるように思えた。
清水のスタートダッシュがなくなってしまったのは腰痛の影響ということが一般的だが、スラップスケートの滑り方を会得した外国人は100mのタイムが上がり、清水は持ち前の回転力を生かせなくなってしまい相対的に100mのタイムが大きく縮まったことも大きく影響しているように見える。
今回4位になった及川の100mは世界トップレベルに位置する。彼は清水や加藤のように回転数で稼ぐというより外国勢のように丁寧に一歩一歩確実に押しながらも100mで最速レベルのタイムをマークした。このことからもやはりスラップスケートで重要なのは長く押すことでピッチを速く刻むことではないのかもしれない。

100mで差がつかないとなると残り400mが重要となるのは当たり前で、長距離と同じように長身選手が有利となる。日本人が活路を見出すためには従来通り重心を低くしてできるだけ遠い位置まで蹴れるようにすることと、コーナリングでいかに減速を最小限に抑える技術が大切となるが、メダル獲得が当たり前だった以前とは同じ競技とは考えず、メダル獲得が難しくなっている状況になっているような気がする。これからの4年、8年で明らかになってくるだろう。

−とにかく視聴率−

相変わらず民放のTV放送が酷い有様になっている。開幕前からメダル、メダルと煽り倒す。女子モーグル、男女スノーボードハーフパイプ、男女スピードスケート、女子フィギュアなどなど。この報道を鵜呑みにすると一体何個メダルを獲得するのだろうという気にもなるだろう。

しかし、スノーボードはW杯には最有力候補のアメリカ勢が出場しておらず、彼らがミスをして日本勢がノーミスの時のみに可能性があるかもという状態だったというのが本当の姿であっただろう。マスコミはある程度は現状を把握しているはずだ。しかし、真実を報道せず(ライバルを分析しないのも紹介すると実力差があるのがばれるのを防ぐためというのも穿った見方だろうか・・)、日本勢は調子がよくメダルも行けると国民に過剰な期待を持たせる報道をし、視聴率を獲得しようとする。
しかし、結果はメダルに届かず、ハーフパイプ男子のように誰一人決勝にすら残れない状況が生まれると視聴者は騙された気分になる。
もちろんアメリカ勢がW杯に出ていないことを知っていればメダルが困難なことは容易に想像できるわけだが(男子はさらにフィンランド勢も実力者が揃う)、多くの日本人は情報に対して常に受身であり報道を真実として受け止めてしまうのである。

五輪に限ったことではないが、最近の地上波スポーツ放送は視聴率のためならどんな手段でも使う。例えば画面のテロップにも現れている。スポーツ中継は生中継が基本だと筆者は考えるが、生中継だとこれみよがしに「LIVE」と表示され、録画中継では何も表示されないか、「中継」または「衛星中継」と表示させている。これは視聴者を生中継だと思い込ませようと表示させているのは明らかだろう。

このような視聴者を欺くようなことをしてまで視聴率を獲得しようとしているTV各局。一部の視聴者は選択肢がないので仕方なくその中継を見ているが、放送したTV局そのもののへの信頼度はなくなっていることだろう。局そのものへの信頼度がなくなれば、スポーツ中継のみならず報道等も疑問の目に晒される事となり、短期的に視聴率を取ったとしても長期的に見れば視聴者を失うことになると思うのだがそういう考え方はTV局にはないのだろうか?

−安藤狂想曲−

あと数日で始まり、メダル獲得を期待される選手の中で常に上位に出てくる女子フィギュアスケートの安藤美姫。これだけメディアが作り上げた虚像の選手も珍しい。
安藤美姫と言えば4回転ジャンプとフィギャスケートをほとんど知らない人でも一回は耳にしたことがあるだろう。
そしてその4回転が決まればメダルも十分行けると煽っている。つまり上村愛子のコークスクリュー720が決まればメダルと同じ構図だ。しかし、上村の場合は他選手の結果にもよるが実力的にメダルの可能性もあったが、安藤の場合は限りなく0に近い。
まず4回転ジャンプ自体が疑問だ。安藤が4回転を試合で跳んだのはいつと聞かれて答えられる人は少数派だろう。安藤が4回転を跳べたのは体が絞れていた2年以上前まで遡り、現在の体型では例え着氷できたとしても回転不足で3回転判定されるのが精一杯だろう。
安藤は素人が見ても決定的に表現力に欠けるように見える。特にスローな曲調だと余計に際立ってしまっている。新採点基準では4回転ジャンプだけでは得点は出ない(まず跳べないと思うが)。
安藤はショートプログラムで最終滑走(6位以内)に残れれば大成功で、総合順位では8位以内に入り、他の日本人を一人でも上回れれば実力的によくやったと言えるのではないか。
そもそもシニアの国際大会では未勝利で日本選手権6位、国際大会のNHK杯、グランプリファイナルで何度も転倒するような選手を代表に選ぶことが間違っているのだから(スポンサー受けの良い安藤を絶対選ぶための基準を作ったことが間違いの始まり)。
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