| [始めに] 文字を美しく書けば書となります。この書は「実用」はもちろん一面「美」も兼ね備えています。 日本の文字は、中国の漢字と日本で発明された仮名とを交えて使用し、現代文をつづっています。 中国の漢字は漢民族によって大変美しい造形に作られ、それを構成している線には美しい生命力が与えられました。これは文字が原始の時代に神を敬う祈りの世界で発達したからだと思われます。 日本の文字教育は漢字・漢文に始まりましたが、それでは日本語そのものは表現できません。奈良時代には古事記や万葉集で試みられているように、漢字の意味を捨て、音や訓をとって表記に当てました。これが実用化したのは、平安時代初期であり、ほぼ完成したのは宇多、醍醐両朝(888−930年)の頃だと思われます。この日本式な文字を古くは女手、その後は仮名と呼んでいます。ここにいたり日本語の表記は出来たのですが、一方で漢字文化は日本の生活に深く入り込んでいましたから漢字も使わずにはいられません。そこで漢字仮名交じり文が使われるようになり、それが現代にまで続いているわけです。 したがって私たちは漢字も仮名も書かなければならず、その書き方を習わなければなりません。そして習えば必ず上達すると確信しています。 書を習うのは苦しくもありますが、また楽しくもあります。昔は教養の第一とされていましたから、誰しもその道にいそしんだものでした。書は能力の高いそれぞれの時代の代表者が精魂を込めて習い、築き上げた美ですから極めて奥が深く飽きることを知りません。「実用」のために習っても「美」につながり、また趣味として習っても「美」につながります。 文字を単に美しく書くためなら、ペンや鉛筆で習ってもよいと考えられますが、本当に文字を書けるようになるための近道は毛筆で習うことす。文字の構造は毛筆でつくられたものですから、毛筆で習わなければ本当の意味は理解できません。現在、私たちが慣れ親しんでいる新聞や書籍の活字は、ハネたり払ったり力を入れたりする毛筆による文字の特性を図案化したものであって、その毛筆性からまったく離れてつくられてはいません。小学校教育でも文字を正しく覚え書くことは鉛筆やペンで充分だとされていましたが、いっこうに効果がなく書写能力は低下の一途をたどっていました。そこで昭和46年、小学校3年からの毛筆書写が必修になった経緯があります。 今どき毛筆で字を習うことは時代錯誤のように思う人がいるかもしれませんが、急がば回れの精神が大切です。 |
[トップへ]