春・・・ 桜、雪柳、木蓮、山吹 さつき、菜の花、
夏・・・ 菖蒲、蓮、睡蓮、あじさい
秋・・・ 紅葉、彼岸花、すすき、萩、コスモス
冬・・・ つばき
などなど
榮山寺八角円堂と内陣装飾画
不比等の子、藤原武智麻呂公は、宇智郡を自らの勢力基盤に選び、氏寺として719年に榮山寺を創建しました。737年に没し佐保山で火葬されたが、息子の仲麻呂が、父母の追善供養のため、764年 榮山寺境内に八角円堂を建立するとともに、その背後の山へ父の墓を改葬しています。(推測)。
(現在の墓の石積みされた状態になったのは、江戸元禄のころと思われます。)
五條市の北部は、古代律令国家の成立以来、20世紀半ばまで宇智郡と呼ばれてきました。武智麻呂公は、天皇から宇智を天領として管理していたかもと、推測されます。
大和の国(奈良県)の南部、吉野川流域以南の広大な山岳地帯(神仙境・・・大峰山)のほとんどが吉野郡とされた中で、紀の国(和歌山県)に接する下流の小盆地だけが宇智郡とされたのには、北東の飛鳥からは重坂峠超えで、北の葛城からは風の森峠超えで紀伊方面へ往来する交通の要、大和の国の西南の門戸として特に重視されていた五條の地であったからだと思われます。
明治44年 七重石塔の北の田から出土した唐草瓦片は、本薬師寺出土の瓦の中ほどの部分に相当し 同一の瓦型によるものであることがわかるように八角円堂の建立には、仲麻呂が造東大寺司を連れてきたのではと 推測されるので、 シルクロードの文化が、ここ榮山寺まで 伝わったようです。


