歌い継がれるメロディー
<font color="#006633"><b><font color="#339966">古関裕而への想い</font></b></font>  

「モスラの歌」と古関裕而

昭和の歌が聞こえる│モスラの主題歌│モスラを呼ぶ呪文│異色の音楽か│平和へのメッセージ


「昭和の歌が聞こえる」   ▲トップへ
音楽祭 「あ!モスラの歌も作っているのだ!」
 感嘆のことばを岩崎ひろみがあげた。1999(平成11)年8月のことである。岩崎は、主役をはれる若手女優として現在も大活躍中であるが、その時はテレビ撮影のため、古関裕而記念館を訪問していた。2階の展示ルームのモスラのスチール写真を見て、思わず口をついて出た言葉であった。
 テレビ番組「昭和の歌が聞こえる−作曲家古関裕而」は、フジテレビ系列の新ソフト開発番組の一つで、福島テレビが古関さんを主人公にして制作した力作であった。担当ディレクターも、「この番組ほど手間をかけた番組はない」と述懐していた。「昭和の歌が聞こえる」は同年10月に福島県内向けに放映され、その後全国放映されたが、放送時間が深夜であり、かつ放映が延期されたこともあって、それを見た人はきわめて数少ないと思われる貴重な古関裕而番組である。(写真=放送記念日特集を記念して,左から2・3番目がザ・ピーナッツ,右から2番目が古関さん:昭和39年3月音羽ゆりかご会提供)

「モスラ」の主題歌   ▲トップへ
 「モスラの歌」は、1961(昭和36)年に制作された東宝映画「モスラ」の主題歌で、インドネシアの架空のインファント島の石碑にかかれていた呪文を歌にしたものである。この歌は当時のアイドル、ザ・ピーナッツが歌って大ヒットし、今なお歌われ続けている。「モスラ」は怪獣映画ではあったが、原作者が純文学の人気作家の中村真一郎、福永武彦、堀田善衛であり、作詞由起こうじ、作曲古関裕而、特撮は福島県出身の円谷英二らが担当した。超一流の人々が大まじめに作りあげたこの映画は、女性の好みにも合い、大ヒットしないわけがなかった。

モスラを呼ぶ呪文   ▲トップへ
モスラの歌 「モスラの歌」は呪文であるといったが、その歌詞は摩訶不思議なものである。
 モスラヤ モスラ
 ドゥンガン カサクヤン
 インドゥムゥ
 ルスト ウィラードア
 ハンバ ハンバムヤン
 ランダ バンウンラダン
 トゥンジュカンラー
 カサクヤーンム
 これを日本語に訳せば、「モスラよ/永遠の生命 モスラよ/悲しき下僕の祈りに応えて/今こそ 蘇れ/モスラよ/力強き生命を得て 我らを守れ 平和を守れ/平和こそは/永遠に続く/繁栄の道である」という意味とのこと。
 古関裕而記念館の収蔵資料によると、この歌の原案には、インドネシア語のほかに、中国語あり、英語ありで、最終的に今の歌詞に決定している。ちなみに中国語訳では「モスラ/ニースユンエントスンミン/カンインペイプトチイワネン/シェンツアイスニースウシントスーホウ(略)」で、英語では「Mothra oh Mothra with thy everlasting mistic life respond to prayers of thy humble servants(略) 」となる。
 「モスラの歌」は読売新聞日曜版(平成13年7月8・15日)でも取り上げられ、大きな反響があった。私も担当の浅見記者にインタビューされ、古関さんの音楽で同系統の曲を探すとしたら、アイヌを舞台にした「イヨマンテの夜」と「黒百合の歌」であろうと意見が一致した。
 伊藤久男の歌った「イヨマンテ」や、織井茂子の「黒百合」はいずれも大ヒット曲となった。そして妖精に扮するザ・ピーナッツが「モスラ」を歌って子供たちや若者の人気を博したのは、まさに古関さんの音楽の大衆性とその質の高さ、子供たちに対するきめ細やかな愛情があるからではないだろうか。(写真=モスラ主題歌直筆楽譜:古関裕而記念館提供)

異色の音楽か   ▲トップへ
台本 ところで古関さんがファンタジー怪獣映画の主題歌を作曲したのは意外だと思われる方も多いと思う。しかし古関さんは、若いときから戦地の東南アジアや中国に慰問団の一員として派遣され、その土地の音楽に接し、音楽の土壌を肥やしていた。このような経歴を考慮すれば、南国情緒あふれる「モスラの歌」を作曲しても当然ではなかろうか。
 古関さんの作曲活動の最終目標は「オペラ」であったと、家族座談会で証言されている。オペラにしろ、映画音楽にしろ、舞台音楽にしろ、一つのテーマを追って様々な人物が登場し、笑いや涙、悲しみや絶望、祈りや期待がある。それらが音楽を通して表現されるとき、人生の真実がまことに説得力を持って我々に迫ってくるものである。古関さんにとって「モスラの歌」がたまたま怪獣映画の主題歌だったにすぎないのだろう。
 古関さんのミュージカル作品は、ブロードウェイの「サウンド・オブ・ミュージック」やマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」、また中国を舞台にした井上靖の「敦煌」などがあり、それぞれ舞台で上演し、好評を博している。しかし舞台は一回限りで、それが音盤として発売されることは少ない。その曲の中にこそすばらしい傑作があってほしいと思うのは、私だけではないはずである。事実CD化された舞台音楽の、那智わたるの歌った「スカーレット・オハラ」や「終着駅」、高田作造の歌った「超行徳の歌」などを聞くだけで、古関さんの卓越した創作力を目(耳?)の当たりにすることができる。(写真=映画「モスラ」の脚本:古関裕而記念館提供)

平和へのメッセージ
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音楽祭 話を映画に戻そう。モスラの映画は合計4本出ている。平成になってからは92(平成4)年、96年、2001年と製作されており、「モスラの歌」の普及に一役買っている。ただこの曲を古関さんが作曲したということは、あまり知られていないのは残念なことである。
 モスラの第1作に流れるのは、ロマンでありファンタジーである。日本に拉致(らち)された二人の小美人を救おうとするモスラは、純粋で愛らしく、コミカルに描かれているので、東京やニューカーク市(ニューヨーク市を暗示)の壊滅を救っている。
 この映画の原作者たちが訴えようとしているものは何か。それはまさしく平和の大切さであった。エンディングの、「平和こそ永遠に続く繁栄の道である」との呼びかけは、「モスラ」が単なる怪獣映画を越えて、それを見るものに平和への強烈なメッセージを訴えかけているのではないだろうか。(写真=古関裕而記念館内部)

参考
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1 映画「モスラ」1〜3作はいずれもレンタルビデオ店で入手できます。
2 古関裕而関係のCD・テープは市販されています。また古関裕而記念館でも取り扱っております。
3 平和を守るモスラの第2作・第3作のあらすじは次の通りです。
 「モスラ2・海底の大決戦」の舞台は石垣島である。かつて海の彼方の理想の国であったニライカナイの作り出した怪獣ダガーラが突如復活し、石垣島を破壊する。妖精エリアスのテレパシーで呼び出されたモスラと、ダガーラの壮絶な戦いの姿を描く。
 「文明も発達しすぎるとダメになる」中で、「人間のもう一つの可能性である勇気と優しさ」を信じたニライカナイの女王と、子供たちの応援を受けたモスラが、地球破滅を願うダガーラを倒す。女王は子供たちに、「新たな文明の子供たちよ、この星の未来をそなたたちに預けよう」とのメッセージを残す。
 「モスラ3・キングギドラの来襲」の舞台は山梨県の青木ヶ原である。1億3千年前の恐竜時代に、恐竜たちを絶滅させた恐怖の大魔王キングキドラが日本の子供たちを拉致し、巨大な卵形生命体に閉じこめてしまう。妖精モルとロラはインファント島からモスラを呼び出す。モスラとキングギドラとの戦いは果てしなく続くが、モスラは巨大な力を持つギドラに敗れてしまう。しかし子供たちと、「勇気と知恵と愛が一つとなって、はじめて力となる」ことを悟った妖精たちの助けを得たモスラがついに勝利をおさめ、日本に平和が戻る。なお第3作には、新しいモスラの歌「ハオラ モスラ」が誕生している。
 「モスラ4・ゴジラ・モスラ・キングギドラ/大怪獣総攻撃」は現在放映中。


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