守門岳 | |||||||
(すもんだけ) | |||||||
標 高 | 1537.2m | ||||||
三角点 | 二等三角点 | ||||||
登山道 | 有(今回登ったルートは無) | ||||||
所在地 | 南蒲原郡下田村と北魚沼郡守門村と入広瀬村の境 | ||||||
2万5千図 | 「守門岳」[光明山」 | ||||||
登山月日 | 2003.05.04(7名) | ||||||
コースタイム | 吉ケ平ー0:50−桂のへつりー0:55−山ノ神ー0:35−上人岩−0:55−田ノ倉沢出合ー1:45−網張ー0:25−青雲ー1:15−二口 | ||||||
【記 録】 | 守門岳にはいくつかのコースがあるが、今回のコースはは古い資料で藤島玄著「越後の山旅」に破線が載っている。昔は結構登られていたというが、私が登山を始めた昭和40年代には既に記憶にないコースであった。守門岳は麓に学生時代の山小屋(今は廃屋)があったこともあり、とりわけ愛着のある山で越後の名峰でもある。 今回、会の人に誘われて7名で登りに行く。当日は地元の人達が登るとのことでそれに合流する計画だ。 登山口の吉ケ平へ行くまでの車道には残雪があり用意したシャベル、ツルハシ、ピッケル等で退かしてようやく車を乗り入れる。 吉ケ平には廃校になった建物があるが、もう水道も止められ年々老朽化が激しくなっていくようであった。 身支度をして出発。地元の20人ほどの人と一緒だ。団体というと、つい我が会ののんびり登山を思い浮かべてたいしたことはないだろうと高をくくっていた。 道は吉ケ平から守門川沿いに進む。先頭の地元のかたのペースが速く、おまけに全く休憩しないので必死になって付いて行った。苦しいのは私だけかと会の人に聞くと、皆もやはり普段の山行きとは違うと言った。 途中に水芭蕉の咲く湿地帯もあり、山菜も豊富である。ルートはほとんど残雪に覆われているが、雪の消えた所には昔の名残の踏み跡も認められた。50分ほど歩くと「桂のへつり」と書かれた杭があった。前方には巾10mほどの沢にごうごうと雪解け水が流れ、行く手を阻んでいた。誤って落ちれば下流に浮いて発見ということになる。危険でとても渡ることはできず、高巻くことにした。プラブーツでの急斜面は歩きにくいことこのうえない。 下りる所もほぼ絶壁のようになっていて、両手で木につかまりながらようやく元の道に下った。たった200mほどの距離なのに30分も時間を費やしてしまう。 このコースは至る所に沢が流れているので飲み水には不自由しない。 高巻きが終わったところでようやく休憩となった。もう、楽な団体登山のイメージはすっかり消え、これは覚悟が必要だなと思った。 サラリーマン登山者の我々と違って日常生活が登山の地元の人の体力にはとてもかなわない。私より年配の人が多いのにそのパワーには驚異さえ感じられた。 ほぼ水平の道が続いたが、途中、沢の渡渉が随所にあり気を抜けなかった。「山ノ神」の先に更にもう1箇所沢が増水していて高巻きを強いられた。その先「上人岩」と書かれた水場があった。 随分長い距離だったが、ようやく田ノ倉沢出合に到着する。当初、まっすぐ硫黄沢を突き上げる予定だったが、もう雪が割れていて不安定で危険な状態なため、地元の人の判断で網張へ上がるルートに変更になった。ここから見上げる守門岳の北壁は垂直の岸壁が立ちはだかり、恐ろしくて二の足を踏んでしまう。網張に変更になって内心ホッとした。ここからはアイゼンを着けての登高となった。 田ノ倉沢右岸の急登から始まった。上に行くにしたがい次第に傾斜がきつくなり緊張も増してくる。ようやく登り着いた所が大崩平、標高1132mの西の鞍部である。ここに上がると大岳から袴腰までの稜線がすり鉢状に一気に谷に注いでいるのが見えて壮観だ。また、振り返れば粟ケ岳〜青里岳〜矢筈岳が勢ぞろいしている。絶景を眺めながら昼食タイムをとった。 30分ほどでもう出発だ。ここからのルートファインディングが難しい。さすが精通した地元の人。すり鉢の淵を慎重にトラバースして見事に網張(大岳と青雲の鞍部)に出る。谷底に吸い込まれそうな斜面が続き一歩もミスは許されず最も緊張した場所だった。 あとはアイゼンを外して青雲に向かって夏道を登るのみ。山頂まで足は延ばさず、分岐で充実感をかみしめながら大休止し、転げるように二分に下った。 |
吉ケ平山荘 | 高巻いてきた沢を振り返る |
山ノ神の杭 | 途中に水芭蕉も咲いていた |
硫黄沢から仰ぐ守門岳(もう雪が割れて危険) | 田ノ倉沢から仰ぐ網張 |
裏側から見る大岳は壮観 | 石転び沢のような長い急な登り |
大崩平から仰ぐ守門岳(絶壁に近い) | 二分へ下る途中から山頂を振り返る |