直峰城跡(城山)  所在地  新潟県上越市安塚区安塚    戻る

 鮫ケ尾城跡から下り次に向かったのは,直峰城跡だ。ここも最近標識が整備され迷わず登り口に着く。
 狭い山道を行くと広い駐車場と看板,トイレがあった。
 直峰城は通称「城山」(じょうやま)標高344mで地形を巧みに利用して造られた中世の典型的な山城だ。山頂から四方に延びる尾根の中腹にかけて多くの曲輪や空堀,土塁などが残り,険しい地形と相まって堅固な構えを生み出している。越後府中より関東へ通じる三国街道を眼下に望み古くから戦略上重要な位置だった。この城は南北朝時代,南朝方新田義貞に味方した風間信濃守信昭の居城であったと伝える。風間信濃守信昭は越後南朝の武将として越後国内だけでなく北陸,関東,信濃へも出陣して活躍した。14世紀中頃のことである。この戦歴を偲んで,毎年新緑の時節5月8日には風間祭が催される。時代が下がって16世紀前半は,越後守護代長尾為景の家臣,吉田周防守英忠(すおうのかみえいちゅう)が城主だった。謙信時代は不明だが,春日山城の支城として重要な役割を果たした。謙信死《1578年》後,家督相続をめぐって御館の乱が起きた際,直峰城は景勝側に味方し,その後,天正8年(1580年)御館の乱で戦功のあった樋口惣右衛門兼豊(景勝の家老・直江兼続の父)が城主となった。
 駐車場から左右2か所登り口があり,どちらから登っても駐車場に下りて来られるようだ。今回は時計と反対回りで右の登山道から登った。急な斜面をひと登りすると尾根に出る。右へ観音堂と書いてあるので寄った。
 分岐まで戻り先へ進む。辺りは黄色のヤマブキが満開になっていた。○○屋敷跡と書かれた杭の立つ平らな家臣の住居跡が杉林の中に何か所もあった。
 ここは大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続の父,樋口惣衛門兼豊が城主となった場所とのことで,にわかに注目されはじめた。
 たどり着いた山頂は広い台地になっていて,三等三角点と御堂があった。すぐ近くに犬伏城跡も望むことができる。
 反対側に少し下ると空堀があり,樹齢800年といわれるケヤキの木があった。これが当時から現存する唯一のものだ。
 その先急な斜面の下りになり,また所々に屋敷跡もあり,間もなく先ほどの駐車場に出る。
山頂 当時植えられて現存する大ケヤキ(樹齢800年)
登ったルート