ヨーロッパアルプス モンブラン登頂 4810m
《登頂年月日 2004.07.23(金)》
モンブランはフランスとイタリアの国境に位置し、標高4810m(今までは4807mだったが修正された)ヨーロッパアルプスの最高峰である。
登山基地となるシャモニはチューリッヒから車で約1時間半、周りを4000m峰に囲まれ、冬はスキー、夏は登山やハイキングと一大リゾート地である。
山をやっている人なら一度は登ってみたい憧れのモンブランに今年初めて挑戦した。
★ 【日 程】
月日(曜) | 発着地名 | 交通 | スケジュール | 宿泊 |
7/18(日) | 成田ーアムステルダム経由ージュネーブーシャモニ | 飛行機・専用車 | KLMオランダ航空にてジュネーブ。着後専用車でシャモニへ | ホテル |
7/19(月) | シャモニーモンタンベールールカン小屋 | 登山電車・徒歩 | メール・ド・グラス氷河歩き | 山小屋 |
7/20(火) | ルカン小屋ーモンタンベールーシャモニ | 徒歩・登山電車 | 〃 | ホテル |
7/21(水) | シャモニーニー・デーグルーテートルース小屋 | 登山電車・徒歩 | ニー・デーグルからテートルース小屋 | 山小屋 |
7/22(木) | テートルース小屋ーグーテ小屋 | 徒歩 | テートルース小屋ーグーテ小屋 | 〃 |
7/23(金) | グーテ小屋ーモンブラン山頂ーシャモニ | 徒歩・登山電車 | グーテ小屋ーモンブラン山頂ーシャモニ | ホテル |
7/24(土) | シャモニ滞在 | 徒歩 | シャモニ滞在 | 〃 |
7/25(日) | シャモニージュネーブーアムステルダム | 飛行機 | シャモニージュネーブーアムステルダム | 機中泊 |
7/26(月) | 成田着 | 飛行機 | 成田着 | 帰 |
フランスについて
首 都 パリ (モンブランの基地はシャモニ)
時 差 日本との時差ー8時間(今は夏時間採用なのでー7時間 夜9時を過ぎてもまだ明るい)
通用語 フランス語(ガイドは簡単な英語を話すが基本的にはフランス語)日本語は全く通じない
宗 教 キリスト教(カトリックが90%以上)
通 貨 ユーロ 新潟で200ユーロ換金した 1ユーロ=約141円(手数料込)
★ 【1日目】 |
今回A社のモンブラン登頂ツアーに参加した。総勢13名。ところが、ツアーリーダーはジュネーブで合流ということになり、新潟から1人で参加した私は単独で行かなければならなくなった。それも、途中、アムステルダムで乗り換えてである。 更に、私の住んでいる新潟では月曜日から記録的な集中豪雨に見舞われ(シャモニに放映されたとのこと)、予約していた夜行列車が運休になってしまい、急遽前日に新幹線で行かなければならなくなった。 都内にホテルを取り、早朝、成田エクスプレスで成田へ向かう。指定されたカウンターでチェックインを済ませ待っていると次々に今回のツアーの参加者が集まってきた。 成田発10:25分、予定通りKL862便に乗り、アムステルダムまで11時間19分のロングフライトの始まりだ。 長いように感じたフライトも、途中飲み物や食事が出たり、座席のモニターで映画を見たり、デッキで地上を眺めたりしていたらあっという間に時間が過ぎ、特にノリリスク手前のツンドラ地帯が手に取るように望むことができ感激だった。 現地時間14:59分アムステルダム着。乗り継ぎの便も座席のモニターでちゃんと表示され迷うこともなかった。アムステルダムのスキポール空港は非常に広く、乗り継ぎゲートまで2km位歩いたように思う。 1時間後ジュネーブ行きのKL1933便に乗った。眼下には広大なレマン湖を望むことができ、現地時間18:15分ジュネーブのコアントラン空港に到着。税関の係員に「ニンニチワ」と日本語で挨拶されたのには驚いた。 ここでツアーリーダーの池之内潔さんと合流。専用車でスイスからフランスへ国境を越えホテルに着いたのは20:10分。 シャモニではこのところずっと雨模様の天気が続き、2・3日前からようやく少し回復してきたと聞いた。 街に出てパスタの夕食をとる。夜9時を過ぎてもまだ明るい。 |
ホテルの部屋 シャモニの街からのモンブラン山群 |
★ 【2日目】 |
メール・ド・グラス氷河にて |
朝、登山電車でモンタンベールまで行き、ツアーリーダー、現地登山ガイドとメール・ド・グラス氷河を歩く。私達のガイドはエリックさんで、青森の佐藤さん、宮城の鈴木さん(どちらも男性)と共にアンザイレンして進む。(事前の登山経歴書によってメンバーが決まるようだ) メール・ド・グラス氷河はモンタンベール駅から標高差100mはあろうかと思われる垂直に付けられた梯子を下らなければならない。かなり高度感があって怖い。 氷河自体はなだらかであるが、いたるところに数メートルから数百メートルの底の見えないクレバスがあり、迂回したり飛び越えたりして注意深く進まなければならなかった。 それにまるで氷のようにガチガチでアイゼンやピッケルが刺さらないほどだ。もし誤ってクレバスに落ちたら止めようがないように思われた。エリックさんが氷河の歩き方や周りの山々などを流暢な英語で説明してくれた。そして時々、大きなクレバスを「ここ飛んでみる?」なんて冗談も言ったりした。 ルカン小屋への最後の登りはアイゼンを外して急な岩稜帯だ。休まずにどんどん進むのでとうとう「休みはないの?」と言ったら漸く休憩させてくれた。この登りはかなりきつかったが、「モンブランはこれよりもっときついよ」と脅かされる。 |
陽気なシャモニのガイド達(右から2人目がエリック) 赤い服が池ノ内潔さん(2008.12.5 Mt.クックで遭難死された) |
ルカン小屋 |
ルカン小屋から広大なメール・ド・グラス氷河を望む | 周りの山々 |
★ 【3日目】 |
朝起きると風が強く雨も降って、高い山は暗雲に覆われていた。「こんな天気だとモンブランはダメだね」とガイドは言った。 ルカン小屋から昨日と同じく4人でアンザイレンしてモンタンベールまで下った。氷河の中を覗かせてもらったり、10年ほど前には氷河の中に滝があったが、今は氷河が押されて見えなくなったと説明してくれた。もうすぐ駅に着くという時、エリックのアイゼンが壊れるというアクシデントがあった(途中でなくて良かった。アイゼンなしでは絶対に歩けないから)が大事に至らず、最後の長い梯子を登って駅に戻った。「ここからグランドジョラスが見えるのだが、今日は残念ながら雲に覆われて見えない」とエリックは言った。ヘリが飛んできたので聞いたら「レスキュー」とのことだった。 ホテルに戻り、午後時間があったので、1人でシャモニの街へブラッと出かけた。書店で山の地図を購入した。 猛暑だった昨年と違い今年はまだ天気が安定しておらず、ずっとぐずついた天気が続いていたとのこと。山は当然雪模様で荒れていたらしい。ホテルの窓から時々モンブラン山群が望め、窓を開けると心地よい風が入ってきた。 |
教会とガイド組合(右) | スネルスポーツ | 泊まったホテル(レ・プリオレ)(右)奥にモンブランが見える |
★ 【4日目】 |
今日は日差しが出て良い天気だ。でも3000m以上の山々は厚い雲に覆われていた。 ホテルから専用車でレズーシュまで行き、ロープウェーでベルビュー(ここは気持ちの良い草原である)へ上がる。ちょうど今朝モンブランに登ったという4人の日本人に会った。しかし雪が降って山頂まで行けなかったとのことだった。 少し下ると登山電車の駅があり、今度は登山電車に乗ってニー・デーグル(2386m)まで行く。ぐんぐん高度を上げながら進むこの登山電車から望む景色は素晴らしく、両脇には満開のお花畑が広がっていた。山に登る人より観光客が圧倒的に多い。今度は、いつかのんびりと花を見ながら、ハイキングで訪れてみたい。 終点からガイドのエマニエル(写真右から3人目)を先頭にガレ場のような所をジグザグに登って行く。「日本の北アルプスに涸沢というところがあって、そこに似ている」とエマニエルに言った。 なだらかな所に来て昼食タイム。岩陰にはカモシカのような動物「ブックタン」が姿を現す。 ここからは急な岩稜帯だ。 エマニエルの後ろに付いてエマニエルのペースで登ったが、次第について来れない人が遅れ始めバラバラになってしまった。(ここで遅れた人は結果的にモンブランにも登れなかったようである) テート・ルース小屋(3167m)の手前は急な雪渓をトラバースして登らなければならず、エマニエルに「おまえが先頭でゆっくり行け」と言われ、エマニエルは5mほど下を滑落に備えて並行して進んだ。 結構早く小屋に着いてしまいすることもなく、ベットに横になったり小屋のにいちゃんに日本語を教えて遊んだりして過ごした。 下界は天気が良く町並みがはっきりと見渡せた。 |
終点ニー・デーグル駅 | 登山道の途中からエギューユ・デュ・ミディの展望台(中央)を望む | ガレ場にブックタン現れる |
昼食場所から見たグーテ小屋のある峰(中央)(テート・ルース小屋はその右下の低い峰)モンブランは雲の中で見えない |
★ 【5日目】 |
今日からマンツーマンガイドだ。(今回のツアーではほぼ全員がマンツーマンガイドを希望した) 昨日のうちに小屋に来ているガイドもいるし、今朝、下から来るガイドもいる。11時に全員揃って出発とのことだったので、それまでゴロゴロとしていた。 天気も良く、外に出て景色を眺めたりガイドと雑談したりして過ごした。 すると、今朝モンブランに登ったという2人の日本人が下山してきた。聞けば今日も悪天候で山頂まで行けなかったとのこと。下のほうはこんなにいい天気なのに上のほうはやっぱり悪かったのだ。 しばらくすると暇を持て余したガイド達が、下から来るガイドを待たずに先に出発したいと言い出した。 急遽、先発隊として慌しく出発する。 私のガイドは若いイタリア人だった。とても親切で出発の準備をいろいろ手伝ってくれた。ただ、彼は自分は英語が全くできないと言った。今回のガイドはイタリア人は彼の他に2人、あとはフランス人とのことだった。 名前はアドリアーノ。白い歯が印象的な好青年だ。会話は全部イタリア語だが、身振り手振りで話すので何とか理解できた。 アイゼン、ヘルメット、ハーネスを着け、ピッケルを持ってガイドとアンザイレンして登り始めた。雪原を少し登ると落石の危険地帯「クーロワール」があった。何でもない斜面のように思われたが、ガイドはすごく慎重だった。落石がないか耳を澄ませてから「GO!」とダッシュで通り過ぎた。 横断が終わるとアイゼンを外しての岩登りだ。見上げると急でかなりの距離がある。アドリアーノは身軽にスルスルと登って行き、その後を必死に追った。 途中の岩棚で休憩。佐藤さんや鈴木さんも同じペースで登っていた。天候が少し回復気味なのを見て、鈴木さんと組んでいるエリックが私に、鈴木さんが疲れているかどうか聞いてくれと言った。そして、「今日なら登れるけど明日の天気は分からない」と言った。 こんなに急ぐのは今日のうちに山頂まで行くつもりなんだと思った。 上から人が降りて来る度にすれ違いで待たなければならなかったが、アドリアーノはそんなことはおかまいなし。さっさと別ルートから登る。「あなたはわざと難しいルートを選んで登るのね」と言ったが、理解したかどうか・・・。そしてエリックも「あんなの待っていたら着くのが午後になっちゃうよ」と言う。 急いだ甲斐あって1時間45分でグーテ小屋(3817m)に着いた。3時間と聞いていたのでこんなに早く着くとは思わなかった。 しかし、モンブラン方面は暗雲に覆われて風も強くなっていた。 ガイド達が脇で話し合って「今日はやっぱり行けない」と言われた。 それでも「私は行きたい!」と言ったら、アドリアーノは小屋から少し上がった小高いモンブラン方面が見える場所に私を連れて行き、厚く雲に覆われたモンブランを示して「あの雲に覆われたら2時間後には大荒れになる。風も強い。だから行けないんだ。」と説明した。 下の小屋で無駄な時間を過ごしていないで、何でもう少し早く出発しなかったのか悔やまれた。 モンブランは体力の前にまず天候である。 1%でも望みがあったなら、それを活かせなければ悔いが残る。 このところ登った人は殆ど敗退して帰って来ているので、明日の天気もどうなるか分からない。 挑戦して自分の力が及ばなかったなら潔く諦めよう。でも登りもしないでグーテ小屋から、のこのこ日本に帰るのなんて絶対嫌だ。「神様どうか明日は挑戦させてくださいますように!」と祈って床に就いた。 |
テート・ルース小屋からグーテ小屋のある峰を望む(中央の岩を登る) 岩登りの途中、これは何か説明してもらったが言葉が分からず |
★ 【6日目】 |
いよいよ頂上アタックの日。午前1時起床。満点の星空。風も何だか生暖かい。「しめた!山頂に雪は降っていないぞ!」と直感した。 ガイドと共に朝食をとり、2時半、アイゼン、ハーネスを着けピッケルを持ち、ヘッドランプを付けてアドリアーノとアンザイレンして出発。池之内さんに「グッド・ラック!」と見送られる。 なだらかな雪原を少し行くと左側に10張位のテントの明かりが見えた。 アドリアーノがいろいろ説明してくれるが、何しろイタリア語なのでよく分からない。 自分としてはただ、ガイドのスピードに遅れないようについていくことだけに専念した。 ガイドはザイルの張り具合で相手がどの程度疲れているか分かるという。 当然、私が普段登っているスピードより数段早く、まるで100mを全力疾走しているような息使いで登らなければならなかった。それに引き換え、涼しい顔で登っているアドリアーノが羨ましい。後で聞いたら25歳だなんて、絶好調だもの当然ね。 暗闇をヘッドランプで登っているので、地形がどんなになっているのかさっぱり分からない。ただ、なだらかになったり急になったりしていることだけしか感じられなかった。 アドリアーノは「3時間から4時間で山頂にいけるよ」と気楽に言うが、「私は5時間かかるわよ」と言った。 そんなに急がなくてもいいのに、途中に登っているパーティを脇から次々に追い越して行く。 そしてなだらかになった所(ここがたぶんドーム・デュ・グーテ、4304m)で漸く休憩だ。時間を見たら出発してから1時間半経っていた。アドリアーノがオレンジジュースを飲ませてくれ、チョコレートをくれた。標高が高いせいか、オーバーペースのせいか、自分の動作が緩慢になっているのが感じられた。 休憩地から少し下り気味に進み、ゆるやかに登ると左前方におぼろげに小屋が見えた。ヴァロの避難小屋だと言った。「山頂まであと1時間で行くよ」と言うが、それはアドリアーノのことで、私は多分そんなに早く着かないだろう。でも、ガイドは相手次第で容赦なくスピードを上げる。私はゆっくり歩きたかったのに・・・ 風も強くなってきてガスって小雪が舞い、気温もかなり下がってきたようだ。前髪がつららのようになり、オーバーヤッケはバリバリに凍り付いていた。涙は出るし、鼻水が出ても鼻もかめない。鼻で息ができなく口で呼吸するのが精一杯。もうまるで厳冬期の3000m級の山のようだった。こんな状態で用を足すことなんて絶対不可能だ。 急な雪面は氷河の上に新雪が積もった状態でアイゼンが利きづらく苦労する。まかり間違えば谷底へ・・・登りより下りが危惧された。ジグザグに登るときには「レイコ、ピオレは左手に持って」「足はこうやって交差して歩きなさい」と細かく注意してくれるが、もうへとへとでそんなマニュアル通りに動作ができるわけがない。 それでも途中で降ろされたら困ると思い、死に物狂いで後を追った。 「ほら、あそこが山頂だよ」とうっすらと白い峰を指差して言った。でもそれはまだ遥かかなただった。。 「ヘッドランプは消していいよ」と言うが、手が思うようにスイッチの所に行かないのだ。 もう辺りはガスって何も見えなくなっていた。 狭い雪稜のような所を通ってようやくなだらかになった。もうすぐ山頂のように思われた。それにしても避難小屋からが随分長かった。 山頂直下で佐藤さんと池之内さんのパーティが下山してきた。「もうちょっとだよ!」「レイコさんガンバッテ!」と励ましてくれた。 そして間もなく山頂着。先に着いていた長野の河合さんが登頂の瞬間を写真に撮ってくださった。 涙と鼻で顔はぐしゃぐしゃ。「Congratulations!」「アリガトウ!」「ユーアーグッドクライマー!」ガイドと手を取り合って喜んだ。 山頂にいたのはたったの5分。 大荒れにならないうちに安全に下らなければならないのだ。 |
山頂にて | 振り返るとモンブランが一瞬見えた |
周りの景色が全く見えないので、どこをどう歩いているのかさっぱり分からない。おぼろげながら絶壁のような様子もうかがえる。 滑落に注意しながらアドリアーノの後を追った。(一昨日、1人行方不明になったとのこと)何も見えないからかえって恐怖感がなくて良かったのかも知れない。でも途中に隠れたクレバスがあったり、一歩のミスも許されない急斜面の下りがあったりで気を許すことはできない。 ヴァロの避難小屋までノンストップ。ようやくザイルを外してもらって小屋に入った。 小屋にはイギリス人が3人いて、山頂の風の様子や天気を聞いてきたが、アドリアーノは言葉が理解できない様子だった。 5分くらい休んでから再度アンザイレンして下り始めた。 「ほら、モンブランが見えるよ」と言われて振り返ったら、一瞬ガスが晴れて顔を覗かせた。でも、すぐ見えなくなった。もう景色が見えようが見えなかろうがそんなことはどうでもよかった。山頂まで行けたことだけで満足だった。朝よりも次第に風が冷たくなってきた。 グーテ小屋まで降りて大休止。熱い紅茶が美味しかった。 心配したグーテ小屋からの急な岩場の下りもあまり恐ろしさは感じなかった。「降りるの上手いけど、普段岩登りやっているのかい?」と聞かれ、「NO」とは言ったが、お世辞でも嬉しい。 クーロワールもダッシュで通り過ぎ、下の雪原はアドリアーノの指示でルートから外れて滑ってテート・ルース小屋まで下った。 |
岩壁にへばりつくように建つグーテ小屋 | グーテ小屋からテート・ルース小屋を見下ろす |
ガイドのアドリアーノと(テート・ルース小屋前にて) | グーテ小屋から上は別世界 |
山頂と違って、もうここはぽかぽか陽気だった。 テート・ルース小屋から登山電車の駅ニー・デーグルまで、2日前に登ったルートとは違うルート、Bionnassay氷河を下ろうとアドリアーノが言った。 ガレ場を岩伝いにポンポンと下り、氷河は滑りながら下った。氷河が途切れるとまた岩伝いに下り、氷河が現れると滑るということを繰り返しながら下った。傾斜が急になるとザイルで結んでくれた。冬はスキー教師をしているという彼は滑り方も非常に上手く、私が尻もちをつくと、ソリを引く要領で私を引っ張ってくれた。「私は重たいのよ」と言ってもおかまいなし。でも、この時ばかりは息をはずませていた。 まるで子供に返ったように2人でキャーキャー騒ぎながら下ったら、あっという間に下に着いた。駅に近づくと雪は消え、斜面は色とりどりのお花畑が広がっていて素晴らしかった。登ったルートとは比べものにならないくらい楽しかった。若いアドリアーノに付いて行くのは大変だったけれど、ヨーロッパ流の登り方やその他いろいろな体験をさせてもらって本当に有意義な山行きだった。 駅に着くと、エマニエルと河合さんが既にいた。 登山電車とロープウェーで麓まで下り、アドリアーノの車でホテルまで送ってもらった。 |
モンブランに登れた面々 |
左から佐藤さん、私、小沼さんのガイド、佐藤さんのガイド、鈴木さん、アドリアーノ、小沼さん、エリック |
夜は皆でフランス料理とワインでお祝いをした。登れた人も、残念ながら登れなかった人も、それぞれ自分の力を出し切ったということで満足していた。
★ 【7日目】 |
朝、目が覚めると激しい雨が降っており、山々は全く見えない。1日遅かったらモンブランは諦めなければならなかったから、昨日登れて本当にラッキーだった。「登頂証明書」を手にして改めて感激を胸にした。池之内さんによると日本人の登頂率は2割というから運も良かったと思う。 予定していたハイキングは中止してショッピングすることにした。 昨日の疲れで体がだるく、朝食を取ってからまたベットに横になってBBC放送を見ながら寝ていた。 昼近くになって、部屋を掃除するからと追い出され、仕方ないので街へ出る。 そろっと食べ物に飽きて何だか日本食が恋しくなり、シャモニにある日本食レストラン「さつき」へ向かった。 他の人も同じことを考えていたらしく、皆集まってきていた。 午後は山岳博物館を見学したり、買い物をして過ごした。 ずっと憧れていたモンブランに登れて、こうしてシャモニの街の中に今、自分がいるなんて夢のよう。 きっと神様が与えてくれた精一杯のご褒美だったに違いない。 |
登頂証明書 |
★ 【8日目】 |
いよいよ日本へ帰る日。「ボンジュール!」や「メルシイ」も使い慣れ、何だか随分長い間日本を離れていた感じだ。日にちも曜日も忘れてしまった。 朝3時に起き、専用車でチューリッヒへ向かう。 空港では20kg制限の荷物が皆オーバーしており、追加料金を取られる。 1時間とちょっとでオランダのアムステルダムに到着した。 ここで乗り継ぎ時間がかなりあったので「ゴッホ美術館」を見学する。空港から車で20分位の所(タクシーで約5000円)にあり、多くの人で賑わっており、本物の絵をこの目で観れて感激。(入場料12.5ユーロ、日本語の解説ヘッドホンを有料で貸してくれる) その後、アムステルダムから成田まで10時間45分のロングフライトが始まった。 |
★ 【9日目】 |
窓際のシートだったのでずっと外を見ていた。ツンドラ地帯も鮮明に望めた。日が暮れて翌朝午前8時40分成田に着陸した。 |
【終わりに】 |
モンブランはいつか登ってみたいとずっと憧れていた山だった。 昨年、ようやくそのチャンスがやってきて準備をしていた。 しかし、昨年のヨーロッパは記録的な猛暑に見舞われ、氷河が解けて危険な状態になり、8月に入ってから山は完全にクローズされてしまったのだ。 せっかくその目標に向かって頑張ってきたのに直前になって中止になってしまい、もう若くはない年齢で、また1年待たなければならないという焦りや来年はどうなっているか分からないという不安・・・落胆のあまりそれから2ヶ月ほど山に登る気がしなくて無気力になっていた。 しかし日常の雑事に追われて過ごすうちに、いつの間にか年が替わり春になっていた。 今年こそは挑戦したい!そんな思いで過ごすうち、ロクなトレーニングもしない間に刻々と時期が迫っていた。 せめて富士山くらいは登ってからと思ったがそれも叶わず、不安材料をいっぱい抱えての渡欧だった。 でも、自分を信じて今までの力を出し切れば夢ではない。精一杯やろうと思った。 昨年と打って変わり今年のヨーロッパはぐずついた天気が続いていた。山では降雪があり条件は決して良くなかった。 そんな中で「我々に僅かなチャンスを与えてくれて有難う。」と言いたい。 |
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