キナバル山登頂標高4095.2m

 マレーシアのサバ州の北西部に聳える、東南アジアの最高峰キナバル山。天気の良い日はコタキナバル市からその鋭いピークの頂上部を望むことができ、2001年には世界遺産に登録されました。
 ここは国立公園であり、登山者は宿泊人数から上限が決められ、それ以上は入園できません。登山は必ず入園料を払い、ガイドを雇う必要があります。それにテント泊は認められず、所定施設を予約する必要もあります。
 マレーシアは東南アジアの中心に位置し、マレー半島とボルネオ島の一部サバ、サラクラから成り立っています。人口2000万人でマレー系、中国系、インド系、他数の部族で分けられる民族国家です。 
 
 【日 程】
月 日 都  市 現地時間 交通機関等 スケジュール
10/9(木) 成田発
コタキナバル着
13:30
17:15
飛行機MH81 マレーシア航空にてコタキナバルへ
着後、出迎えの車にてホテルへ
10/10(金) ホテル発
PHQ
ラバンラタハット着
7:00
8:40
15:30
車2時間

歩6時間
PHQ(公園管理事務所)へ
ガイドと合流。入山手続き後パワーステーションへ
登山道をラバンラタハットへ
10/11(土) ラバンラタハット発
ローズピーク着
パワーステーション
ホテル着
2:30
5:30
12:35
15:40
歩3時間

歩5時間20分
未明出発
山頂へ
下山
10/12(日) ホテル発
マヌカン島着
マヌカン島発
ホテル着
8:30
9:00
15:15
16:00


マヌカン島でフリータイム。
ハイキングやシュノーケリングを楽しむ
10/13(月) コタキナバル発
成田着
0:30
6:30
飛行機MH80 深夜、マレーシア航空にて帰国
上記日程で、西川夫妻、私、T/Cの有川氏の4人で出かけた。
★ 【1日目】
 11時30分、成田空港に集合し、手続きを済ませ、マレーシア航空MH81機に搭乗する。前列に西川夫妻、後ろに有川氏と私が座った。
間もなく機内食が配られる。早朝に自宅を出発したので、ちょうどおなかもすいており、美味しく頂いた。
 成田からコタキナバルまではほとんど海上が航路で、眼下には雲海も広がり下界の景色は全く見えない。それでも久し振りの海外旅行だったので、何だか心が浮き立って、アッと言う間に時間が経過する。
 午後6時15分(現地時間で午後5時15分)、暗雲立ち込める激しい雨の降るコタキナバル空港に着陸した。
 空港には現地係員のヘクトル氏が出迎えていてくれて、専用車で約10分、ホテルに到着する。ホテルは五つ星の総客室数500、広いラウンジの豪華版だ。
とりあえず3000円をマレーシアリンギットに交換する。
マレーシアの通貨
 マレーシア・リンギット(RM)とマレーシア・セン(SEN)があり、1リンギットは100セン。日本円に換算すると1リンギット=約33円(ただし、これは毎日変動する。)日本国内では、マレーシア・リンギットの交換はできません。コタキナバル空港かホテルで換金することになります。 
 
 夕食は皆でホテルのレストランへ行った。数え切れないほど豊富な種類のメニューが並び、何から食べてよいのやら迷ってしまう。果物も豊富だ。どれもこれも美味しくてつい食べ過ぎてしまった。ただ唯一ご飯だけは米どころ新潟のコシヒカリにはかなわなかった。ビールとワインで乾杯した。
ホテルの部屋(NHK放送が見れた、日本語で)
 【2日目】
 出発が7時ということなので、6時にホテルのレストランで朝食を取る。昨夜に劣らず豪華メニューで食が進む。これじゃ、山に登る前に体重オーバーしてしまいそうだ。(もともとオーバーしているが・・・)
 食事を終え、身支度をしてロビーに来ると、ヘクトル氏が既に迎えに来ていた。なお、今回の現地係員のヘクトル氏も山のガイドも日本語は全く通じず全部英語での会話であった。
マレーシアの言語
 公用語はマレー語。中国系住民の社会では中国語。インド系住民の社会ではタミール語も使用。英語教育の水準は高く、旅行では英語が主体。
 登山口はコタキナバル市内から車で約2時間程である。30分位平らな道を走ると山道となる。ダートな道かと思いきや、なんのなんの舗装された立派な道路。高度を上げるにつれ見事な景観の山岳道路であった。途中、キナバル山のよく見える展望台で写真を撮る。
 8時40分、公園管理事務所に到着。ここで手続きをして許可証(首にカードを吊るす)をもらい、ガイドのジョセフ氏を紹介される。なお、この山に登る人の多くはポーターを雇うが、我々は自分で担いだ。

公園管理事務所

登山口(奥の鉄の扉が入り口)
 9:30分、いよいよ登山の始まりだ。有川氏が先頭でジョセフ氏が最後。建物の門を開けて登山道に入る。少し下り、しばらく行くと見事な滝(カールソン滝)があった。辺りにはピンクの可憐な花が咲いている。ジョセフ氏に聞いたら「キナバル・バルサム」という名前とのこと。途中大きな荷物を背負ったポーターの女性が下りてきた。歩くのが早くなるとジョセフ氏に「Slowly,Slowly」と言われる。
 30分くらいすると「1K」の標識があり、東屋と水のタンクとトイレがあった。トイレは水洗である。

キナバルバルサム

ネクロスオケット

シーマシーマ
 私が花の名前を聞くとジョセフ氏は親切に教えてくれた。聞き取れないとわざわざ私の手帳に名前を書いてくれたりした。ガイドは何も聞かなければただ後ろからついて来るだけだ。西川夫妻も興味を示して下さり、立ち止まって一緒になって聞いたりした。途中小雨が降ってきたので傘をさす。上から下ってきた男性のグループに日本語で声をかけられた。我々がどうして日本人と分ったかと思うと、「傘をさして登っているのは大体日本人なんですよ」とのこと。
 ここの登山道には、ほぼ30分おき位に東屋、トイレ、水(これは飲まないほうが良い)が設置されているので、休むには好都合だ。登山道も階段や手すりでよく整備されていた。

登山道の途中にて
 10:35分、東屋あり。11:01分、「2K」の標識があった。11:11分東屋。11:50分「3K」の標識。12:06分東屋。そして12:47分、2695mの「LAYANG STAFF QRTS小屋」(これはガイド達専用の小屋)に到着する。ここでランチタイムをとる。ネクロスオケットという白っぽいランのような花が咲いていた。登山道から外れて、ジョセフ氏がウツボカズラの沢山咲いているところへ案内してくれた。

ウツボカズラ

ウツボカズラ


所々に設置のトイレ(水洗)

水のタンク

荷物を担いで登るポーター

有川氏、ジョセフ氏と
 14:09分、「PANDOK VILLOSA」2960.8mの東屋に到着した。パケスという日本のワラビのような植物があった。ちょうどそこにいた地元の人がとうもろこしを食べていたので、少し頂いて味見した。日本のものと違ってサツマイモのような素朴な味がした。
 14:25分、「5K」地点着。石がごろごろしている道である。
 14:44分「PANDOK PAKA」着。ジョセフ氏に「今何時?」と聞かれる。「2時45分」と答えると、「Good Time!」と言われた。あれだけ道草を食ったのに、ちょうど良いペースで登ってきたということか。
 黄色の「レリーフラワー」や日本のミヤマコゴメグサに似た「パンティラ・アシア・ティカ」という花も咲いていた。
 そして、15:25分小広い台地に出て、ようやくラバンラタ小屋に到着した。辺りはガスってほとんど見えない。
 食堂には60席ほどの椅子とテーブルがあり、中に入ってコーヒー(4.4RM)を注文する。通常の3杯分位の量がポットに入って出てきた。我々の泊まる所は更に上部のグンティンラガダン小屋(食堂なし)なので、もうひと登りしなければならない。
 泊まった小屋は1部屋2段ベットが2個、4人定員でちょうど良かった。共同のシャワーと水洗トイレあり。食事だけ下の小屋に移動して取った。夕食20RM、ビール350ml,10.5RM。食事に比べアルコール類は、やはり割高。
 ベットは薄い毛布1枚だったが、シュラフカバーと雨具で何とか寒さは凌げた。蚊がいたので西川夫妻の持参した渦巻き蚊取り線香をつける。6:50分、就寝。

ラバンラタ小屋

小屋の中

小屋の夕食(バイキング形式)
★ 【3日目】
 午前1時15分起床。部屋には鍵があり不要なものは置いて行けるので便利だ。朝食の後、2時25分今度はジョセフ氏を先頭に歩き始める。月明かりでライトがいらないくらいだ。ジョセフ氏に「いつもこんな天気ですか」と聞いたら、「今日はラッキー」だと言う。気温もそんなに低くなく長袖一枚で十分。
 小屋からすぐ、急な階段が付けられていた。足の短い私は歩幅が合わなくて苦労する。岩のごつごつな急な道が終わると、いよいよロープの張られた岩場になる。ジョセフ氏はスルスルと登って行き、その後に続いた。
 足場は割りとしっかりしていて、岩も滑りにくく、ロープに沿ってうまくコースどりをしていくジョセフ氏の後を追って登れば全く問題ない。時々、「Water!」と言って、岩の間の水溜りに気をつけるよう知らせてくれた。
 2:37分「7K」。3:43分最後のチェックポイント,サヤサヤハットに到着した。ここで再度、登る人数を確認される。良く管理されていて感心する。
 4:43分「8K」着。
 ジョセフ氏が左に聳えるピークは「サウスピーク」、右のは「ドンキーイヤーズピーク」だと、月明かりの中で説明してくれた。
 巨大な花崗岩の斜面を登りながら、次第にサウスピークが眼下になるころ、その先には「セントジョーンズピーク」が見え、更に正面奥には目指す「ローズピーク」も望むことができた。ここからだとセントジョーンズピークのほうが高いように見える。
 5:13分最後の「8.5K」着。そして5:30分ようやくキナバル山頂ローズピークに到着した。ジョセフ氏に「Good Time!」と言われる。
 山頂は多くの人で賑わっており、反対側は絶壁になっているため転落しないよう気をつけなければならなかった。
 6時、鮮やかな御来光だ。雄大な展望、日本の山とは違う花崗岩のビッグスケール、天気に恵まれて素晴らしい山となった。
 眺望を十分満喫し6:15分下山。ジョセフ氏を先頭に岩の上をポンポンと駆け下りる。他のパーティは慎重に一歩一歩下っていた。中にはガイドに手を引いてもらって恐々下っている人もいた。

山頂からの御来光

山頂から下ったところ

サウスピーク
山頂直下にて 登頂証明書
 小屋に戻ったのが7:30分。向かいの部屋に泊まった韓国人の一人はさかんに「Headache!」と言っていた。我々は全員快調であった(もっとも有川氏は1週間前にキリマンジャロから帰ったばかり)。でも、昨晩、有川氏にパルスオキシメーターで測ってもらった時は、やはり下界とは違う状態だった。気が付かないけど体は高度に順応しようと一生懸命ガンバッテいるのだ。
 パッキングを済ませ、8時、下の小屋へ下る。ところがここでアクシデント。西川さんの奥さんが転倒、足を捻挫してしまったのだ。
 幸い軽い捻挫だったので、ザックを有川氏に持ってもらって、空身で何とか自力で歩く。
 ラバンラタ小屋から4時間もの間、痛めた足をかばいながらの下山は、さぞ大変だったことと思う。
 途中から今回の山行きで初めて激しい雨が降ってきた。
 また、登山道には、やはり熱帯地方なのか、50cmもある巨大ミミズや10cmもあるオレンジ色のヒル、5cmのこげ茶色のヒルなどがいた。
 12:35分、無事登山口着。ヘクトル氏が既に心配して待っていてくれた。
 途中の食堂で昼食を取り、15:40分ホテルに戻った。
 お風呂に入って着替えを済ませ、夜は有川氏の案内で街へ出た。タクシー料金も交渉次第。
 イケスの魚類をその場で料理してくれるレストランに行った。どの魚をどんなふうに調理していくらにしてもらえるか、これは堪能な英語力が要求されるため有川氏におまかせした。
 食卓には先ほどまで泳いでいた魚や蟹が見事に変身してオンパレード。高級なワインで乾杯!お疲れ様。
 【4日目
ホテルからの眺め
 今日はオプションでマヌカン島に行く予定。
 8:30分ホテル発、ボート乗り場まで行く。
 マヌカン島は港から15分ほどの所にある小さな島である。
 9時、ライフジャケットを着けてプレジャーボートに乗る。沖に向かってハイスピードで走るボートは、波に当たって何回もバウンドしスリル満点。その度に海水を頭から浴び、島に着く頃には服がビショビショになってしまった。でも、海水は温泉のように温かかった。
 西川夫妻はシュノーケリングに熱中、私は島内散策、有川氏は? 思い思いにゆったりとした休日を過ごした。
 ハイキングコースで1m位の大きなトカゲを見た。ヘクトル氏に聞いたら、「モニタリザ」というトカゲの一種で3m位になるという。そんなのが道に突然出てきたらビックリするだろうな。「危険か?」と聞いたら大丈夫とのことだった。
 天候が怪しくなってきたので少し早めに港に戻った。

桟橋

マヌカン島の海

Sun Set Point

ハイキングロード
 最後の夜。ヘクトル氏と夕食を御一緒することになった。
 夕方6:30分、ヘクトル氏が奥さんのリンダさんと共にホテルに迎えにきてくれる。
 6人で街に出て、案内されたところは、大きな市場のある屋台のような所だった。
 昨日同様、生きた食材をその場で調理してもらって食べる場所である。
 食材選び、調理方法、値段の交渉はやっぱり有川氏に頼りっぱなし。でも、地元に住んでいるヘクトル氏のお陰で随分安く(全部で100RM)食べきれないほど豪華メニューがテーブルに並んだ。味も絶品、本当に美味しい。
 円卓を囲んで楽しい会話が続く。私の拙い英語でも何とか分ってもらえて話ができたのが嬉かった。
 リンダさんが後日、料理のレシピを送ってくれるという。楽しみである。 
 あっという間に4日間が過ぎてしまった。雨が多い割りにはそんなに降られることもなく、アタックの日は、絶好のコンデションに恵まれた。順調に行ったのは少人数だったから行動がスムーズにできたのも、大きな要因である。それに大勢で行くツアーと違って、中身の濃いものであった。
 この山行きを決めたのがちょうど1ヶ月前。正直言ってあまり期待はしていなかった。(生意気なようだが、どちらかと言うとアイゼン・ピッケルの世界が好きだから)でも、こうやって出かけてきてみて、やっぱり来て良かったとしみじみ思います。
 【5日目】
多くの思い出を胸に深夜0:30分、成田に向けコタキナバル空港を離陸しました。西川さん、有川さん、楽しい山旅を有難うございました。
 終わりに
 この山は日本百名山と違って、若い人が圧倒的に多く、中高年の姿は韓国からの5人パーティと我々程度で、他には殆ど見かけませんでした。
それに、山を登っている地元の人達の格好は本当に質素です。足まわりは短靴かサンダル、何と裸足の人もいました。雨具は腕のあるのを着ているのはいいほうで、ビニール袋をかぶって代用です。大雨が降ろうが蒸し暑かろうが、自然をそのまま受け入れて生活している様子が伝わってきます。、それに比べ、○万円もするゴアテックスの雨具、更にそれより高い靴、頭から足の先まで立派なもの(普段使っているものの中で一番使い古したものを持って行ったけれど、それでも)に身を包んだ我々と、あまりにもギャップがあり過ぎて、何だか反対に後ろめたい気持ちにさえなりました。
 この山は山岳雑誌から抜け出したような立派な格好は似合いません。
 今度行くことがあるとすれば、ちょっと近所へ野良仕事に、そんな気楽な格好で行こうと思っています。
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