春日山城跡・桑取道   所在地  新潟県上越市    戻る

 新潟に住んでいながら,今まで「春日山城跡」を訪れる機会がなかなか無かった。
 この城の城主上杉謙信は越後を圧倒的に席捲した戦国時代の武将で,日本中あまねく知られている。
 林泉寺は明応6年(1497年)越後国守護代,長尾能景(よしかげ)が父重景(しげかげ)の菩提を弔うために創建した長尾家の菩提寺だ。開山は曇英恵応禅師(どんえいえおうぜんじ)。その40年後能景の孫,上杉謙信は,7歳から14歳まで名僧天室光育(てんしつこういく)のもとで学問を学び,さらに益翁宗謙(やくおうしゅうけん)について禅の教えを学びさとりを開きました。戦国時代の武将としては教養が高く信仰心が深いのはこの時代に培われたものです。あとを継いだ景勝のとき,上杉家が会津移封となり,かわって堀家,高田城主松平越後守家,榊原家の菩提所となりまた代々から「禁制状」を下され,あつく保護されました。
 惣門は春日山城から移築したといわれ,山門は鎌倉時代の様式を取り入れた大正14年建立の名作。墓地には謙信公や堀家三代の墓,川中島合戦の供養塔がある。
 また,隣接する宝物館には,謙信公の書簡やゆかりの品,生前中に描かれたものとして唯一現存する上杉謙信の肖像画,直筆の「春日山」「第一義」の大額,上杉軍の軍旗,毘沙門天,当時の甲冑など数多くの遺品が展示してあり見ごたえがあります。(入館料500円)
 「春日山城跡・林泉寺」は道路のあちこちに看板ができ,おかげで迷わずたどり着くことができた。まず,林泉寺を見学した後,案内図に従って春日山城跡へ向かう。駐車場はまず春日山神社に直登する階段の下に20台位止められる。その斜め左へ僅かに上がると6.7台止められる駐車場がある。なるべく歩きたくない人はその先,謙信の銅像や店のある終点まで行って止めることができる。ここは10台くらいだ。
 大河ドラマブームでここを訪れる人が多くなったため駐車場は満杯状態だ。運よく中間の駐車場に止めることができた。下から歩いても4.5分だからたいしたことはない。
 そこから2.3分坂を登ると終点の銅像の前に着く。一段高い所に川中島を見下ろすように謙信公の銅像が建っていた。先日の直江兼続と同じ位の大きさだ。
 右へ回り込むように進むと春日山神社がある。
 神社の右をさらに回り込むように城への山道が続いていた。足の悪いお年寄りはちょっと登るのは無理のようである。階段の付けられた杉林の長い道を進むと,右の杉林の中に多くの屋敷跡を見ることができる。その先少し登ると小広い台地があり,千貫門に着く。ここには何本かの空堀があった。御成街道から右に入り急坂を登ると今話題の「直江屋敷」跡があった。アカマツが点在する広場だ。大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続が暮らしていた場所だ。居城である与板城にはあまり戻らずここで過ごすことが多かったと聞く。四方八方望める見晴らしの良い場所で,三段になっていて筆頭家老らしく城跡の中では広い部分を占めていた。
 さて,高さは次第に上がり,当時は様々な花が咲きそろっていたと言われるお花畑の台地を過ぎると,毘沙門堂に着く。ドラマで謙信が倒れた場所がここだったのかとその時の思いを巡らせた。後日知ったことだが,本当は謙信は厠(かわや)で亡くなっていたらしい。
「諏訪堂」「護摩堂」を過ぎ,休憩舎を過ぎてようやく本丸跡に着いた。本丸跡はさすが見晴らしが良く絶大な権力を誇っていたことが覗える。眼下が一望のもとだ。往時にタイムスリップしたかのような不思議な感覚を覚える。こうして居城跡を見ているとあらためて謙信が偉大な戦国武将だったことが想像できる。
 また,本丸から僅かに下ったところには直径5mくらいの「大井戸」があり今でも水を湛え1年中水が枯れたことがないという。反対側は急斜面で「油坂」と言われた。一段上がった所が「鐘楼」で行き止まりだ。戻り回り込むように進むと,兼続の主君「上杉景勝」の屋敷跡がある。何だか兼続屋敷跡のほうが広い感じがした。
そこから御成街道へ下り先へ進むと広場が現れ,あとはそこから駐車場へ下るのみだ。
 この城跡は扇状に登れるようになっているので,どのルートでも下れば必ず元の場所に帰れるので安心だ。
 最後の広場は「柿崎和泉守屋敷」と言われる所でこの城跡で一番広かった。気軽な気持ちでスニーカーにカメラだけ持って登ったのだが,最後の「柿崎和泉守屋敷」にあった看板で「桑取道」という道が存在することを知った。
 距離はトータルで7.8kmあるようだ。駐車場と反対方向の西側へ向かって行くようだから,途中で引き返すつもりで足を踏み込んだ。
 ロープに沿って屋敷跡を回り込むように進むと良く踏まれた道が現れる。緩やかに登って行くと道はなだらかになり,一旦車道に出る。ここまで車でも来れるようだ。車道を右へ20mくらい行くと左側に入口がある。辺りはうっそうとした杉林だ。
なだらかにどんどん進み途中に城ケ峰砦跡まで「あと4km」,「あと2km」,「あと1km」という看板だけを頼りに歩を進める。水平な道だが意外と長く感じられた。もっともここへ来る前に別の山に登って来たので多少疲れもあったからかもしれない。
 単調な道をひたすら進み,左眼下には高速道が見え,うんざりする頃にようやく「城ケ峰砦跡」に到着する。小高い広場には看板だけで何も無い。ここから引き返そうか迷ったが,スタート地点に書いてあった「桑取道(古道)」という言葉に後押しされてずんずん進んだ。
 この道が一体どこへ通じているのか何が何でも確認したく,更に先へ進むことにした。標識では中桑取集落に通じているようで,なだらかな道を延々と進み,最後は幅広の道の下りになり,車道になり集落の集会所の前にひょっこり出た。
 帰りはまた同じ道を戻らなければならない。気が遠くなる距離,観光地見学のつもりがひょんなことで山登りになってしまい,地図も無く,おまけに水も食糧も無く,そういえば昼から何も食べてなく,ちょっとしたサバイバルだった。
 ひたすら歩いて歩いて春日山城に戻った時は,夕闇がせまっていた。