カラパタール(5545m)登頂とエベレスト街道   戻る

登山月日  2016年11月8日〜26日

 カラパタール(5545m)はゴーキョピークと並んでエベレストの好展望台である。アイゼン、ピッケルを必要としないので富士山の延長くらいかなと気軽に考えていたが、アタックまでに8日かかり、世界一美しいと言われる「エベレスト街道」はアップダウンも激しく、高度感のある吊り橋を何カ所も渡る必要があり、ロバやゾッキョ、ヤクなどが狭い登山道で行き交い糞をし、乾燥した大地は埃が舞い、日が陰ると急激に気温が下がり、快適とは言えないロッジ、寒くてシャワーは使えず、慣れない食事、高山病に細心の注意を払いながらの3週間であった。五千メートルを超える山は今まで3つ(キリマンジャロ、エルブルース、エル・プロモ)登っているので、高山病は何とか克服したが、同行した仲間の1人はナムチェでリタイヤ、更にもう一人はロブチェでヘリにレスキューされ、カトマンズの病院に入院したというから決して侮れない。行程中、最初から最後まで雲一つない晴天がずっと続き(こんなことは珍しいとのこと)全ての山々を望むことができ、また、カラパタールから眼前にエベレストを大きく望むことができ感動した。

【日程】

11月8日 成田ーバンコク
11月9日 バンコクーカトマンズ
11月10日 カトマンズールクラ(2840m)ーパクディン(2652m)
11月11日 パクディンーナムチェバザール(3450m)
11月12日 ナムチェバザールーシャンボチェの丘ーエベレストビューホテル(3880m)往復
11月13日 ナムチェバザールータンボチェ(3867m)
11月14日 タンボチェーディンボチェ(4343m)
11月15日 ディンボチェーチュクン(4730m)往復
11月16日 ディンボチェーロブチェ(4930m)
11月17日 ロブチェーゴラクシェプ(5170m)−カラパタール(5545m)登頂ーゴラクシェプ
11月18日 ゴラクシェプーペリチェ(4215m)
11月19日 ペリチェーパンボチェ(3860m)
11月20日 パンボチェーナムチェバザール
11月21日 ナムチェバザールーパクディン
11月22日 パクディンールクラ
11月23日 ルクラーカトマンズ
11月24日 カトマンズ滞在
11月25日 カトマンズーバンコク
11月26日 バンコクー成田

【11月8日】成田ーバンコク

 今年から新潟から成田まで夜行バスが運行されることになって、大変便利になった。
 前日夜発成田には早朝到着した。今回はタイのバンコク経由だ。

【11月9日】バンコクーカトマンズ

 バンコクからネパールの首都カトマンズに向かう。カトマンズに近づく頃、飛行機の窓から遠くエベレストが望めた。
 カトマンズは昨年の1月、今年の4月にも来ているが、少しずつ整備されて綺麗になっている。
 バスでホテルに向かう。夕食前にタメル地区の街を散策した。道路は多くの車やバイクが行き交い呼吸するのをためらうくらい埃っぽい。
 夜、ホテルにカトマンズの知り合いのガイドから久し振りに電話があった。
パンコクの空港で 飛行機から見たエベレスト

【11月10日】カトマンズールクラ(2840m)ーパクディン(2652m)

 カトマンズからルクラへ向かう。荷物は手荷物も含めて一人15kg以内ということ。
 ルクラの飛行場は山間の狭い空港で、視界が開けていないと着陸不可能で、したがってヘリが飛ぶか飛ばないか天候次第とのことだったが、天気が良かったので予定通り飛んで、窓からはエベレストを始めヒマラヤ山脈がくっきりと望めた。
 6年程前、ヘリが墜落して新潟の人が亡くなった事故は記憶に新しいが、度々墜落事故が起きている世界一危険な空港だ。無事に着陸できて良かった。
 1時間程のフライトでルクラに着き、シェルパ、ポーター、コック、ゾッキョと合流していよいよ13日間の長い旅が始まる。
 階段の緩い下りがずっと続く。コンデリとヌン峰を望みながら途中タドコシというところで昼食をとった。ロッジの3歳位の女の子がとても人懐こかった。私のコスメに興味を示し、結局鏡をやるはめになった。
 小さな村を通り、長いつり橋を渡った所が今日の泊り場パクディン(Phakding)である。部屋はベッドだけ、トイレは共同で一応水洗だった。
(ルクラ8:30−パクディン13:50)
ルクラの飛行場 ルクラの街の中 エベレスト街道入口 ゾッキョも吊り橋を渡ります マニ車 人懐こい女の子

【11月11日】パクディンーナムチェバザール(3450m)

 今日はこのルートで一番の登り、ナムチェ坂を通ってナムチェバザールまでだ。
 出発して1時間ほどすると、大きな滝の見えるロッジに到着し、休憩だ。
 そこから何本か橋を渡り、タムセルクを右に見ながら、橋が上下2本掛かった所に着く。下の橋は以前使用していたもので、ゾッキョが転落したことがあり、新しい橋を上に架けたということだ。かなり高度感があり、下を見ると怖い。ロバやゾッキョ、ヤクなどもこの吊り橋を渡る。怖くないのだろうか。こんな険しい所によくルートを付けたものだ。動物がいない時に急いで渡らなければならず、擦れ違いでは砂ぼこりが舞い上がって大変だ。ここから長い登りが始まる。途中1ケ所樹間にエベレストが見える場所(トップダラ)があった。ローツエ、ヌプツエも見える。無料トイレと有料トイレが並んでいる所だ。リンゴや土産物などが売っていた。
 更に樹林帯の登りが続き、ナムチェバザールには16時10分に着く。
 すり鉢状になった山の斜面に、学校、ロッジ、市場、店、軍の施設、診療所などが建っていてこのルート一番の賑わいを見せていた。
(パクディン8:00−ナムチェバザール16:10) 
国立公園ゲート 吊り橋が2本 トップダラからのエベレスト ナムチェバザール

【11月12日】ナムチェバザールーシャンボチェの丘ーエベレストビューホテル(3880m)往復

 高度順応日。エベレスト街道一の好展望地シャンボチェの丘を登り、その先のホテルエベレストビューまで行きました。
 2時間ほど登ると、エベレストシェルパリゾートの先の広場からエベレストを始め、アマダブラム、ヌプツェ、ローツェ、ピーク38などが見え、またその先のホテルでコーヒーを飲みながら見たエベレストは意外と大きく、カラパタールまで行くよりここで充分。午後は自由行動でナムチェの街を散策した。両替はカトマンズよりレートが良かった。
(ナムチェバザール7:30−ホテルエベレストビュー10:15〜11:15−ナムチェバザール12:45)
ホテルエベレストビューのテラスにて(奥にエベレストが見える) リンドウ エーデルワイス

【11月13日】ナムチェバザールータンボチェ(3867m)

 ナムチェからタンボチェまでの長い行程だが、ナムチェからキャンズマまでの道がエベレスト街道の中でも「世界一美しいトラバースルート」と言われるエベレストの展望ルートだ。
 サナサで「ゴーキョピーク」との分岐を過ぎ、川沿いのプンキテンガを目指して樹林帯を下り、再度登り返してタンボチェ着。アップダウンが激しい。
 タンボチェも大きな街で、エベレスト街道最大のチベット仏教のゴンパがあり、せっかくだからとお祈りの見学に行った。1時間を過ぎてもまだお祈りは続き、とても寒さに耐えられなくて途中でロッジに戻った。
 結局、これが原因で風邪をひいてしまった。鼻水が出て持参のトイレットペーパーが足りず1巻購入した。350ルピーだった。多分一番高い買い物だったかも知れない。
 ロッジの近くには登山家の加藤保男氏のお墓があった。
(ナムチェバザール8:00−タンボチェ15:20)
世界一美しいトラバースルート タンボチェ タンボチェ 吊り橋が多い

【11月14日】タンボチェーディンボチェ(4343m)

 今日の行程も長い。
 シャクナゲの樹林帯を通り、パンボチェを過ぎ、緩やかな登りでソマレへ。エベレストは山の影に隠れ、アマダブラム、ヌプツェ、ローツェなどが見える。
 ローツェとアマダブラムの間の谷に入り、ディンボチェへ。アイランドピークが目の前に見えるが、周りの山々が大き過ぎて小さく見える。
(タンボチェ8:00−ディンボチェ16:15)
ディンボチェのロッジ アマダブラム

【11月15日】ディンボチェーチュクン(4730m)往復

 高度順応日。少しでも高い所に登って下りてくる。チュクンの手前の展望地まで行った。緩やかな登りやすい斜面だ。
 正面にはローツェやアイランドピークやカンレヤムウのヒマラヤヒダが美しく見えた。8千メートル峰の一つマカルーも望めた。午後は休憩。昨日は寝不足だったので、夕食までベッドで休んだ。
(ディンボチェ8:00−チュクン手前展望地往復、登り2:30、下り1:00)
マカルーが見えた チュクンからの眺め チュクン

【11月16日】ディンボチェーロブチェ(4930m)

 ロッジ裏手の丘を登ると、見えていたローツェやマカルーは谷に向かうので見えなくなる。
 川沿いに丘を進むとペリチェ、タウチョ、チョラチョ、ロブチェが見えてきた。トゥクラで昼食を取り、急登でトゥクラ峠に到着。峠には多くのお墓が点在していた。
 峠からなだらかな道が続く。5千メートル近くになるとさすがに呼吸が苦しく、何をするにも肩で息をしなければならない。クーンブ氷河のサイドモレーン脇の谷沿いを進みようやくロブチェに到着した。
 メンバーの一人は体調を崩し、かなり遅れてロッジに着き、結局、翌日ヘリでカトマンズの病院に運ばれた。
 ヘリ代、入院費用、退院した後のホテル代・・・等、全部自費とのこと。やはり保険は大事だ。
(ディンボチェ8:00−ロブチェ15:30)
         
トゥクラ峠 氷河 クーンブチェとチャンチェ 真ん中の茶色の山がカラパタール(5545m)

【11月17日】ロブチェーゴラクシェプ(5170m)−カラパタール(5545m)登頂ーゴラクシェプ

 いよいよカラパタールアタックの日。
 ここまで来るのも大変でした。高山病、混雑するルートの埃、乾燥した空気、しつこい風邪、慣れない現地食、過酷なロッジ泊、寒さなどで、みんな体調を崩し最悪だ。鼻をかめば鼻血が出るし、お腹をこわした人、夜中に咳が止まらなかった人もいた。食欲も無くなり、早く日本に帰りたいとさえ思った。
 ロブチェから峠を越えるとクーンブ氷河が見え、モレーンの岩場のアップダウンを越えるとエベレスト街道最奥地ゴラクシェプに到着だ。
 プモリが大きく見え、もうその裏はチベットになる。随分遠くまで来たものだ。簡単な昼食の後、いよいよカラパタールアタックだ。標高5170mから5545mまで標高差370m。
 山頂はすぐそこに見えるので、普通の山なら30分位で登れそうだが、何せ5545m、10メートル進んで一呼吸しなければならず2時間半ほどかかった。
 雲一つない晴天に恵まれ、絵葉書のような群青色の空を背景にエベレストが大きく輝いていた。
 夕陽に照らされたエベレストを写真に撮ろうと1時間半ほど待った。寒さは尋常ではなかった。
(ロブチェ7:00−ゴラクシェプ10:45 カラパタール往復登り2:30、下り1:30)
山頂からのゴラクシェプ 形の良いプモリ エベレスト 山頂にて 夕陽に輝くエベレスト ヌプツェ(左奥がエベレスト)

【11月18日】ゴラクシェプーペリチェ(4215m)

 昨日のカラパタールはみんな極限状態だった。疲れた。
 それでも、ここまで来れた人はみんな登頂できた。下痢で大変だった人もいたらしい。
 そんな充実感を胸に来た道を下山開始。とっても来た道をまた戻る元気がないという2人は自前でヘリをチャーターしカトマンズに戻った。それもいい方法ね、お金さえあれば・・・
 モレーンの岩場のアップダウンを越えロブチェで昼食。ほとんどの人が食べることができませんでした。
 来た時通ったトゥクラ峠を越え、ペリチェまでの道のりの長いこと。それに谷筋で日が陰ると寒さが襲ってきます。
 見えてから1時間以上かかり、ここから8千メートル峰の一つチョーユーが望めた。これで、8千メートル峰4つすべて見ることができました。
 ここは人が住んでいる村です。標高が下がった分、呼吸や動作が少し楽になった。
(ゴラクシェプ8:30−ペリチェ16:10)
ゴラクシェプ ペリチェを見る チョオユー

【11月19日】ペリチェーパンボチェ(3860m)

 今日はパンボチェまでの半日行動だ。
 ペリチェ峠を越え、川沿いを往路と同じ道を下ります。
 アマダブラム、カンテガ、タムセルクなどを望みながら、お昼のパンボチェに到着です。
 半円球の形のソーラー式の調理器具があった。日の当たる部屋でゆっくり休んだ。すぐ上に雑貨屋があり覗いた。トイレットペーパー200ルピーだった。
(ペリチェ8:50−パンボチェ12:30)
パンボチェ

【11月20日】パンボチェーナムチェバザール

 今日は登りも沢山ある長い一日だった。
 一度下って登り返すとゴンパのあるタンボチェだ。
 ここからエベレストビューの丘が随分下に見ることができる。あんな下なのに、ちょうど遮るものもなくエベレストを望むことができる所にホテルを建設したものと感心する。
 このホテルは日本人経営とのこと。一歩も歩きたくないがエベレストが見たい人は、このホテルにカトマンズからヘリで来ると良い。それより、カトマンズからヘリで「エベレスト遊覧飛行」のほうが手っ取り早いかな。なんでこんな辛いことするんでしょうね、まったく。
 山の斜面に付けられたゴーギョ方面への道も望むことができた。
 樹林帯の中を下りプンキテンガで昼食。きつい登りでキャンズマへ。標高差650mのアップダウンだ。ここでヤクチーズを手に入れた。
 最後はエベレストに後ろ髪を引かれながら「世界一美しいトラバースルート」を通り、ナムチェに戻った。何だか懐かしい。
(パンボチェ8:00−ナムチェバザール16:30)
斜面にゴーキョへ行く道が見える タンボチェ 赤い屋根の奥がホテルエベレストビューのある所 ナムチェバザール

【11月21日】ナムチェバザールーパクディン

 朝、「シェルパ文化博物館」を見学に行く。
 シェルパの歴史や生活用品の展示、山のスライドショーなどを見た。
 田部井淳子さんや三浦雄一郎さんなど草創期のエベレスト登頂者の写真が飾ってあった。
 その後長い長いナムチェ坂を下る。
 大きな荷物を担いだポーター、聞けば90kgという。ロバ、ゾッキョ、人の往来が激しく、埃が舞い上がる。
 ドードーコシの川沿いにアップダウンを繰り返し、モンジュで昼食、ロッジに着くと、食事の前にはかならずホットジュースが出てくる。
 初日に泊まったパクディンに到着。
(ナムチェバザール10:00−パクディン16:00)
                   
シェルパ文化博物館 シェルパ文化博物館 田部井淳子さんの写真 大きな荷物を運ぶポーター

【11月22日】パクディンールクラ

 最終日。ルクラに戻る日です。
 下りがあれば必ず登りがある。
 吊り橋を渡る前後は必ずアップダウンがあり、なかなか大変だ。
 この日はほとんど登りだ。
 長い石段を登り終えるとルクラゲート到着です。
 ゲートの上には、ネパール人の女性で最初にエベレスト登頂した人の像があった。
 13日間の長い山旅でした。
 トレッキングということになっていますが、立派な登頂ツアーです。
 夜はルクラで、お世話になったシェルパ、ポーター達と最後の晩餐です。
 歌や踊りの賑やかな夜が更けていきました。
 4月に来た時ネパールの踊り方を覚えたはずなのに、最後は阿波踊りになってしまった。
(パクディン8:00−ルクラ13:30)

【11月23日】ルクラーカトマンズ

 カトマンズに戻る日。
 朝一番のヘリで戻る予定が、待合室は次第に多くの人が集まり満員になり、へりがなかなか来ず、待っている間、寒くて寒くて大変でした。
 ようやくヘリに乗れて、昼頃カトマンズに戻り、サンセットホテルで蕎麦御膳を食べ、温泉施設(1000円)に行って2週間振りの垢を流した。
 それにしてもルクラの空港は着陸も離陸もスリルがあります。

【11月24日】カトマンズ

 カトマンズ滞在。
 皆とは別行動。事前に連絡していたネパールの知り合いのガイドの案内で一日過ごす。
 ホテルに迎えに来てもらい、まず世界一大きなチベット仏教のストゥパ「ボーダナート」に行く。
 ちょうど地震復興記念のお祭りが行われていて、数百人の僧侶、信者がお祈りしていて賑わっていた。特別に上まで上がらせていただいて見学した。
 ガイドがすごく詳しく説明してくれて恐縮する。
 お昼は彼の家に招待され、奥さんの手料理を御馳走になった。
 午後は世界遺産バクタプールの見学に行った。ここは3回目、地震の復興はまだまだという感じだ。とても親切にしてもらって彼に感謝。

【11月25日】帰国する日

 昼過ぎカトマンズ発バンコクへ
 乗り継いで成田へ。

【11月26】成田

 早朝6時半成田着。

【終わりに】

 現役の頃は20日間という休暇はなかなか取りづらく、また、ルクラでは度々ヘリが墜落したり、行った人によると体調を崩し、セイロガンも効かないほどの下痢をしたなんてことを耳にするにつれ、なかなかネパールに足が向かなかった。しかし、エベレストをどうしても見たいという気持ちが大きくなり、意を決して行くことにした。
 13日間、晴天に恵まれ、見える山はすべて見ることができ、何と言ってもカラパタールから目の前にエベレストを見ることができ大満足だった。