紅葉の八十里越え縦走 2009.10.25  

コースタイム 吉ケ平6:45−椿尾根7:45−番屋乗越8:55−ブナ沢10:10−空堀10:45ー殿様清水11:10−鞍掛峠12:00−田代平(林道)12:45〜13:15−木の根峠13:40ー(左沢湿原経由)−浅草林道16:15
 
 
 新潟県三条市(旧下田村)吉ケ平から福島県只見町へ通じる『八十里越え』は、天明の大飢饉を契機に、越後の塩、米、魚の干物、三条の金物、くし、かんざしなどの生活物資を会津地方へ、また、会津からはゼンマイ、蚕種、生糸、伊北布などを越後へと盛んに交易され、農民の日光参詣や江戸へ至る重要な生活道路だった。また、戊辰戦争で河合継之助を軍事総督とする長岡藩は新政府軍によって落とされ、この八十里越えから会津へ敗走したといわれている歴史の道でもある。
 今回は地元のMさんの計画で縦走した。

  吉ケ平には廃屋になった分校の校舎があり、古くなっていたが最近また手入れされたらしく、中に入れるようになっていた。また、校舎の脇の一段高い所には櫓が組まれ、イベント等に利用できそうに整備されていた。
 校舎の前で写真を撮り、いよいよ八十里越えに向けて出発だ。
 橋を渡り少し先へ行くと水準点が足元にある。昭和45年頃集団離村し閉村になったが、草むらにはひっそりとお墓が残されていた。
 雨生池方面へ行く道と別れる所には“馬場跡”と石標がある。そしてそのすぐ先には“詞場”(ほこらば)という所もあった。

 辺りは鬱蒼とした杉林のなだらかな道になり、トラバースしながら進んで行くと右側の視界が開け、守門岳を大きく望むことができる。以前は雑草に覆われてルートが不鮮明だったが、最近刈り払いしたらしく、道は明瞭になっていた。1時間ほどで椿尾根に到着し休憩する。
 その先なだらかに進むと急な斜面のトラバースになり、沢を横切る所は大きくえぐれて、
滑落しないよう一歩一歩慎重に進まなければならない所が随所にあった。
 急な斜面を登り、少し行くと杉の木の根元には小さな祠があり「山の神」と看板がある。辺りの紅葉は今が見頃、間もなく標高八九五メートルの番屋乗越に到着する。

 
3週間前に、ここから烏帽子山に登った。
 番屋乗越を過ぎると、今度は左側が崖の斜面に変わりそれと共に景色も変わってくる。左が大きく開け、粟ケ岳、光明山をはじめ、川内の山々がくっきりと望めた。大岩の脇を通った時、“火薬跡”と刻まれた石標があった。昔、鉱山か何かがあってそれを切り出した跡らしい。岩に無数の穴があいていた。
 しばらく行くと見事なブナ林へと変わる。昔の人はどういう思いでこの峠道を行き交ったのだろうか。黄葉の眩いばかりのトンネルは縦走中のハイライトと言うべき場所だ。でも、この辺はちょっとルートが判り辛いので要注意だ。
 1つ目の沢を渡り、緩く斜面を登って急下降すると大きな沢に出る。雪解けの時は増水して渡渉に苦労するが、今は簡単、渡った所に「ブナ沢」の杭があった。その先には、100年以上経ったであろうブナの大木があちこちにあり目を見張る。また、「御所平」には高倉宮以仁王が住んでいて空堀小屋が大正末期まで営業していたとのことだ。
 空掘で左から大谷ダムからの道と合流し、桜の窟を通り過ぎ突き当たると、殿様清水に到着した。振り返れば、紅葉真っ盛りの烏帽子山とその前衛峰が荒々しい岸壁を見せていた。ここまで来る間何箇所も沢があり、水には不自由しないが、この殿様清水の味は最高。。ここからヘアピンカーブで先へ進む。左側の景色が開け素晴らしい。
 12時、標高九五一.八メートルの鞍掛峠に到着した。八十里越えの中の最高所だ。戊辰戦争では、長岡藩士、山本帯刀(たてわき)隊100名がこの峠に陣を構え西軍と戦った。連合艦隊長官、山本五十六は帯刀の養子だ。
 道は殆ど斜面のトラバースである。そう大きなアップダウンはないが、全行程二五キロ(八里が八十里に思えるほど遠いというということらしい)で、生半可なことでは歩き通せるものではない。

 右手に烏帽子山、袴腰、黒姫と連なり、小松横手に来ると前方には秀麗な浅草岳が姿を現す。
 ここから田代平までは、水平な道となる。30分で入広瀬からの林道終点に到着した。
 時間がオーバーしているので、ここで短く昼食を取る。昼食の時間を惜しんで田代平まで往復した。草紅葉が素晴らしかった。

 13時20分発、八十里峠着13時40分。ここが会津と越後の県境だ。ここは木の根峠とも言われ、ここから明治の始めころまで使用されていたという「古道」その後使用された「中道」、そして明治27年頃から現在歩いている「新道」に分かれる。「古道」「中道」は、もうすっかり藪に覆われ廃道となり辿ることはできない。
 さて、今回の八十里越えはちょっと趣向を変えて叶津には下らず、左沢湿原を経て五味沢へ下る古道を辿ると聞いていたので、どんな所かワクワクしていた。
 木の根峠から50mほど戻り、左の草むらへ進んで行った。所々道形も認められるが、利用されなくなってからかなりの年数が経っているため、廃道同然で地元の人の案内なしではとても難しいと感じた。このルートを熟知していなければ、日帰りではとても歩き通せないだろう

 どこをどう通っているのか、歩いている時はさっぱり判らず、ぬかるんだ沢を通ったり、ほとんど右が崖の急な斜面のトラバースが多く、沢の渡渉あり、足場も悪く藪に覆われ、おまけに日没との競争で3時間休み無しで歩かされた。2万5千図には破線があるので、いつか行ってみたいルートだっただけに、今回の機会を得て大満足だった。
 
※ このルートは、不鮮明で危険な箇所が随所にあります。また、携帯は圏外で通じません。無線も山間のため通じにくいのでご注意下さい。