Will

 

「アンヌ…さぁ起きなさい。今日は晩餐会があると言いましたでしょう。今から準備にかかりますよ。」

 声と同時に更紗のカーテンが開かれた。光の溢れる部屋、天蓋付きベッド…少女から大人へとなりつつあるアンヌは、ゆっくり起き上がると、長い髪を撫で付けながら、もう一方の手で目を擦った。

「まだその人形を抱いて寝ているのですか?貴女はもう13歳。立派な淑女ですよ?今日は許婚様との対面を控えているのです。恥ずべき行動は謹んで下さいね?」

 アンヌは叔母の顔を見上げると、アリッサを更に強く抱きしめる。

「御両親の命を無駄にするおつもりですか?ストルツ家との婚姻は、貴女に遺された唯一の希望ですよ。お兄様が亡くなって、レオニード家は大変な危機に陥っているのです。貴族としての力もすっかり衰退して……」

嘆く叔母を前にアンヌは首を振る。薄汚れた人形を抱きしめ、ベッドの上で身を竦めた。

「それから…、ストルツ家の前でもお話をしないつもりですか?…知っているのですよ、貴女がその人形に話しかけている事位は…」

意地悪い表情の太った叔母を、アンヌは信じられないといった表情で見返した。

「この3年間、まともに口も利かないで…わたくし達への当て付けのつもりですか?財産狙いとでも思っていますの?貴女には莫大な遺産が遺されましたけれど、それを奪う権利はわたくし達にはありませんのよ?わたくしは…貴女の身の上を案じているだけです。ですから孤児院から引き取って3年間も養育してきたのですから…」

「…さっき言ったわ!レオニード家の危機だって。私…聞いたわ!!」

搾り出す様に声を出すと、アンヌは叔母を睨んだ。

「まあ!!何て子でしょう…。初めてまともに口を開いたと思ったら、感謝どころか…その目、言葉…!!嗚呼…嘆かわしい…。お兄様は一体どういう教育をなさってきたのかしら。」

涙を浮かべ、項垂れるアンヌを見下ろし、叔母は吐き捨てる様に言葉を投げた。

「とにかく…何としてでもストルツ家へと嫁いでもらいます。ストルツ家は由緒ある家柄で、貴族の中でも位が上です。良家の子女にとって、身分相応な方との婚姻は何よりもの幸福。わたくしは願っておりますよ。貴女が幸せにならん事を…。」

言い残して去る叔母を見送ると…アンヌはベッドに横たわり、嗚咽を洩らした。

「婚姻なんて嫌…!…嗚呼…お父様…お母様…ロイス……。会いたい…会いたいです。」

泣きながら枕元へ手を伸ばす。そして、枕の下へ忍ばせた、布に包まれた其れを掴んだ。震える手で包みを開くと、銀製の短剣が光った。それは、父親が最期まで握り締めていた物だ。衛兵がアンヌと別れる間際、こっそりと渡してくれていたのだ。

『お嬢ちゃん…よく聞いてくれ。悲しんでばかりでは道は開けないのだよ。私は、残りの人生をかけて、この国に奉仕し、護ってゆく事を誓おう。なぁに、身体が不自由でも構いはしない。何もしないよりはマシさ。お嬢ちゃんも、逞しく生きていきなさい。泣いていては進むべき道がぼやけてしまって、よく見えないからね…。』

その後握らされた短剣…。布越しに伝わる柄の感触に怯え、目を見開いていたアンヌ。あの日の記憶と、衛兵の言葉が、今をも涙を流すアンヌの心に深く突き刺さっていた。

「私の…道……。私の…進むべき……道……。私が…生き残った理由……。神様がお与えになった試練……。私への試練……。」

ぎゅっと短剣を握り締める。叔母の言葉で、自分の中の何かが弾けた気がした。

「アリッサ……私……。今初めて見えた気がするわ……。私の心を揺り動かしていたのは…貴族でも…良家の子女でもなかった…。あの傷ついた兵隊さん…だったのね……。」

薄く笑んで、薄汚れたアリッサに話しかける。頬を伝う涙をぐいと拭い、ベッドの上に起き上がる。窓の外へと視線を流し、短剣をそっと胸に抱いた。

3年もの間…暗く、陰気だった瞳に…今、小さな光が宿っていた…。


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