Sorrow

 

 その街は荒廃していた。

人々は貧しく、日々の生活がやっとという状態である。殺人、強盗は茶飯事で、弱い者達は家の中で怯え、夕刻ともなれば街中に人の気配すらない。ただ、『暗黒区』と呼ばれる区域は夜になると同時に賑わった。全ての悪事がここで行われているようなもので、賊のアジトも其処此処に点在していた。

 街にひとつだけ存在するギルドには、困り果てた人々の依頼が毎日の様に舞い込んでいたが、仕事を引き受ける傭兵が圧倒的に不足していた。そして、依頼する者も貧しい故に、金が払えずに依頼を取り下げるという事態が頻発している。その為、街の治安はいつまでたっても安定しない。自警団に志願する者の数も減り続け、その活動も弱まっていた。

 

 真夏の暑い盛り…。干ばつの為、作物の収獲すらままならないその街は、一層余裕がなくなっていた。行き交う人々の表情は暗い…。

 其の日も、ギルドへの依頼は引っ切り無しに舞い込んでいた。相変わらず傭兵の数は少ない。マスターは毎日の様に嘆息を洩らし、傭兵1人にいくつもの依頼を引き受けさせようと躍起になっている。


「…傭兵を募集しているか…?」

カウンターで鬱々としていたマスターの耳に、神の声が聞こえたのは、人の少なくなる夕刻時だった。

「嗚呼…喉から手が出る程、傭兵が欲しいねぇ…」

マスターはパイプを咥えながら、声の主を見遣る。其の者は薄汚れたズボンと簡素なシャツを身に纏い、其の身を動かす度に、剣の揺れる音がした。

「雇ってもらえないか?仕事はどんなものでも構わない。金さえもらえればな。」

マスターは其の者の顔を見遣り、物言いたげな笑みを浮かべて煙を吐き出す。

「女の傭兵か、珍しい…。まぁこんな時世だ、女でも動物でも構いやしない。」

軽口を叩くマスターが、次の瞬間悲鳴を上げる。己の木製パイプが半分に切り落とされ、カウンターに転がったからだ。女は長剣を背に収めると、ただ目を丸くするマスターに、顔を近づけて笑んだ。

「女だから、と馬鹿にすると痛い目に遭う。肝に銘じておけ。」

背中まで伸びた三つ網、頬に刻まれた十字傷。マスターはそれを然りと見遣り、黙って頷いた。

 

 街路樹の脇に、小さな鞄を抱えた男が立っていた。背中を丸め、不安気に辺りを見回し、通り過ぎる者へ陰気な視線を投げる。その様子は、如何にも脆弱な精神を持ち合わせているといった感じだ。

 「あ、あなた…あなたですか!?」

男はおどおどと何度もどもりながら、やってきた者に声をかけた。不安気な色が一層濃くなる。

 「あ、あなたが…護衛の…………レオ…レ、レオ……・」

「レオニード。ギルドから依頼を受けた。あなたが依頼人のサムソンか。」

サムソンと呼ばれた男は、傭兵を見上げて目を丸くした。

「お、女……!!わ、私は…『女』に仕事を依頼した…つ、つもりは……レ、レオニードとは…て、てっきり…」

慌てながら話すせいで、余計にどもりが酷くなる。薄くなった頭にジワリと汗が滲むのが見て取れた。

「アンヌ=レオニードだ。依頼を取り消すつもりか?取り消し料を頂くが…。」

アンヌは、口の端に笑みを浮べて、今にも倒れそうな小さな男を見下ろした。男は小さく舌うちをし、瞬きを繰り返す。身体まで震え始めたが、やがて観念したらしい…。

「し、仕方ない……くそっ…マスターに今度、く、苦情を……。」

「依頼内容は街の外れまでの護衛だったな?では、先に進もう。言っておくが、私から少しも離れなさるな。私がそう指示する以外は、な。」

アンヌは、男の呟きなど意に介さずに歩き始めた。サムソンは、腑に落ちない様子でいたものの、アンヌの背後にぴたりと付いて行く。どうやら、相当に怯えているらしい。

 無理も無い…。そのしがみ付くように抱えた鞄には、目もくらむ様な宝石が溢れる程入っていたからだ。どう言った所以で、己の手元に舞い込んだのか…それに疑問を持つ事など許されない。己はただの『運び屋』で、ある男から手渡された其れを街外れで待つ宝石商まで届ければいいのだ。確実な護衛をつけて、何としてでも届けなければ己の命はないだろう。今までも其れを生業にして生き抜いてきたのだ。サムソンという男は、見た目は犯罪から程遠い人間の様だが、其れが上手く目晦ましになっているようだ…。

  

 一言も口を利かない傭兵の後を男はひたすらに付いていった。まだ空は明るい。比較的安全な時間を選んだのだ。通りにはずらりと店が並んでいて、人々が買い物をしている。しかし、決して賑わっているという感じではない。品薄が続く店先では、店主が呆けた顔で通りを眺めていた。

 「こ、この…この道を越えたら…街道に入る…い、一層人が少なくなる……き、き、危険…だ…。」

男は、前方を歩く傭兵に偉ぶった態度で声をかける。傭兵は黙ったまま歩き続け、振り返る事すらしなかった…。

 アンヌはこの荒廃した地を気に入った。おまけに傭兵が不足しているという。海を越え、見知らぬ地へ流れつき、生きた心地もしないまま彷徨い続けた。どこをどう歩いたかもわからない程だ。

 ただ、この地は不思議と安らいだ。貧しい地の民は、己の事だけで精一杯なのだ。『新参者』にすら目もくれないであろう…。

 この長い放浪は、彼女の心を頑なに…そして冷たく変えていった…。

 「お、おい…おい…聞いてるのか、女傭兵…。」

其の声にアンヌは振り向いて、鋭い視線を投げる。

「黙れ。次に何か言えば、その首が飛ぶぞ…。」

「何を―――――」

言い返したサムソンを、アンヌが制する。そして、周囲に視線を巡らせた。その緊張した様子に男は黙り込み、怯えながら身を縮めた。

 気付けば例の街道に差し掛かっていた。辺りは木々に囲まれていて、視界も悪い。隣街へと伸びる石畳があるおかげで迷う事がないのだ。

「離れるなよ。」

何者かの気配を感じる。アンヌは背中に差した長剣を抜いて腰を落とし、男をちらりと見た。男は鞄にしがみついたまま蒼褪めた表情で辺りを見回している。震えているようだ。

 その一瞬間後の事だった。鋭い風斬り音と共に、何かが飛んで来たのだ。そして、その真っ直ぐな軌道はアンヌの目の前で断たれた。矢だ。長剣が、その矢を叩き落としたのである。   

その直後アンヌは男を引き寄せると、近接した太い木に身を寄せた。二回目の投擲はその木に命中した。

「身を低くしろ。頭を射抜かれるぞ。」

男はその忠告に短い悲鳴を上げ、出来る限り影に隠れる。アンヌは、次々と放たれる矢の軌道を見遣り、方向を見定めた。

「鞄を寄越せ。」

男は傭兵の声に度肝を抜かれた。己の鞄を奪おうというのだ。もしや、この傭兵は敵に降伏するのであろうか。それとも、初めから敵と仲間だったのだろうか…。男は瞬間、勘繰った。

「そ、そんな……事…で、で、できるも、もの…かッ!」

「死にたくなければ言う通りにしろ。まだ命が惜しいだろ?」

アンヌはニヤリと笑い、剣先を男の喉元へ突きつける。男は再び悲鳴を上げて、あっさり鞄を手渡した。

「其の場から離れるなよ。動けば矢の標的になる。」

憎々しげな視線を投げてくる男をよそに、アンヌはその鞄を小脇に抱えると、更に体勢を低くし一気に駆けた。そのまま石畳へと踊り出れば、矢が一斉に襲い掛かる。

「お前らの目的はこれか!?」

アンヌは叫びながら、地を横転しては起き上がり矢を交わした。そして、起き上がりざま身を低くし、伸び上がる反動を利用し跳躍を繰り返す。その間、長剣は空を斬り矢を叩き落とした。そうする間に、敵との距離をぐんぐん狭めてゆく。矢は三方向から放たれているようだ。まずは一番近い場所から攻める事にする。強く踏み込み、高く跳躍した刹那に、潅木の影に敵が潜んでいるのを発見した。

 距離が近づいても、矢を放つのは止めないようだ。回数が急に増した。敵は近づくアンヌに焦っているのだろうか。

「攻撃を止めろ。今止めれば……命までは取らない…ぞ!!」

 避けきれぬ矢が頬を掠めた。アンヌは疾駆し、猛烈な勢いでその潅木へ飛び込んで行った。

「……な、何ッ……!?」

敵はまだ若い男の様だ。声が裏返り、驚きのあまり弓矢を手放した。敵の男は仰向けになり腰の短剣を引き抜こうとするものの、一瞬手間取った。その刹那に、アンヌは男の上へ馬乗りになると、すかさずその右腕に長剣を突き立てる。

「う…がぁッ…や、やめてくれッ…う、腕がぁぁッ!!」

男は目を見開き、地面に磔(はりつけ)となった己の腕を見た。

「お前らの目的は何だ。言え。」

アンヌは左脇に抱えた鞄をちらつかせながら、男に問う。その口元には微かな笑みを浮べてさえいた。その間も矢が飛んで来たものの、潅木の陰にいるアンヌまで届きはしない。二人は殆ど地に蹲る形なのである。

「そ、それだ…その鞄……。その中身だ……。」

男はまだあどけなさの残る顔をアンヌに向けた。脂汗が滲んでいる。

「立て。そのまま道へ進め。」

アンヌは刺す様な眼差しを向けたまま、容赦なく長剣を引き抜くと男の喉元に剣先を突きつけながら立ち上がらせた。男は呻き声を上げながらアンヌに従い、アンヌの盾になる形で石畳へと進む。矢は完全に止まった。様子を伺っているのであろう。

「全員出て来い。従わなければ仲間を殺す。鞄はここにあるぞ。お前らの負けだ…。」

アンヌは淡々と言葉を放ちながら、辺りを睨み据える。やがて茂みが揺れ1人の小柄な男が、両腕を上げながら姿を現した。そしてもう1人はサムソンを引き連れて現れた。サムソンは腕を掴まれ、涙を流しながらアンヌを見た。どうやら捕われてしまったようだ。

「お前の依頼人を預かったぞ。俺の仲間と鞄を引き渡せ。間抜けな傭兵め。」

サムソンを連れた男が、勝ち誇った笑みを浮かべてアンヌに声を投げる。

「その間抜けな依頼人がどうかしたか?この鞄より大事なものなどありはしないさ。勝手に殺せばいい…。」

アンヌは笑みを返して言った。相手の男は驚きを隠せずに見返してくる。

「せっかくチャンスをやったのにな。馬鹿め。」

アンヌは凍る様な視線を向けながら、己の長剣に思い切り力を込める。そして、己が捕らえていた男は力を失い、首から血を噴出しながら其の場に倒れた。アンヌはすかさず、倒れた男の腰元から短剣を引き抜くと、対峙する敵へと投擲した。その確実な軌道は、まっすぐに相手の額へ突き刺さる。そして、続けざまに倒れた仲間を見遣り、降伏していた小男が悲鳴を上げる。恐怖で慄いた顔を冷酷な傭兵へと向けた。

「さっさと消えろ。目障りだ。」

アンヌはその男へ言葉を放ち、長剣を収めた。敵は一目散に森へ逃げた。

サムソンはわなわなと震えながら其の場にへたりこんだ。そして、すぐ隣で屍になっている男に気付くと、慌てて立ち上がる。

「こ、この女傭兵め!お、俺が殺されてもかまわねぇと…い、い…い……」

「黙れ。私の仕事は、この鞄を届ける事だ。お前の命など知りはしない。命を保証してほしければ、追加料金を払っておけ。」

アンヌは嘲笑う様に言いながら、鞄を放り投げる。サムソンは口をぱくぱくとさせながら、鞄にしがみ付き言葉すら返せないまま、歩き出すアンヌの後を追った。

「ふ、二人…こ、ころした……殺した……。」

呟きながら、冷たい女傭兵の背を見遣る。アンヌは二度と言葉を返すことなく、目的の場所まで向かった……。

 

 こうして…『冷酷な女傭兵』の名は、荒廃した街に知れ渡っていった……。

 しかし、その確実な仕事ぶりに依頼は殺到する事になる。

 

 アンヌは、安宿を転々として夜をしのいだ。一所に留まる訳にはいかない。名が知られれば命を狙われる事もあるだろう。

 

 氷の様に心を閉ざした女傭兵は、徽章が刻まれた長剣のみを供にして…そこに生きていた…。




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