Shadow
アンヌは疾駆した。馬は喘ぎながら走り続ける。先頭にはアスター。それに続く数十名の団員達。
『暴動…暴動が起きるとは一体…!!』
アンヌは何度も呟いて、歯痒い思いで前進する。向かう先は商人の街、メルト。様々な店がひしめき合う街が、今、襲撃されている。民の手によって…。
『何故、だ…。確かに民の生活は苦しいと聞いた。しかし…何故暴動を!そこまで追い詰められていたのだろうか…。』
砂塵を巻き上げながら、少しでも早く着く事を願う。国を護るべき存在が、此処にいたるまでの実情を知らないとはどういう事だろうか。アンヌは悔しい思いでいた。おそらく、アスターも団員達も同様の思いでいる事だろう。皆、言葉すら交さず、走り進むのみであった。
やがて、その地に辿り着いた時、アスター率いる一団は、その光景を無言で見詰めていた。
破壊された店、地に伏す人々、金品を奪われ茫然と立ち尽くす商人、恐怖で泣き叫ぶ子供…。メルトは姿を変えていた。そして、暴民達は既に立ち去っていた。
「サニュエル騎士団長…!!」
血塗れで、息を切らした衛兵が近づいてくる。その様子からしても、いかに激しい暴動だったのかが伺える。衛兵だけでは対応しきれなかったのだろう。遅すぎた…。騎士団の到着は遅すぎたのである。
「これは…一体どういう事だ…!?被害は?規模は!!」
アスターは、辺りを見回しながら声を張り上げる。苛立たしさと歯痒い気持ちが手に取る様にわかる。
「申し訳…ありま…せん…。」
声と同時に衛兵が倒れた。其の様子を見遣り、皆一様に息を呑んだ。衛兵の背には、古びた剣が突き刺さっていたのである。おそらく、暴民の仕業であろう。
「民の救出を一番に考えろ!行けっ!」
アスターは皆に指示すると、馬の背を蹴った。一団は散り散りになると、民の救助に向かう。アンヌは、こみあげるものを抑えながら、馬を走らせ、すっかり廃墟と化した街を進んだ。
「騎士様…お助けを!!この子が…!!」
アンヌは間もなく、自分を呼び止める声に振り返る。見れば、髪を振り乱した母親が、幼い子供を抱きかかえていた。地に座り込んだまま、涙を流してアンヌを見ている。
「救護班!!救護班!!」
アンヌは声を張り上げると、馬から降りた。そして、拳を握り締めた。その子供は傍から見ても絶望的な状況だった。血に塗れ、ぐったりとしている。
「あなたは無事ですか…!」
アンヌは、気休め程度に袋から薬などを出しながら、母親に声をかけた。
「どうか、どうか助けてやって下さいまし…。お慈悲を…神のお慈悲を!!」
母親は錯乱状態だった。片手を伸ばすと、アンヌにしがみついてきた。その強い力に押し倒されそうになりながら、唇を噛み締める。何も言葉を返せない。振り払う事すらできない…。やがて、到着した救護班に後を任せると、其の場を後にする。母親はいつまでもアンヌを見つめていた。まるで、すがるものが他にはないかの様に…。
死傷者の数は予想以上だった。被害は甚大、復興までにはかなりの時間を要するだろう。活気に満ちた街は、ほんの数時間で死の街と化してしまった…。
そして、国王は非常事態宣言を布告し、街や村の到る所に、衛兵や騎士を配備する事となった。サニュエル騎士団は、王宮周辺の街を警備する様命令された。
夜…。騎士宿舎に戻り、眠れないまま時間が過ぎた。アンヌは起き上がると、外套を手に外へ出た。瞳を閉じれば浮かぶ、あの光景…。母親の目…子供の姿…。そして、同時に思い出すのは…子供の頃のあの体験…。
月を見上げて息を吐く。満月は、時折雲に隠れながらも美しくそこにいる。人気のない広場のベンチに座り、頭を抱え込む。
風が吹いた…。春とはいえ、夜の風は冷たい。その風にさらされながら身を縮める。
「やはり…君も此処に来たか。」
聞きなれた声に顔を上げる。黒いマントに身を包んだ男が立っていた。
「サニュエル…騎士団長…。」
アンヌは反射的に立ち上がると敬礼した。その様子にアスターがくすりと笑った。
「条件反射だな…仕方ないか…。」
ハンカチを差し出しながら、アンヌの隣に座る。アンヌははっとして、己の頬に触れた。無意識に流れていた涙に茫然となりながら、それを受け取る。
「申し訳ありません…。」
「気持ちは分かる。私も…この様な思いは初めてだ。団長となって、初の仕事が…こんな結果になるとはな。眠れなかったよ。明日も仕事があるというのに…。」
アスターはベンチの背に身体を預け…瞳を細めた。
「アスター…騎士団長…。この状況、どう思われますか…?国王は、民への重税を再考なさるおつもりでしょうか。城の建立を中止しないのでしょうか…。」
「分からぬ。しかし、このまま税を搾取しようとすれば、民はますます荒れるだろう。あの様な暴動があちこちで起きるだろうな…。」
アンヌは息を吐いて、月を見上げた。涙は無理矢理に押し戻し、ぐっと唇を噛む。
「民と戦う日が来るのでしょうか…。」
「既に戦っていると言えよう。アンヌ。私達は神と国王に忠誠を誓った。国家と国王をお守りする為には、仕方のない事だ。」
「しかし!!同時に、民を護る事も誓ったはずです!私は…私は…!!私の様な経験をする者が居なくなるようにと、切に願ってきました!その為に、騎士を…騎士の道を選んだのです!」
「その民が…否、一部の暴民が平和な民の生活を乱しているのだ。致し方なかろう…。民の穏やかな日常を護る事に変わりはないのだよ…アンヌ…。」
アスターは、穏やかな口調で言い、打ちのめされた表情の女騎士を見つめた。彼女は全ての責任を負ったかのような表情でいる。
「あぁ……何故…何故この様な……。他国に攻められるのではなく…同じ国の中でこの様な…。国王は、何を考えておられるのだろう…。城など!!!城などというくだらない………」
「その先を言うなアンヌ!!」
アスターは片手でアンヌの口を塞いだ。そして、言い聞かせる様にじっと見据えた。
「方法はあるはずだ。被害を最小にして、元の平和な街を、村を…。私達も考えよう。いざとなれば国王に直訴する。我が命をかけて…。」
アスターの言葉と同時、アンヌの身体から力が抜けた。その茶色の瞳から溢れ出す涙を拭ってやり…アスターは、アンヌを抱き寄せた。
「アンヌ…。私は…君を愛している。部下としてだけではない…。1人の女性として…君を…。」
「…ア、アスター…………。」
アンヌは目を見開いて、アスターの静かな告白を聞いた。身じろぎひとつせず、ただ早鐘の様な鼓動を感じた。
「…すまない。この様な状況で……。私は君の上官であるというのに…。しかし、伝えずにはいられなかった…。予てからの思いを…。」
アスターは、瞳を伏せ、アンヌから静かに離れた。
「共に、戦いたい。君の存在は、私を強くする。騎士として…そして…男としても…。」
優しく紡がれる言葉…。心へと滑り込む優しい言葉…。
「どう…お応えすれば良いのでしょう…か。私は…私は…女である前に騎士でいたいのです。ひとりの騎士として、皆と同等に戦いたいのです。」
アンヌは、まっすぐにアスターを見た。暫しの沈黙が、重く二人に圧し掛かる。
「そうか…君の気持ちはよく分かった。私は己の気持ちを押し付けるつもりはない。忘れてくれないか…。……私の戯言だと…。」
アスターが初めて見せる弱気な表情…。常に信念を持ち、自信に溢れた男が今…アンヌの前で、小さく言葉を紡いでいる。
「けれど…そう望んでいても、必ずしも上手くはいかないのです。アスター騎士団長…いえ、アスター…。私は貴方の愛を受け入れたい。そして…共に戦い、励ましあいたい…。私も愛しています。きっと…初めてあったあの日から……私は…。」
アンヌは頬を赤らめ、アスターに答えた。アスターは暫し茫然となっていたが、次の瞬間には、再びアンヌを抱き寄せていた。
「この国はまた平和に戻る…。共に進もう…。迷いは捨てよう…。」
そして…二人の影は…いつまでも離れる事がなかった…。夜の闇に溶け込む様に……。いつまでも…。