Knight 1

 

    振り下ろした腕に激痛が走った。相手の剣は、見事…アンヌの腕に押し当てられ、更に力を込めれば腕をへし折る事も可能だ    った。苦痛に顔を歪めながら、剣の持ち主へと視線を投げる…。アンヌとそれ程、年齢の変わらない少年が、にやりとしながら    口を開いた。

   「けっ、お嬢様は屋敷でお茶会でもしてなっ!」

     少年がおどけた身振りで言うと、周囲の少年達も声を上げて笑った。

   「ヘレン君…。騎士道精神に反する発言は控える様に。周りの者も同様だ…。」

     講師はその笑いを制すると、アンヌに視線を向けた。

   「ストルツ君。怪我をしたようだね…医務室へ行くといい。」

     歯を食いしばり、練習用の剣を下げるアンヌは必死に首を振った。

     「此れくらいの怪我…大丈夫です。」

     講師は頷くと、稽古の終了を告げた。見習い騎士達は散り散りに別れ…やがて、稽古場には誰もいなくなった。

     アンヌは独り残って、剣を振り続けた。滲む血を気にする余裕はない。自分は誰よりも劣っている。そして、女で騎士を目指す 者など、他にはいなかった。それだけに、誰からも相手にされていなかったのだ。

   「お父様…お母様…ロイス…。」

      呪文の様に呟く言葉…。それはアンヌに勇気を与えた。唯一の励みだった。剣を持つ手は震え、剣筋など滅茶苦茶だったが… 其れでも止められなかった。他の者に追いつく為には倍の努力が必要なのだ。

     13歳から稽古を始めたアンヌは、その時点で大幅な遅れをとっていた。其れまで剣はおろか、ナイフすら握った事がないのだ、  遅れどころの話ではない。それに比べ、他の者達は大抵、6〜7歳から剣を握っていて、幼少の頃から、騎士道とは何たるかを親から教えられてきたのだ。

 

   「その根性…悪くないね。けど…そのままでは君の腕が潰れてしまうよ?」

      不意、稽古場に声が響いた。アンヌは驚いて腕を止め、辺りを見回す。

   すると、稽古場の入り口に、長身の青年が立っていた。軽装で、まるで街を散策してきたかのような格好をしている。…学術 の講師なのだろうか。見覚えはなかった。

   「…大丈夫です。此れくらいの怪我は毎日ですから…。」

       アンヌは、既に言う事が利かなくなっている腕を、尚も振り上げ様とした。少女の細く、青白い腕からは血が滴り始めている。

     「…それ以上無理をしたら一生、いい動きは出来なくなる。」

     青年は、少し離れた位置でアンヌへ笑みを向けた。聡明なブルーの瞳、黒髪が…夕日に染まり始めている稽古場に映えていた。

   「止めてはいけないのです。1分でも、1秒でも多く剣を振らなければ…。」

    そう言いながら、アンヌはもう一度剣を振る。と同時に、激痛が腕を走り抜け、剣を取り落としてしまった。

   「怪我が悪化すれば、その貴重な時間を無駄にする事になるのだよ?」

     苦痛に顔を歪めるアンヌに、青年が歩み寄る。穏やかな声と、優しい瞳が、躍起になるアンヌの心を静めてゆく…。 

    「…わかりました。医務室に行きます…。貴方のおっしゃる通りですね…。」

       アンヌはうっすらと笑んで、汗で額にまとわりついた前髪を振り払い、青年を見詰め返した。青年は頷くと、落ちた剣を拾い上げ、アンヌの腰に差した。

      「…また見せてもらいたい。君の剣をね…。」

      青年はそう言うと、布を差し出し…踵を返す。アンヌは布を受け取って、傷を覆いながら、その後ろ姿を暫く見つめていた。

    「あ、あの………。ありがとうございました!!」

      慌てて頭を下げて礼を言い、再び顔を上げた頃…青年の姿は消えていた…。

    「…見習い生かしら…。先生ではなさそうだもの…。」

      アンヌは茫然としながら呟いて、入口付近を見つめていた。

    稽古を始めて、同じ見習い生から優しい言葉など掛けられた事はなかった。そのせいかとても嬉しく、自然と笑みが零れてい    た。初めて友達ができた様な気がしていた。

 

     しかし、友達として…アンヌがその青年に再び出会う事はなかった…。

 

 

     夜…。疲れた体を横たえる。何不自由のないストルツ家での生活。しかし、其処に安らぎを求めた事はない。養父は進歩的な考   えの持ち主で、アンヌを全面的に支持してくれたが、養母は未だにアンヌを受け入れてはいない。顔を合わせてもぎこちない笑み   を返してくるだけであった。息子のフェルナンドとは、まともに口を利いた事すらなく…とても家族と呼べるものではなかった。

      けれど今、アンヌは幸せだった。決して見失う事のない目標を…神の道しるべを見つけたのだから…。心の中に流れる思いは 日を追う毎に燃え上がり…一心不乱に剣を振るう事ができる。やがて稽古は…苦痛から悦びへと変わり…其れに合わせる様に剣    の腕はみるみる上達していった…。

 

       そして…アリッサに話し掛けて寂しさを紛らわせる夜も少なくなっていった……。

     悲しみは強さへと変わりゆき…時は確実にアンヌの心を癒していった…。

 




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