Memory2

 

あの仕事を引き受けて依頼、アンヌは毎晩悪夢に魘されるようになった。あの一家は無事に船へ乗り、最後まで見届けたはずだ…。だと言うのに、一家が何者かに惨殺され、海へ放られる夢を何度も見る。挙句に、昼間仕事をしている間にも、何の前触れもなく子供の頃の記憶が蘇る事がある…。

 

 酒場の隅で、アンヌはカウンターに凭れかかりながら酒を飲んでいた。こうして夜の町へ繰り出す事は珍しい。

酒場にはゴロツキやら、性質の悪そうな男達がたむろしている。1人酒を飲む女は場違いこの上なかった。

どんなに濃い酒を飲もうとも、アンヌを酔わせる事はできなかった。忌まわしい記憶と悪夢に苛まれ夜もまともに寝る事ができない。せめて酒を飲んで酔いつぶれる事ができたら、と思うのだがそれも無理なようだった…。

「よぉお、ねえちゃん。こんな夜に出歩いたら危ないですぜぇ?」

1人の男が、ふらつきながらアンヌに近づいてきた。アンヌはそれを無視しながら酒をあおる。周りには下卑た笑いと好奇の視線が飛び交っていた。

「なぁ、ねえちゃん…そんなしけた面してねぇで、俺達と遊ばないかぁ!?」

薄汚れた男は、酒の臭気を撒き散らせながらアンヌの横に立った。アンヌは男に一瞥をくれると、鼻をならした。

「しけた面はどっちだ。さっさと失せな。てめぇの顔見てるだけで吐き気がするんだよ。」

アンヌの言葉に男の表情が一変する。周りの男達は口笛を鳴らしはやし立て酒場は一斉に沸きあがった。

「そいつは噂の女傭兵だぜ!やっちまえ!思い知らせてやれ、おやじよぉ。」

周りの声に、男は鼻息を荒くした。

「ねぇちゃん。この街の男をあまり怒らせない方がいいぜぇ?許して欲しかったらなぁ?一晩俺と付き合うんだなぁ。」

そういうと、懐から短剣を取り出した。アンヌは表情ひとつ変えずに、銀色に光る其れを見つめた。

「そうする位なら、死んだ方がマシだ。」

「何をぉぉぉ!?」

男が短剣を持つ手を振り上げる。其れと同時に周りの声が一気にざわめいた。興奮し、叫ぶ者もいる。血に飢えた獣達は、女が血塗れになるショーを期待した。

しかしその期待は簡単に裏切られた…。

アンヌは、振り下ろされた男の手首を掴み、椅子から立ち上がると同時に捻り上げる。酔った男は思わぬ攻撃に足元がふらついた。その隙を逃さず、カウンターへ男の手首を叩きつけた。その激痛に男は呻き声を上げ、短剣を取り落とす。

「弱い犬め。吠えてるんじゃねぇよ…。」

アンヌは薄く笑うと、もう片方の手で腰の長剣を抜刀し、柄を短く握りなおした。周囲の獣達は驚きの声を上げながら、男とアンヌを交互に見比べていた。酒場のマスターは諦めた様な視線を投げ、変わらずコップを磨いている。このような光景は茶飯事なのだろう。

「ご、ごめんよぉ…ねえちゃん…後生だからよぉ…離してくれよぉ…。」

男は情けない表情で震えながらアンヌを見た。己の手首がカウンターにさらされ、今にも切り落とされ様としているのだ。

「一生悔やめばいいさ。一生哀願して生きればいい。てめぇみたいな弱い犬はな。」

アンヌは腹の底から絞りだす様に声を上げる。憤怒と憎しみの形相に染まった女の顔に、男は心底怯え、腰が抜けた様だ。足の力が抜け、立っていられなくなる。

「そこまでにしとけ…。」

その時、アンヌの耳にはっきりとした声が届いた。周囲のざわめきは消え、その声の主に一斉に視線が注がれる。アンヌは忌々しげにその男を見た。それは、ギルドのマスターだった。彼は街のゴロツキにも信頼される男だ。故に、誰1人として野次を飛ばす事はなく、そのやり取りを見守っていた。

「アンヌ。そいつの腕を切り落としたら、明日の仕事を取り消すぞ。明日の仕事が如何なるものか心得ているだろうな?わかったら、さっさとそいつを放すんだ。」

ギルドのマスターはパイプを咥えなおし、アンヌを見つめた。アンヌは小さく舌うちすると、男を突き飛ばし、剣を収めた。飛ばされた男は壁にぶち当たり、気絶する。

「わかってるさ。遅刻は厳禁、だろ。」

小さく言葉を返し、酒場を後にするアンヌを、マスターは優しく見守りながら頷いた…。

 

 

 宿に戻り、激しい頭痛に耐えながら横になる。気持ちは晴れないまま聖書を握り締め、宙を見据えると、結局一睡もできずに朝を迎えた…。

 

 眠っていないというのに、妙に頭は冴えていた…。アンヌは街へと続く街道に馬に乗り、依頼人を待っていた。

 今日の仕事は特別な気分だった。そう…騎士時代を思い出すような…。何やらこの辺鄙な街へ、お偉い貴族がやってくるそうだ。その貴族は人探しをしていて、自らの足で旅を続けているという。貴族なだけに取り巻きも多いらしく、アンヌはその護衛を依頼された。元は騎士である傭兵には打って付けであり、マスターはこの仕事を迷わずアンヌへ回したのだ。報酬も良かった。

 しかし、依頼人はなかなか現れない。もう小一時間は過ぎた。アンヌは黒馬にしがみ付くようにしてその首を撫でていた。

 「お前…綺麗に手入れされてないね…。仕事が終ったら私が手入れしてやるからな。いっそ、お前を買い取ってやろうか…。」

 アンヌの問い掛けに馬が鼻を鳴らす。アンヌは優しく笑んで、いつまでも首を撫で続けた。

 「騎士の馬みたくしてやるさ。立派な鞍もつけてさ…。そうだな…お前の名前は……」

 アンヌは一瞬思案に暮れたが、すぐに首を振った。

「名前はいらないよな。どこへいってもお前は自由でいられるように、名前はつけないから…。」

 その時、遥かから馬車の音が近づいてきた。アンヌは起き上がり、視線を向ける。街道の先の荒野が砂塵で煙っている。

「お偉いさんがやってきたみたいだぜ。随分とまぁ、大所帯だな。」

馬も顔を上げ、遠くを見つめた。砂塵は少しずつこちらに向かって来ていた。

「貴族なんかがこの街へ来てみろ。一晩のうちに身包み剥がされるぜ?まったく、変わった貴族だよなぁ…。」

アンヌは喉の奥で笑いながら馬に語りかけていた。何故だろうか、この街に来て初めて多くの言葉を発した気がする。馬上にいると落ち着くのだろうか…。

 やがて、その集団は己のすぐ目の前へと姿を現し、やがて止まった。馬車が二台に、騎馬隊のような身なりをした男が4名。その男達が馬車の護衛らしかった。アンヌは彼らを見遣り、からかいの口笛を吹きそうになったがすぐに止めた。ここは大人しくしなければならない…。莫大な報酬を得る為にはそれなりの働きをしなければ…。

「私達は彼方の国より参った旅の者である。貴女がこの国の傭兵か。」

馬上の男が声を上げる。威圧的ではなく、どこか優雅さが漂うのは騎士の其れを思わせた。アンヌは丁寧に礼を捧げると頷いた。

「私が一切の護衛を引き受ける。ギルドより依頼された傭兵だ。只今から街の案内と、宿へお連れする。異常があれば直ちに知らせて欲しい。」

アンヌの言葉に、馬上の4人は笑みを浮べ敬礼を返した。その光景は、久々にアンヌの心を穏やかにする。遥か昔の同士を思い出させるからだ…。

 一行は、街の中で取り分け目立った。豪奢な馬車に、立派な御者。護衛の4人と、それを指揮する女傭兵…。羨望の眼差しと共に感じるのは、何かぎらついた異様な視線だった。アンヌは常に緊張をしたまま、宿へと進む。街一番の宿といっても、栄えた街に比べれば明らかに劣るが、致し方なかった。

 「人探しと聞いたが、一体どのような者を探しているのだ?情報を与えてもらえば、私も協力する。」

アンヌは馬上の男に声をかけた。男は、柔和に笑んで言葉を返す。

「いいえ。それには及びません。其れはご主人様の仕事ですから。ご主人様はその方について誰にもお話したくないとの事で、私たちは勿論、貴女にもお話しないでしょう。つまり、私共は貴女と同じ立場。何も知らされておりません。三日程滞在しまして成果がありませんでしたら、去る次第であります。」

「わかった。三日だな。その間、私も出来る限りの事はしよう。」

アンヌは頷き、馬車をちらりと見た。カーテンで覆われていて中は覗けなくなっている。不思議な依頼人だと思いながらも、それ以上の詮索は止めた。報酬さえもらえれば其れで構わないのだから。

 やがて宿に到着した。人々の視線を集めながら、馬車も止まる。アンヌは視線を鋭くし、護衛の男達に声をかけた。

「あなた方はご主人をお守りしろ。私は宿の周囲を監視する。」

「街にお詳しい貴女に、周囲の警戒は一切お任せします。」

4人の護衛は頷き、馬から降りて二台の馬車へ向かった。アンヌは其の場から離れると、一行を背に周囲を監視する。この珍しい来客を一目見ようと、いつの間にか人だかりができている。アンヌは馬を移動させ、一行から一定の距離を保つようにした。

「貴族野郎が何の用だ!たんまりと金を置いていくんだろうなぁ!?」

野次が飛び、アンヌは長剣を抜刀する。

「黙れ。貴族だろうが平民だろうが、とやかく言われる筋合いはない。さぁ、見物は止めな。」

アンヌの言葉に人々は少しずつ退散していった。馬車から降りた貴族一行は、護衛に護られる様にして素早く宿へ消えたからである。面白い事は何一つ起こりそうもなかったからだ。

「おいら、貴族様の靴磨きをしてみてぇ…。金、いっぱいもらえるかぁ?ねえちゃん。」

靴墨で顔を汚した少年が、馬上のアンヌを見上げて笑った。まだ幼いというのに、靴磨きで生計を立てているのだろう…。

「懸命にやれば、金をもらえるかもしれないな…。」

「本当に!?おいら、貴族様の靴磨きが夢だったんだ!うんと頑張るから、きっと磨かせてくれるように頼んでおくれよ…。おいら、ラルってんだ。」

緑色の粗末な帽子を被った少年は目を輝かせてアンヌに言う。アンヌは小さく頷いて笑んだ。

「頼んでみよう…。ラル。」

「また明日来るよ!ねえちゃん!」

少年が小躍りして喜ぶのを横目で見ながら、馬から降りると宿へ向かった。一行は無事、部屋に入ったようだ。

「では、私は周囲の警戒を続けよう。あなた方は御一行の部屋の監視を頼む。」

アンヌの言葉に護衛達は素早く行動した。見事な鞍を置いた馬達は馬小屋へと連れられてゆく。アンヌは黒馬から降り、手綱を繋ぐと宿の前に待機した。

 

 やがて夜になり、交替の時間が訪れた。1人の護衛が現れると、アンヌに声をかける。

「今日はここまでで結構です。お疲れ様でした。何かありましたらすぐにギルドから貴女へ連絡が入るようになっていますので…。また明日、街の案内をよろしくお願いしますね。」

「では、明朝に…。」

 アンヌは夜間の警備を他の者へと引継ぐと、馬に乗り宿を後にした…。

 

 朝から夜まで殆ど立ち通しだった為、流石に疲労を感じた。今夜は久しぶりに良く眠れそうな、そんな予感と共にベッドへ倒れ込む。蝋燭を手元に引き寄せて、聖書を開けば心が更に穏やかになった。そして、何となくラルの事を思い起こすと、自然に笑みが浮かんでいた…。

「こんなに安らいだのは久しぶりの事だよ…アスター。やはり、私は騎士時代の良き思い出を忘れられないんだ…。あの護衛と共に居ると懐かしく思い出すよ…良い事ばかりね。」

アンヌは長剣を抱きしめ、目を閉じる。忌まわしい記憶はどこかへ消えたかのように、緩やかなまどろみが己を包み始めていた…。

 

「おやすみ…アンヌ…。」

頭の奥で聴こえたのは、優しいアスターの声だった。





+BACK+