Knight 2

 

 稽古場の中央で、其の相手を見た瞬間、男は足を竦めた。

射る様な眼差し、口元に零す笑み…余裕すら感じさせる其の姿に、ごくりと喉を鳴らす。

「貴方は…確か……ヘレン、と言いましたね。どうしました?おどおどとして…。」

 其の相手は男に声を掛ける。静かだが挑戦的…挑発している様にも取れる。ヘレンと呼ばれた男は、再び喉を鳴らすと、額の汗を拭った。

「い、いや別に…。お前との手合わせは…た、確か二回目だよなぁ……そう…あれは…2、3年前だったよなぁ…。」

「そう、でしたか?随分と昔の話を覚えているのね。私はとうに忘れてしまったわ。」

剣を抜き放つ音が心地よい。其の相手はヘレンを見つめ、瞳を細めた。長い髪を後ろで束ね、色は透ける様に白く、華奢である。少女の面影が薄くなり、背筋を伸ばす姿は凛としていた。何処から見ても女性であり、男ばかりの見習い生の間で嫌でも目立っている。しかし、数年前とは違い、目立っているのは女だから、という理由だけではない。この2、3年で、頭角を現わしていたからだ。

 ヘレンは、未だに信じられないといった目つきで其の女を見つめている。あの弱々しく、びくついていた少女の姿はどこにもない。自分が蔑み、打ち負かした女は消えてしまった。

「変わった…な。アンヌ……。」

 女は…ヘレンの言葉に肩を竦めた。同時、講師である審判が手を挙げる。

「変わったのではなく……変えた、のよ。」

アンヌは笑みを浮かべると、未だ躊躇しているヘレンに向かい、素早く間合いを詰めた。

『シャッ!!!』

空気を裂く音と同時、斜めに切り上げた剣がヘレンの喉元に押し当てられる…。ヘレンは呆気に取られたまま、微動だにしなかった。

「女だから、という差別心…。騎士にとっては致命傷になる。」

アンヌは眼前の男に静かに言い放った。ヘレンは見開いた瞳をアンヌに向け、震える己の剣をだらりと下げた。勝負は一瞬で決まった…。

 

頬を伝う汗を拭い、稽古場近くの広場に向かう。其の広場には噴水があり、子供達がはしゃぎ回っていた。優しい春の日差しが心地よい。

「アンヌーー!!」

遠くから声が聞こえる。其れは徐々に近づいてきた。アンヌは立ち止まり、其方を振り返って、笑みを浮かべた。

「あぁ、ロラン。貴方も稽古、終ったの?」

「うん、今終ったんだ…!さっき、稽古場を出てゆく君を見かけて、慌てて追いかけたんだよ!」

ロランは呼吸を整えながら、アンヌの目の前に立った。彼は立派な男性なのだが、まるで女性の様にしなやかで、何処となく中性的だった。アンヌの唯一の親友で、いつも優しく、穏やかである。

「今日の稽古も最悪だったよ。やっぱり僕には向いてないんだなぁ…騎士なんか。」

ロランは深く溜息を落としながら、アンヌと共にベンチへ座った。アンヌは微笑を零すと、懐から新しい布を取り出して、ロランに差し出す。

「向いていないなんてそんな事……もっとやってみなければ分からないでしょう。それに、学術に関しては、貴方の右に出る者はいないわ…。」

アンヌは汗を拭うロランを見遣り、優しく言った。ロランは今まで幾度となく、アンヌを励ましてくれていた。今度はアンヌの番だ…。最近のロランは落ち込みやすい。確かに、剣の腕ならとうに、アンヌが抜いてしまっていた。

ロランは騎士の家に生まれ、当然の如く騎士としての教育を受けて育った。しかし、ロランの興味は学問や芸術のみにあり、剣を振るう事は性に合わないと感じていた。其の思いは、徐々に膨れ上がっていたものの、母親を思うと背く事ができず、気付けばここまで来ていたのだ。もし父親に逆らえば、なじられるのは母親だ。優しい性格のロランは、仕方なく訓練を重ねてきたのだった。 

「駄目なんだ…。人を斬るなんて、僕には向いてない。例え其れが神と正義の為とはいえ…。」

ロランは頭を振ると苦笑を浮かべた。グレーの瞳が揺れ、空を仰ぎ見る。

「噂…聞いたよ。来年の叙任…、君が選ばれるのは確実だって。僕もそう思うな。それに、君みたいな人こそ騎士に相応しいと思うんだ。国や民を護るのは、君みたいな人だって…。」

ロランは嬉しそうに言うと、アンヌへ視線を戻した。

「そうなれたら、私も嬉しい。それに……ロラン、貴方と共に叙任式へ出席したい。」

アンヌは静かに言葉を返すと、気の優しい、穏やかな親友を見詰めた。彼の苦しみを和らげる為にならどんな事でもしたいと願った。しかし、この問題ばかりはどうにもできない。アンヌは初めて、苦しみを分かち合う事を知った。友が苦しめば、己も苦しかった。

「出席するさ。君の晴れ姿を見る為にね。」

ロランはウインクすると、小脇に抱えていたスケッチブックを手に取る。開かれたページには、広場で遊ぶ子供達の姿や、陽だまりに佇む老人、木々や花々等が生き生きと描かれていた。

「貴方の絵はいつ見ても素晴らしいわ、ロラン。」

アンヌは惚れ惚れとして、その絵を見つめた。画家としての素質がある事は、素人目にもよく分かる程だった。そしてアンヌは、名立たる画家の絵ならば、子供の頃から数多く見てきた。僅かだが、目は養われている筈だ。

「実は…密かに、ある画家とコンタクトをとっているんだ。僕の絵を賞賛してくれて、彼の画廊に並べてくれているんだ。購入を希望者もいるらしいんだよ!…それに、絵の勉強の為に、リューリッヒへの留学を世話してくれるってさ…!」

「凄いじゃない、ロラン!リューリッヒといえば、『芸術の街』として有名な場所でしょう。」

目を輝かせるロランを見遣り、アンヌも色めき立った。しかし、次の瞬間には、親友の顔に浮かぶ暗い影を見逃さずにいた。

「けれど…。彼は僕が騎士見習いをしているなんて知らないんだ。だから、この話は…僕に騎士の才能がないと、父上に知らしめるまで先延ばしさ。残念だけれど…。」

ロランはスケッチブックを閉じると、肩を竦める。アンヌは励ます様にその肩へ手を置いた。

「私達はまだ若いわ。チャンスならいくらでもある。それに、ロラン程の才能と熱意があれば、いつだって開花できる筈よ。…画家になった暁には、私の絵を書いて欲しい。いいえ、専属の絵描きにでもなってもらおうかな…。」

明るく言うアンヌに、ロランは眩しそうな笑みを返した。

「ありがとうアンヌ。二人の友情は不滅さ…!専属にでも従属にでもなろう!」

二人は笑い合い、肩を抱き合い…そして、穏やかな時が流れた…。

ロランは…この平和がいつまでも続けばいいと願っていた……。

 

そして、アンヌは16歳になっていた…。




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