Destiny V

 

その話を耳にしたのは、初陣の日、翌日の事だった。

アンヌは血相を変えながら、宿舎内を走っていた。その様子に、「何事か」と声をかける者もいたが、アンヌの耳には届かなかった。

そして、目的の扉へと走り寄り、勢いよく開いた。やがて目に入った友の姿に驚き、目を見開く…。

「…や…ぁ。アンヌ……。」

医務室のベッドの上、か細い声を上げてアンヌを見つめる青年は…薄く笑った。顔は汗に塗れ、遠目に見ても呼吸が荒いのが分かる。

「ロ…ラン…!」

アンヌは扉を閉めるのも忘れ、苦しげな表情の友へ駆け寄った。

「ロラン…聞いたわ。酷い怪我をしたって…。けれど…どうしたってそんなに苦しそうなの!?熱があるの?…ロラン…。」

「…ドジってね……。刺されてしまった…んだ……。どういう…わ…けか…熱が……出て……ね…。ほ…んと…う…、僕…はドジだ…ろう…?」

ロランは喘いでいた。布団越し、胸の辺りが激しく上下しているのがわかる。アンヌは落ち着かない様子でロランの手を取り、そして驚いた。まるで焼ける様に熱い。細く、女性の様にしなやかなその手が、力なく己の手中に収まる…。

「これは…これは…一体…。どうして…熱がこんなに……!!」

アンヌはロランの額に置かれた布を取り替えてやりながら激しく動揺していた。

「心配ない…よ…大丈夫…だから…。」

ロランは、小さく言葉を残すと、疲れた様子で瞳を閉じる…。そして、アンヌは己の肩に置かれた手を見遣った。驚き、振り向くと白衣姿の医者が立っていた。

「お医者様…!熱が…高熱が…!一体どうして…!怪我だというのに…」

アンヌの言葉を制する様に、医者は首を振った。

「破傷風です…。不幸にも………」

「破傷風…って…。でも…すぐ治りますよね…?治療して頂いたのですから…。」

「神のご加護を…どうか……。何かあればすぐ駆けつけますから……。」

医者は目を伏すと、心許ない表情のアンヌを残し、静かに部屋を後にした。アンヌは口に手を当てたまま、茫然として閉まる扉を見つめていた…。

「ア…ン……ヌ…。…もう…大丈夫だよ…アンヌ…。」

今にも消え入りそうな声が、不安で押しつぶされそうなアンヌの耳に届いた。眠っていたかに見えた友は、薄く瞳を開いていた…。

「ロラン…!…あぁ……しっかりして!きっと…治るから…」

「…罰が当たったのさ……僕が……いい加減な…気持ちで…神に遣えていた…から…。僕が…わざと…腕を…貫いたり…した…から…。」

アンヌはベッドの脇に膝まづくと、その言葉に只管に驚き…再び手を握り締めた。

「何故…そんな事……!!」

「…アンヌ…アンヌ…聞いてくれるか…い?…僕は……僕は…誓って…誰も傷つけていないよ…。だから……騎士をやめても……また…いい絵が…描けると思う……。こんな…腕じゃ…もう…騎士…できないと思う…んだ…。だから…ね…」

ロランは穏やかな笑みをアンヌに向けた。グレーの瞳は潤み、肌は真っ赤に染まっている。

「…そこまでして…そこまでして辞めたかったのね…ロラン…。馬鹿よ…貴方は馬鹿よ…!!」

アンヌは胸の奥から湧き上がる感情を必死に抑えていた。今にも嗚咽が洩れそうで、腹に力を込めて耐える。無理矢理に笑みを浮かべれば、ただ手を握り締める事しかできなかった。

「……君の……悲しそうな顔…見て……初めて…後悔したよ……自分のした事……に…。」

ロランは消え入りそうな声でそう言うと、再び静かに目を閉じた。

「…ロラ……ン!」

アンヌはその紅い頬に手を触れる。苦しげに呼吸をしながら眠る友。痛々しい程の友の姿を霞む瞳で見つめた。

「嗚呼…神様…どうか…ご加護を………。」

その呟きを最後…アンヌはベッドの脇で祈り続けた。一心不乱に……。友の為に…。

 

 夢を見ていた―――。

両親の夢を。ロイスの夢を。

 家族3人はとても幸せそうで…愛に溢れ…笑顔と歌と音楽に包まれたあの居間で暮している。ただ…其処に自分は居なかった。自分は窓の外でその3人を見つめていて…泣いても叫んでも、振り向いてさえくれない。

「私はここよ!!お父様!お母様!ロイス!私はここよ!ここにいるわ!!」

 

「…ヌ……。アンヌ……。」

答えた。答えてくれた…。嗚呼…声が聞こえる…。笑みを浮かべ…そして目を開いた…。

「アンヌ…大丈夫かい……?」

涙を流し、見つめた先にはロランがいた。ベッドの上、僅かに身を起こしながら、アンヌの肩に手を置いている。昨日、驚く程赤かった頬は、僅かに赤みを残しながらもずっと正常に見えた。

「ロ…ロラン!!」

アンヌは何度も瞬いて、笑みを浮かべるロランを見つめた。窓からは光が溢れ、微かに鳥の囀りが聞こえる。朝になっていた。そしてロランは…

「まだ少し熱があるけれど、大丈夫だって。さっきお医者様が……。」

ロランは、信じられないといった表情でいるアンヌを優しく見つめ、言った。穏やかな声、そして仕草…。何も変わらないロラン…。

「ロラン!!あああ!!神様!!!」

アンヌはロランを抱きしめ、咽び泣いた。今まで抑えていた感情が一気に溢れ出す…。

アンヌの祈りは通じたのだ。神は祈りを聞いて下さった……。

「家族はいなくなってしまった…。けれど私には…友達がいる。私を必要としてくれる友達がいるんだ……。」

もう、幻影など恐くない。孤独など感じるものか…。泣き笑いをしながら、アンヌは何度も心で呟いていた……。

 

 

 

そして…。

ロランはこの事件をきっかけに、騎士を辞める事となった。

命の瀬戸際で、己の人生を見つめなおしたのである。

信念を曲げて死のうとしていた己を恥じ、親友という掛け替えの無い存在を手に入れて…彼は宿舎を後にした…。

 

『さようなら…愛しい友よ。僕達の友情は不滅だよ。いつか君の勇姿、描かせて欲しい。専属の画家になろう…。
  良き日に……。

  ロラン=ド=マッケイ』

 

手紙と共に残された、長剣。

アンヌはそれを何度も抱きしめ、そして見送った…。笑顔と共に……。

 

 

 

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