Destiny T
噂は的中した。
翌年行われた騎士叙任式でアンヌは正騎士に任命される事になる…。
アンヌ、17歳の春だった。
式前日、沐浴を済ませると、教会の祭壇には剣が置かれ、夜を徹して祈りを捧げた。
「お父様、お母様…ロイス。アンヌは…アンヌは遂にこの日を迎えました。導いて下さった事、感謝致します。私は…神と平和の為にこの身を捧げましょう…。」
脳裏に浮かぶのは、今は亡き家族の姿…。悦びと、期待と…僅かな不安を胸に叙任式に臨んだ。
厳かに行われる儀式の最中、アンヌは何度かロランへ視線を向けていた。彼も同じ席に居たのだ…。正騎士への階段を登っていたのだ…。
「教会、寡婦、孤児、あるいは異教徒の暴虐に逆らい神に奉仕するすべての者の保護者かつ守護者となるように」。
執式者から送られた言葉は…二人の胸に重く響き渡っていた……。
「父上だ!!父上の差し金だっ!」
ロランは吐き捨てる様に言うと、ベンチに座り、項垂れた。
晩餐会も終わり、皆が寝静まった頃、アンヌはロランと広場で会っていた。苦しげな彼の表情がずっと気にかかっていたからである。
「差し金等ではない…わ。貴方の実力よロラン。それに、裏に手を回してどうなる世界でもない…。」
アンヌはロランを宥め、輝く月を見上げた。正騎士となり初めて見る月は、僅かばかり大きく見える。
「僕の成績で叙任されるなんて事考えられないよ。あの父上ならやりかねないさっ…!あぁっ…僕はやっと剣から開放されると思っていたのに…」
頭を抱え込むロランに、どう言葉をかければいいのだろうか。アンヌはただその背を見つめる事しかできなかった。
「アンヌ…アンヌ教えて欲しい。…僕がもし人を斬ったとしても、またいい絵が描けるのだろうか…。人の魂を描く事などできるのだろうか……。」
ロランはすがる様な目をアンヌに向ける。その瞳は僅かに潤み、栗色の髪は乱れていた。
「信念と、神への忠誠を忘れずにいれば…神のお導きを信じていれば…其の者の魂は報われて、同時に貴方の魂も救われる…。私はそう信じている。だから…きっと……。」
そう答えるのが精一杯だった。アンヌは憔悴しきった友を見つめ、其の震える手に己の手を重ねた。
「ロラン…。誰が何をしたとしても、貴方の心までは変えられない。だから…いつまでも美しい絵を描く事ができる…きっと…。」
微笑を零すアンヌにロランは静かに頷いた。やがて落ち着くと、静かに笑んで、席を立った。
友の背を見送りながら、アンヌはそっと呟いた。
「私も生まれ変わるわ。もっと強くなりたいもの。だから、あの子とお別れする。辛いけれど……。」
翌日、アンヌはストルツ家から離れ、宿舎へと荷を運んだ。
アリッサを…あの小さな幼馴染を残して…。
「戦闘隊形を取り、整列!!」
広場に連隊長の声が響き渡る。アンヌは、悦びを噛み締めながら、訓練に望んでいた。同じ年の頃の隊員と馬を並べ、背筋を伸ばす。少しずつ馴染んできたようだ…。
ロランもその隊列に加わっているものの、足並みは常にずれていた。何度も注意され、その青白い肌が、羞恥で赤く染まっていく…。
「ロラン…。」
訓練を終えたアンヌは、すぐさま彼に声をかけた。愛すべき友は、うっすらと笑みを浮かべ、振り返る。
「僕は大丈夫だよ…。早く首が飛べばいいんだ。そうしたら…そうしたら辞められるんだから…。」
冗談めかした声と悲しげな眼差しを残し、去ってゆく。アンヌに引き止める言葉は見つからなかった。
肩を落とし、訓練広場のベンチへ座る。心配だった。彼が辞める前に、もし戦争があったとしたら…。
「アンヌ=ストルツ君…だね。」
アンヌは、聞き覚えのある声に、ふと顔を上げる。目に入ったのは、副連隊長の姿だった。
「アスター=サニュエル副連隊長……!」
突然現れた上官の姿に驚き、急いで立ち上がると敬礼した。副連隊長である男は敬礼を返すと、笑みを浮かべる。
「二度程、訓練を見させてもらったが、だいぶ腕を上げたな。ストルツ連隊員。」
「だいぶ…とおっしゃいますと……?い、いえ…勿体無いお言葉でございます。このアンヌ=ストルツ…命をかけて訓練に望む所存でございます…。」
頭を垂れ、目を閉じる。上官には絶対服従だった。
「この私を忘れた、かな?一度話しをした事があるのだが…。」
アンヌはアスターの言葉に戸惑うような視線を向けた。その黒髪と青い瞳を直視し…口を開く…。
「お、恐れながら…副連隊長とお話しをするのは…これが……。」
アスターは、徐にアンヌの腰の剣へ手を伸ばすと引き抜き、くるり回すと、再びその腰へ剣を戻した。
「君の剣を再び見せてもらえて嬉しいよ…。」
悪戯っぽく笑うアスターの言葉に、アンヌははっとした。その聡明な瞳…剣を操る仕草…。それは紛れもなく、見習い生の時分に会ったあの青年の姿である…。訓練時、何故気づかなかったのだろう…。其れだけ訓練に必死だったからだろうか…。
「あ、貴方は…あの…あの時の!」
慌てふためくアンヌの姿に、アスターは笑いを堪えながら頷いた。
「思い出してくれたみたいだな…アンヌ。君の噂は色々と聞いていたよ。陰ながら応援していた…。」
アスターは、ベンチに座る様促して、アンヌの隣に座った。
「し、しかし…サニュエル副連隊長…何故私のような一介の騎士を……。私が女だという理由でいらぬ興味を向ける者もおりますが……。」
アンヌは言い淀みながらもはっきりとした口調で問う。アスターは堪えていた笑いを開放し、肩を揺らした。
「いいや…違う…。君が、ストルツ公爵の養子となった話しを聞いてね。それで興味を持ったのだよ…。女だからという理由ではない。」
「も、申し訳ありません!」
アンヌは真っ赤になり俯いた。上官に向かい何たる失礼か、と己を恥じる。
「気にするな。私も養子なのだよ。小貴族から大貴族になりあがった身さ。だからうっかりすると、汚い言葉を使ってしまう。困ったものだろう?例えば、「俺」などと言ってみたり、ね…。」
肩を竦めて笑うアスターを見遣り、アンヌは安堵した。そして、同時に己の心へ温かい感情が流れる気がした。
「私と…私と似た身の上で…副連隊長に…。」
「嗚呼。だからアンヌ。君も前へ突き進め…。私はいずれ…君と共に戦うだろう。其の日を心待ちにしているよ…。」
「あ、ありがとうございます!サニュエル副連隊長!」
敬礼し、立ち上がるアンヌをアスターがやんわりと制する。
「プライベートな会話では、アスターと呼んでくれて構わないさ。どうも…その呼び名に慣れなくてね。」
アンヌは戸惑いながらも敬礼を止め、去ろうとするアスターの背を見つめた。
「アンヌ=レオニード…。私は君をそう呼ぼう…。」
アスターの言葉に、アンヌは頬を上気させた。驚きと共に、悦びが胸を駆け巡り、自然と笑みが零れる…。彼はどこまで自分の過去を知っているのだろう…。レオニードの名を死ぬ思いで捨てた事を…その苦しみを…。しかし、その様な事はどうでもよかった。
「アンヌ=レオニード…。忘れようとした響き……懐かしい響き……。再び其の名を呼んで頂けるとは…嗚呼……どうしようもなく…嬉しい…。嬉しいです…。」
瞳から零れ落ちる滴を拭いもせず、いつまでもアスターの消えた闇を見つめていた…。