Delight T

 

 

 アリスト王国が、ビクラ王国に敗戦してから8年が経った。

 

 今、アンヌの祖国は平和である。紡績産業と革製品で有名なアリスト…。世界初の蒸気機関を導入し、他国への輸出は盛んだった。

アリストの繊維製品は、他国には存在しない植物で生産している。革も、牛によく似た稀少動物の繁殖に成功し、その革で馬具や鞄、靴を作り出した。珍しく、貴重な素材だった。其れだけに繁殖も難しく、他国には真似できない技術だった。
 高級だが、無理をしてでも手に入れたい…。誰もがそう思うアリスト製品だ。

しかし、とある国がアリストの革や植物とは異なる素材を作り出した。それでいて上質、尚且つ…繁殖も容易だった。製品もずっと安価である。

しかし、アリスト国王は自信を持っていた。

例え他国で違う製品が作り出されたとしても、アリスト製品に全幅の信頼を寄せている国々が目先を変える筈がない、と…。

そして、王国繁栄の象徴として、巨額の資金を投じ、城の建立に着手し始めた…。

 

 

「は――っ!!」

アンヌは気合と共に、ぐっと腕に力を込めると…馬上から槍を突き出し、相手の喉を狙った。そして相手は、アンヌの盾、中央を狙ってくる。力づくでアンヌを落馬させようという作戦らしい。

「ぐはっ……!」

しかし、声を洩らし、よろめいたのはアンヌと対峙する騎士の方だった。喉元へ命中するのを避けたあまり、体勢を崩したのである。馬の手綱を引く事を忘れ、急に身体を動かしたため、馬が暴れた。同時…鞍から落下したのだ。アンヌは其れを見遣ると、盾を振りかざした。歓声が降り注ぐ。

騎馬試合、一騎打ちで、アンヌは何度目かの勝利を手にした。

 

「レオニード君。見事だったな。これで獲得した武具はいくつになる?」

試合場の隅、石階段に腰を降ろして汗を拭うアンヌに、アスターが声を掛ける。アンヌはすかさず立ち上がり、敬礼すると笑みを浮かべた。

「勿体無い御言葉です…サニュエル副連隊長。私は男性よりも身軽な分、機敏に動けます。その変わり、少しでも遅れれば、男性の力に敵う事なく、負けるか…死んでしまうかでしょう。」

「この分では団体試合でも君の活躍に期待できそうだな。叙任式が懐かしいな、アンヌ。まだ1年しか経っていないのだが。」

アスターは、試合場で行われている騎馬試合を眺めながら、静かに言葉を紡いだ。名を呼ばれ、多少戸惑いながらもアンヌは静かに微笑を零す。

「買い被りすぎです。けれど…サニュエル……いえ、アスター様のご期待に添えるよう…頑張ります。」

「『様』はやめてくれないか、アンヌ。周りに人はいない。気張ることはないぞ?」

アスターはアンヌの言葉を制すると肩を揺らして笑う。アンヌは戸惑った表情のままアスターを見詰め返した。

端整な顔立ちに、美しいブルーの瞳。風に靡く柔らかな黒髪…。先輩騎士から聞いた話によれば、団体騎馬競技にアスターが出場する度に、沢山の貴婦人が目を輝かせるという…。自分の城を継がせたい、とアスターに恋した令嬢を差し出す公爵もいたらしい。しかし、若き青年は貴婦人方に目もくれず、全ての誘いを断るという。

「私は君と同じ身の上。そして…富も名声も必要ない。絶やしたくないものは信念で、生きる希望。騎士を選んだのは…国を護る為。己を必要としてくれる場が欲しかったという事だ。私は…君の心もそうであると信じている。それだけに…見守りたくなるのだよ。」

いらぬ所へ思いを馳せていたアンヌに、アスターが淡々と言葉を続けた。アンヌは心を見透かされた様に感じ、僅かに頬を赤らめ、同時に…アスターの心中を知って驚いた。自分と似ている…。身の上は勿論…想う事も…。

「団体騎馬試合も見守っているぞ。アンヌ。」

アスターは、アンヌの肩にそっと手を置くと、其の場を後にした。その背中を見守るアンヌの心は温かくなっていた。初めて会ったあの日、彼と友達になれる気がしたのは、間違いなどではなかったのだ。

「進め…。アンヌ=レオニード。怯むでないぞ…。」

薄く笑んで呟き、見据える先は試合場。数日後に行われる団体騎馬試合には騎士の他にも沢山の人が集まり、試合を楽しむ。街人や商人…、浮浪者までもがうろつくという。その中に、ストルツ公爵はいるのだろうか。婦人と息子を連れて現れるだろうか。半ば強引に家を飛び出したアンヌは僅かばかり胸が痛かった。可能ならば…会いたくはなかったのである。

 

 

数日後…。

城壁の側に設置された騎馬試合会場は、一面、人々に覆い尽くされていた。若き騎士達の姿を一目見ようと、着飾った貴婦人も大勢集まった。騎士も、最良の武器と鎧を揃え、己の勇敢さをアピールしようと張り切っている。

男同然の姿で現れたアンヌは、僅かに緊張した面持ちで会場に足を踏み入れた。歓声と熱気に圧倒されながら騎乗すると、審判によって分けられた組の仲間を見渡す。自分以外は無論男だ。

「アンヌ。敵チームはお前が女だからといって手加減などしてこないぞ。お前も思う存分暴れてやれ。」

隣の男が、快活に笑って言った。アンヌも薄く笑って応える。

「私は自分が女だという事も、相手が男だという事も忘れている。騎士と騎士との戦い。今はそれしか頭にない。」

はっきりと言葉を返すアンヌに、仲間達が笑みを向けてくる。チーム内に、アンヌを馬鹿にする者はいなかった。その腕と自信を認め始めている。

「怯むなよ!1人でも多くの捕虜を獲得しろ!」

指揮官に選ばれた男は、己のチームカラーである青旗を翻し、戦闘開始の合図と同時、後退しながら声を張り上げた。相手チームは赤旗である。

打ち鳴らされる太鼓、ラッパの音が会場に鳴り響き、歓声は更に大きくなった。

試合場、それぞれの位置に待機していた騎士達は、一斉に馬の腹を蹴った。指揮官が采配を振るい、それを確認しながら敵陣へと乗り込んでゆく。

「敵陣突破せよ!!」

アンヌは長剣を引き抜き、赤、青入り混じる地点へと切り込んでゆく。もはや躊躇いは命取り。攻撃のみが最大の防御である。

『ガキンッ!!』

試合場のあらゆる場所で金属音が鳴り響いた。馬の嘶き、呻き声も重なって会場は騒然となる。アンヌは、馬の手綱を引き、対峙する赤騎士が、甲冑の隙間である己の脇腹へと放った剣戟を受け止めた。ぎりり、と鳴る長剣と重い手応えに歯を噛み締めて耐える。同時、新たな方角から、剣先が喉元目掛け、鋭く飛んできた。「ぐっ…」低い呻き声と同時、其れを手甲で受け止める。手綱を持つ手は緩み、馬が忙しなく動いた。

「女性騎士を、いきなり捕虜にできるとは嬉しいねぇ。」

手甲で受け止められても尚、振りぬこうとする赤騎士が、軽口を叩いてくる。アンヌは長剣と手甲、受け止めていた力を同時に解放し、一気に馬を後退させた。二つの剣は鎧を掠め、鈍い金属音を立てる。

「ほほぅ。女性騎士は、馬の扱いも慣れてらっしゃる。」

赤騎士の1人が間合いから僅かに外れたアンヌを見遣り、薄く笑った。もう一方の赤騎士は別の者と対峙し始めている。

「騎士なら至極当然の事でしょう!」

声と同時、瞬時に間合いを詰める。真っ直ぐに突き進み、薄ら笑いを浮べる赤騎士を見据えた。

「騎士道精神を忘れたか!このうつけ者め!!」

赤騎士はアンヌの放った言葉に鼻で笑うと、近づいたアンヌの首目掛け、渾身を込めた横薙ぎを振った。その刹那、アンヌの長剣は半円を描いた。その軌跡と同時馬を翻せば赤騎士の攻撃を交す。

「く……女騎士め……!!」

切迫した声を上げたのは赤騎士。アンヌの剣は赤騎士の首を掠めていた。剣を引き後退した赤騎士は、再度アンヌへと間合いを詰める。そして、闇雲に放った剣戟は、アンヌの甲冑を虚しく掠めていった。
 「苛立ちで冷静さを失ったか?男騎士。」
 アンヌは皮肉をこめて言い、剣を構え直そうとする赤騎士の喉元目掛け、すかさず突きを放つ。

  「ぐぁっ…!!」
  首筋から血を流しながら、どうっと地に伏したのは赤騎士。 砂塵の中、悔しげにアンヌを見上げた。
  「この…女め……。次は必ず……。」
 「捕虜は偉そうな口を叩くな。」

アンヌは赤騎士を己の陣地へ連行しながら言葉を返していた。

 

 白熱した試合は1時間にも及んだ。結果は青旗の勝利である。赤旗の指揮官が捕らえられた時点で試合は終了した。

 貴婦人方に熱い視線を送られる青き騎士達。アンヌは、『女騎士現る』などという見出しのついたゴシップ新聞のおかげですっかり有名になっていたが、浮かれる仲間を尻目に、早々に会場を後にした…。好奇の視線を背で感じながら……。

 

そして、ストルツ公爵の姿はなかった。否、確認できなかったという方が正しいだろう。

公爵は確かに、会場に来ていたのである。

活躍する娘の姿を見守り、涙を流していた…。

 ただひたすらに…見守るだけで………。




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