Darkness
数万の国王軍は、城を取り囲み、街のあちこちに駐屯している。サニュエル騎士団は城周辺の警備にあたり、昼夜を問わず緊張に包まれていた。小さな暴動は、此処のところ毎日の様に街で発生している。王は増税を取りやめにはせず、それどころか、納税の滞る者には村や街単位で懲罰を与えると発令した。
それをきっかけに小さな渦は、やがて大きな渦に変わろうとしていた。民の怒りは留まる事を知らなかった。
「暴動発生!!二つの村が国王軍に火を放たれ全焼!!民衆は武器を振り上げ、此方へ…城へ…向かっております!!」
アスターの元へ急使が現れたのは、人々が礼拝に赴く休日の事だった。その知らせに騎士団は色めきたつ。アンヌは信じられない思いでただひたすらに急使を見つめていた。
「火を!?国王軍が火を!!」
アスターも顔色を変え、馬の手綱を握り締める。
「な、何と言う事だ…。もはや暴民とは呼べないのではないか!?民は…苦しみの渦中にいるのではないか!?」
「サニュエル騎士団長…。兎に角、民を抑えなければなりません。民を傷つけないよう…できる限りの事をしましょう。」
アンヌはそう進言すると、瞳を閉じる。
『神よ…。どうか…どうかお力を…。一体どの道が正しいのか…どうかお導きを…!』
「我々の任は国王をお守りする事だ。それを忘れてはならない…。しかし…民に剣を振るう事は最小限に抑えたい。行くぞ!サニュエル騎士団…前進!!」
アスターは、祈るアンヌを一瞥すると馬の腹を蹴った。団員達も其れに続く。辺りは瞬く間に砂塵に包まれた。アンヌはアスターと視線を交し…一瞬だが穏やかな温もりを感じていた。心のどこかで恐れ慄く己を、柔らかく包み込むその存在を……。
「前進!!団長に続け…隊列を乱すな…!!」
アンヌは同じく声を張り上げ…最後尾に位置した。
『神よ…深い愛を…御慈悲を…。』
城近くの小高い丘から、街のあちこちで煙が上がるのを見た時…アンヌは何度も祈らずにはいられなかった。
馬の息遣いと、己の息遣いが重なる…。同時に早まる鼓動…。
民衆の声が…怒号が、少しずつ近づくにつれ、喉を鳴らす回数が増えてゆく。
「怯むな!背く者には、容赦はいらぬ。しかし、武器を捨てた者には剣を向けるな!」
アンヌは、幾度となくアスターの叫びに我に返っていた。恐怖で支配されそうな己を奮い立たせ、手綱を握る手に力を込める。
そして…その瞬間は訪れた…。
怒号の波が押し寄せた時、アンヌの剣は振るわれた……。其れは…誰かの子であり、誰かの家族であり…誰かの掛け替えのない存在であろう…男に…。民に向けて…。
「……愚かな王……は…必ずや……死………ぬ……。」
古びた剣を取り落とした男は、目を見開いたままアンヌの目の前で倒れた。
「許せ……民よ……。否、暴民と化した以上は……化した以上は……。」
アンヌは剣の血を振り払い、唇を噛む。馬上から見下ろす地は…既に戦場と化していた。サニュエル騎士団を含む国王軍と、民衆の衝突である。アスターの声に耳を傾ける民はいなかった。怒りに我を忘れた者達は、血に塗れ息絶えてゆく。装備も武器も充実した騎士団が負けるはずもなかった。
馬の波は、徐々に人々を呑み込んでゆき…。騒乱はほんの数時間で治まっていた…。
「アンヌ…無事か…。」
城へと戻る途中、アスターが馬を並べ声を掛けてくる。アンヌは虚ろな目でアスターを見返した。陽はすっかり落ちて、隊列を照らす松明が、民へ手向ける弔いの燈の様に続いていた。
「怪我はないようだな…。誰一人欠ける事はなかった。団長から副団長への報告だ…。何も言わなくていい…。」
アスターは、僅かに瞳を細めると、アンヌの肩にそっと触れ…先を急いだ。
「申し訳……ありません……。」
アンヌはいくつもの屍を越えてゆきながら…溢れる涙を堪えていた。
こうして…。
小さな反乱はやがて大きな…抑えきれぬものへと発展する事になった。
そして、反乱軍が内乱を起こそうと企んでいるという噂が、アスターの耳に入ったのは…国内の暴動が始まってから、数週間後の事だった。
しかし、時は既に遅かった。
反乱軍の宣戦布告は…王族の貴婦人暗殺という形で表明されたのである…。
民は…否、暴民は密かに結束を強め、確実に力をつけていたのだ。それが今はっきりと証明された。
開戦。それは後に、『王城戦争』と名付けられた。
「僕達は宣言する!命が尽きる瞬間まで、この場から動かない!税の取立てを止め、王の追放を願う!!!」
それは…まだ幼い少年の声だった。
建立中の城に子供達が侵入し、籠城しているという話を聞いて、アンヌが駆けつけたのだ。その子供達は、手に手にナイフを持ち、「近づいたら自害する」と脅しながら、問題の城に乗り込んだらしい。その数は、定かではないが、城のあちこちから顔を出す数を数えてみても50人にも満たないのかもしれなかった。しかし、故意に剣を振れぬ以上、大人よりも厄介な事態と言えよう。
「此れは一体、誰の差し金でしょう。大人に使われているのだとしたら…許しがたい。」
アンヌは歯噛みしながら馬を木に繋ぎ、現場に居合わせた将校に声を掛ける。辺りはすっかり夕闇に包まれていて、時折吹く風が子供達の声を運んでくる。アスターと同じ年の頃の将校は、口の端を歪めて笑った。
「子供の事だ。其のうちに疲れて、根を上げるに決まっている。篭城を決め込んで一体何をしようと言うのだ。愚民共が…血迷ったか。」
その言葉に、アンヌは、将校を睨み据えると一歩前に進み出た。
「何を悠長な事を!彼らは自害を覚悟の上で乗り込んだ!もし…もしも…だ!本当に自害する様な事になってみろ!国民達はどうすると思うか!内乱がどういった事態になるか…想像してみろ!!」
アンヌは声を荒げ、冷めた瞳で笑う将校に食って掛かった。アンヌを見下ろす将校は、小さく鼻を鳴らして尚も笑う。
「興奮なさるな、副騎士団長。自分の立場をお忘れかな?まぁ、その美しさに免じて今回は聞かなかった事にしておくが。」
「…。…こ…声を荒げてしまった事は……謝罪します。しかし……。」
アンヌは怒りを抑えながら、声を絞り出した。
「この場は君に任せよう。私は色々と忙しいのでね…。」
将校は、ひらりと手を振ると…涼しげな顔で去っていった。
息をつく間もなく、再び少年の声が聞こえてきた。
「兵士達に告ぐ!即刻立ち去れ!もし、こちらに攻撃をすれば、僕達は城と共に消えるだろう!このくだらない城を爆破するだろう!」
リーダーと思われる少年が、造りかけのテラスに躍り出て叫んだ。アンヌは辺りに視線を巡らせる。明らかに緊張感の欠いた兵士達が、半ば馬鹿にする様にその少年を見詰めていた。戯言には付き合っていられないという表情だ。
「爆破…!爆破とは…一体どういうつもりだ!」
アンヌは兵士達を掻き分けて先頭に歩み出た。城の前には未完成の庭があり、盛土がバリケードの様な形になっている。アンヌはその土の上に立って両手を広げた。
「国王を追放するんだ!そうしなければ、この国は滅茶苦茶になってしまうから…。だから僕達が追放してみせる!」
まだ12、3歳に見える少年はアンヌに向かい訴えた。
「君達が係わり合いになる必要はない!どこか…安全な場所に逃げなさい……」
「ストルツ副騎士団長!!!」
その時、アンヌを呼ぶ声が背後から飛んできた。見れば急使と見られる男が慌てた様子でこちらを見ている。
「伝令です!国王より伝令です!全ての兵士は城へ戻られよ!…反乱軍が…反乱軍の……!!!」
それは突然起こった。急使は眼を剥いて倒れたのである。背には深々と矢が刺さっていた。
「急襲だ―――――!!!」
今まで緊張感の欠片もなかった兵士達が、あちこちで声を上げ、剣を抜き放つ。アンヌは目を見開いて、盛土の影に身を潜めると、腰の剣を抜いた。城へ視線を向ければ、未だ子供達が姿を見せている。
「何という事だ…!引け!早く…隠れろ!!!」
アンヌが叫ぶと同時、剣を振り上げた男が踊りかかって来た。咄嗟、己の剣を水平に構えればその剣を受け止める。金属音が響き渡った。
「見ろ!子供達が…子供達が盾になろうとしているんだぞ!この内乱を止めようと…!」
アンヌは立ち上がり様、半身になると其の男の剣を薙ぎ払う。
「違うなぁ…。あいつらは親のいない、子供義勇軍だ…これは立派な作戦さ…。あんた等の気を引く為のな。子供とはいえなぁ、国王を恨む気持ちは誰にもまけねぇ…親を殺されたんだからな…国に…。」
男が薄く笑った刹那、アンヌは斜め下段の剣を切上げ、男の喉元へ突きつけた。
「国王は…国王はしかと考えておられる!常に民を想っておられるのだぞ!」
「犬め…。所詮は王の犬だ…あんた等はな。誇り高い女騎士さんよ…。あんた、有名だぜ…気をつけな……」
男は臆する事なく、片手に握った剣を振り上げた。アンヌは反射的に足を踏み込むと、剣を突いた。男の喉へと埋まる剣。同時に返り血は、騎士の全身を染め…そして、男は倒れた。
「国王は…城へ戻れとおっしゃった。一体何が起きているのだ…!何故、武装した民がこんなにも…いつの間に…!」
未完の庭は、国王軍と反乱軍が入り乱れている。もはや、どこから弓矢が飛んできてもおかしくはない状況だ。アンヌは、抜き身の剣を構えながら馬の元へと駆けた。
「アスター…今行く…!!」
道を埋め尽くす敵兵の数に目を見張りながらも、アンヌは急使の最期の言葉に従う事にしていた……。闇夜に浮かぶ、一条の道…。 其れはさながら…地の底へと引きずり込む、暗黒の道にも見えた……。