Crossroad

 

 深夜の事だった…。

 アンヌは微かな物音に跳ね起きた。穏やかな眠りは一瞬で打ち砕かれ、素早く扉へと視線を向けた。物音はやはり、扉を叩く音だった。

「まさか…問題が起きたのか!」

長剣を手に取り、一飛びで扉へ向かう。鼓動は嫌でも高鳴った。そして、用心しながら、扉を押し開く…。すると、何者かが素早く部屋へ飛び込んできた。

「何者っ!!」

アンヌは反射的に長剣を抜刀し、身構える…。するとその目に信じられないものが映った。

「アンヌ…。」

扉を閉め、此方を見る者が居る。アンヌは身体を震わせながら、己の名を呼ぶ者を見返した。

「アンヌ…探したよ…アンヌ…。」 

「……ロ…ラン…?」

それは何年ぶりかに見る、ロランの姿だった。小奇麗な格好をしていてこの街にはそぐわない貴族の雰囲気を醸し出している。しかし、優しいグレーの瞳は少しも変わる事はなかった。アンヌは身じろぎひとつせずに、ただひたすらにロランを見つめていた。ロランは両手を広げ、アンヌの構えた長剣を見遣った。

「驚かせてごめん…。やはりこの街に居たんだねアンヌ…。」

「…一体…どういう…事なんだ…。どうしてロランが……。」

アンヌは苦し紛れに言葉を放つと、長剣を収めるのも忘れ、力なく下ろした。

「貴族の護衛という依頼は、あくまで表向きの事で…本当は最初から君が居ると確信してやってきたんだ。こうでもしないと、君は僕に会ってくれないと思ったから…。」

「な、何の用だよ。…今更…お前に会ったところで……話す事など…何もない…。」

アンヌは顔をそむけ、やっと長剣を収めた。

「反乱軍に命を狙われたとしても、ここまで寂れた街で暮らす必要はないじゃないか?それに、傭兵をしていると聞いた時は本当に驚いたよ…。君は貴族なんだよ?」

「貴族?笑わせるなよ…。そんな身分などとっくに捨てたさ。」

「アンヌ…聞いてくれるかい?敗戦して、君がその後どうなったのかまるで分からなかった…。死んだという話も聞いたよ。だけど、僕はあきらめなかった。やっと見つけたよ…。今までに何があったのか聞かせてくれるよね。君と僕の友情は永遠に不滅だって約束したじゃないか…。」

「…帰れよ。お前に話す事なんてひとつもない。話したくない…。」

顔をそむけたままのアンヌを、ロランは悲しげに見つめ、歩み寄った。

「…いきなり来たのは悪かったよ…。ごめんよアンヌ…。ただ僕は、君との約束を果たしたかったんだ…。僕はやっと名の知れた画家になれた。名立たる貴族達から専属の絵師になって欲しいと頼まれる事も多くなったんだ…。だけど、僕は誰の専属にもならないと決めていた。そう…君以外には…。」

ロランはアンヌの目の前に立ち、必死に言葉を並べた。少しでも会話が途切れたら、目の前の愛しい人が消えてしまうような気持ちに捕われたからだ…。

「やめてくれよ…。恩を着せるつもりか?立派な画家になった事は新聞で知っていた…。私だってロランを忘れる訳がない…。だけど…何もかもあの時とはまるで違うんだ!私は専属の絵師など必要のない薄汚れた傭兵だ。金の為なら何だってやる。神に忠誠を誓った騎士とは違うんだよ!」

アンヌは吐き捨てるようにロランへ言い、顔を向けた。その顔を見つめ、ロランは息を呑む…。

「その…顔の傷…。戦争で負ったのかい…?」

ロランの遠慮がちな言葉に、アンヌははっとして右頬を押さえた。唇を噛み締め、嘗て愛した友を忌々しげに見据える。

「帰れ!!消えろ!二度と私の前に現れないでくれ…。記憶を掘り起こすのはやめてくれよ…!!お前に話す事で、またあの戦争を思い出さなければならない…のだから…。」

「アンヌ…僕は………!!」

ロランは、声を荒げるアンヌを躊躇いながらもしっかりと抱きしめた。その腕の中で、アンヌは小刻みに震えている…。

「…止めろよ……。やっと…やっと違う私になれたのに……。過去から決別できたと思ったのに…。それなのに…何で急に現れたりしたの…?もう二度とあの頃には戻れないのに……貴方と…仲間達がいたあの頃には………。」

「何があっても君は君のままだよ…。君がこの生活を望んでいるとは思えないんだ。自暴自棄になっているとしか思えないんだよ…。」

「これは私の人生よ。誰が決めた訳でもない…。傭兵で何が悪い?金の為に生きる事の何が悪い?」

 ロランはアンヌから何も言わずに離れた。暫し沈黙が流れた後、ロランは再度アンヌを見つめた。

「アンヌ…。じゃあせめて、これを受け取ってくれるかい?君に会えなかった数年間をかけてやっと描きあげたんだ…。その間、ずっと君を想っていた…。」

顔をそむけたままでいるアンヌに優しく言い、ロランは扉の外に置いてあったカンバスを運び入れた。そして、静かに上に被さっていた布を外した。

「君だよ。アンヌ。これを最後の贈り物にして、僕は去るよ。」

その言葉に、アンヌは顔を向けた。そして、目に映った其れに息を呑んだ。そこには、自分の姿が描かれていた。若さに満ち、美しい白馬に跨る騎士時代の自分が…。

「売ったりしたら駄目だよ。世界にひとつしかないんだ…。」

精一杯冗談を言うロランを横目に、アンヌは溢れ出る涙を止められなかった。

「ロラン…。」

愛しい友の名を呼ぶ…。しかし、何もかも遅かったのだ。アンヌの心はどうしようもない淀んだ感情に支配されてしまっていた。瞬間、その瞳に見せた美しい光はあっという間に消えてしまった。

「こ…こんなもの…こんなものいらないわ!!!目障りなんだよ!言ったでしょう?何もかもこの時とは違うって……!!」

アンヌは、荒く呼吸しながら腰の長剣を抜刀した。そして、次の瞬間には剣を滅茶苦茶に振るい、その絵を斬り刻んでいた。どこか朦朧としたまま、喘ぎながら…。ロランは、裂けてゆく絵を悲しげに見つめながら、アンヌの心境をやっと理解していた。愛しい人は悲しみと絶望に支配されていると…。

そして、激しい鼓動を感じながら窓の外を見遣り、息も絶え絶えに言葉を放った。

「アンヌ…。僕は、ずっと君を探してきた。あらゆる手段を使ってね。僕の心の中には、君しかいないみたいなんだ…。その感情は友情を遥かに超えている…。僕は…僕は…君を愛してる。だから一緒に来て欲しい。」

その言葉に、アンヌはロランへ戸惑いの表情を向けた。そして、言葉もなく涙を流し佇む姿は、まるで少女のように儚く見える。

「…ごめんよ…。僕は一体……。」

ロランは髪を掻き毟り、俯いた。

「ごめん…アンヌ…。僕は馬鹿だね。親友を失うかもしれないのに…。」

アンヌは引き裂いた絵を茫然と見つめながら、追い詰められたロランの苦しげな告白を聞いていた…。

「だけど…後悔したくないから言うよ。僕はいつか君と結婚したい…。例え君の気持ちが僕に完全に向かなかったとしても構わない。僕は…待つよ。一生かけてでも待つ。だから一緒に、僕の国へ行こう。君には何不自由ない生活を与えられる。もう剣は振らなくてもいいんだ!!」

アンヌは力なく床へ座り込んだ。そして、涙で曇った目でロランを見つめる。

「君はずっと僕を励ましてくれた。今度は僕の番だよ、アンヌ…。」

ロランは精一杯の笑みをアンヌに向け、目の前に座った。今にも消えそうな愛しい人をもう一度抱きしめたい衝動にかられながらも、ただ静かに見つめていた…。

「…ロ…ラン…。…明日…宿の前で待つラルという男の子に靴を磨いてもらって。沢山チップをあげてね。私からの……最後の……頼みよ…ロラン。今までありがとう…。さようなら………。」

アンヌは立ち上がり、ロランへ告げた。涙を拭い、落ち着きを取り戻して見つめ返す。ロランはぐっと拳を握り締め、暫く何かに堪える様に俯き、やがて静かに頷いた。心の中は嵐の様に掻き乱れ、強引にでも連れ去ってしまいたい衝動と必死に戦っていた。それでもロランは頷いた。頷く事が彼にできる精一杯の愛情だった…。

「…わかった。ラル、だね…。わかった。ごめん…アンヌ。僕は勝手に気持ちを押し付けて…本当にごめん…ごめん!!…忘れて欲しい…僕の…僕の乱れた心のせいだと…許して欲しい…。」

二人は暫く見つめあった。言葉は無かった…。

やがて、若き画家は部屋を後にした…。

アンヌは、床に散らばったカンバスの一部を拾い上げると、嗚咽を洩らした。どうしても止める事ができない…。

「ロラン…ロラン……!!ありがとう…。どんなに行きたかったか知れないわ…。どんなに行きたかったか…!!私を…連れて行って欲しかった………!この苦しみから逃れる為に何もかも忘れて、そう…アスターの事すら忘れ…て!!でも…でも……私には…できない…。アスターを忘れる事なんて…。それに…結婚なんて無理よ……できないのよ…!!ロラン…この汚れた私は……一生……」

アンヌは何度も頬の傷を掻き毟り、窓の外から見えるロランの後姿を見送った…。追いかけたい衝動を必至に抑えながら…。

 

そして孤独な傭兵は、数日後にはその街を後にした。放浪の旅が再び始まったのである…。

ただひとつ、アスターの剣を供にして…。 



+BACK+