Childhood

 

「うっ…酷い臭いだ…。」

数人の衛兵は、其の家に充満する腐臭に眉を顰めた。

「…この臭いにはもう慣れただろう…?」

ひとりの衛兵が皮肉をこめて言えば、全員が溜息まじりに肩を落とす。

「…生存者などいやしない…引き返すぞ。」

足を踏み入れる事が憚られる。其れほどの異臭…。この大きな屋敷は、特に酷い。

敗戦後、数日が経過したその日…生き残った衛兵達は自身も酷く傷つきながらも、街を見回り、歩き続けていた。

「仕方ない…私が行こう…。この仕事は民へのせめてもの償いなのだよ。さぼる訳にはいかないさ。」

片足を失った大柄の衛兵は自嘲気味に言うと、引き返す仲間を尻目に、その屋敷へと入って行った。

「嗚呼……酷い…。これは…酷い…。」

口を布で覆いながら、思わず声を洩らす。床に倒れる無数の遺体。窓という窓は殆ど破壊され、調度品の類は見当たらない。物色され、荒らされた事は一目瞭然だった。

腐乱した遺体の数々に祈りを捧げながら、広間らしき部屋へ足を踏み入れる。今まで見てきたどの屋敷よりも広く、床に散乱する燭台ひとつ見ても、この貴族がいかに贅沢な暮らしをしていたのか窺い知れた。

やがて、衛兵の視線が広間の中央に留まる。広い室内にただ二人だけ…折り重なる遺体があった。大きさからして、大人と子供だという事がわかる。

「親子か…。」

子供の遺体は何度見ても辛い。そして、親子が折り重なる姿は、もう幾度となく見てきた…。静かに側へと近づき…見下ろす。 蹲る父親らしき者に覆い被さる少女…顔を横に向け、目を見開いている。

「ん…!?」

其れを見た瞬間、衛兵は妙な違和感を覚えた。その少女の肌は透き通る様に白く、小さな腕も足も、腐乱し、黒ずんだ父親の其れとはまるで違う。

「…!お嬢ちゃん!お嬢ちゃん!!」

衛兵は咄嗟に跪くと、寝巻き姿の少女に触れた。温かい…。生きている。

「………。」

薄い茶色の瞳が僅かに動き、衛兵を見つめた。色をなくし、子供らしい無邪気さも躍動も全て失った其れが…驚きに満ちた表情の衛兵を見返す。

「嗚呼…お嬢ちゃん…生きていたんだね…嗚呼ッ……もう大丈夫だよ。恐かっただろうに…!!」

今まで…この少女は何を想っていたのだろうか…。そう考えただけでたまらず、衛兵は涙を浮かべた。

「さあ…行こう。此処から出よう。恐くないからね…君の様な子供を受け入れてくれる施設が…あるから……。」

 少女は虚ろな瞳で衛兵を見返したまま、言葉ひとつ返さなかった。

 「ごめん……ごめんよ……。私達は…自国を……君達を護りきる事ができなかった…。こんな思いをさせてしまって…ごめ…ん…よ…。」

 その少女のあまりに悲痛な姿に、今まで堪えていた想いが溢れ出し、嗚咽を洩らしながら、涙を流す衛兵…少女アンヌは身動きひとつしない。瞬きすら止まったかの様に見える。やがて、衛兵がアンヌの身体を起こそうと手を伸ばす。その時、初めてアンヌが動いた。父親の…その身体にしがみつき、全身を硬直させたのだ。顔だけは衛兵に向けたまま、唇を引き結び、頑なな表情を浮かべた。

 「もう…ここには居られないのだよ…。」

アンヌの表情に思わず躊躇ったものの、言葉をかけると同時に身体に触れた。激しく首を振り、ぼろぼろと涙を流す少女…。衛兵は力なく手を引く。

「……わかったよお嬢ちゃん…。私は屋敷を見回らなければならない。戻ってくるまでの間…最期のお別れをしておきなさい。いいね…。」

 父親にしがみつくアンヌを残し…衛兵は立ち上がった。

 

「…私を一人にしないで…。」

 

 衛兵は、アンヌの部屋で人形を見つけた。隅に転がっていた其れを手に戻り、アンヌと共に屋敷を後にした。その途中…腕の中の少女が悲しげに呟くのを聞いた。その言葉を最後に、アンヌは話す事も、笑う事もできなくなった。 

 そして3年が過ぎる…。
 




                                            

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