Childhood

 どれ位気を失っていたのだろうか…。

 此れほどまでの孤独と、恐怖を味わった事のない少女は、その重圧に耐え切れなかった。子供一人がやっと入れる小さな部屋で、荷物に挟まる様にして倒れていた。

 「こ…こは……?お母様……!?」

起き上がり、辺りを見回すが暗闇に包まれていて何も見えない。と同時に黴臭さが鼻についた。その臭いを嗅いだ瞬間、あの出来事を思い出し、身を震わせる。アンヌは荷物を手探りで押しのけながら入口の扉まで這って行った。その小さな木戸に耳を押し当て、外の様子を伺おうと試みるが、物音ひとつ聞こえない。意を決して、両手で扉を叩いてみた。

 「お父様!お母様!アンヌはここです…!出して下さい!!」

大きな瞳に涙をいっぱいに溜め、あまりの震えの為に、上手く動かない両腕を必死に振るう…。

 「出して…出してぇぇぇ……。」

顔を歪ませて声を張り上げる…。暫く続けては、扉に耳を押し当てるという動作を繰り返した。しかし、相変わらず何も聞こえてはこない。

絶望と恐怖で、腕の動きは尚鈍る。泣き声も弱々しくなり…やがて、床に蹲った。「何故」という言葉が頭の中を駆け巡る。その言葉以外何も思い浮かばない。今まで何ひとつ不自由のない暮らしをしてきた少女に、世間の暗い側面を想像する力などなかった。

 「ロ…イス……。」

薄く開いた唇から不意に洩れた言葉。その言葉に自分自身はっとなり、跳ね起きた。

 「ロイスは…ロイスはどうしているのかしら!!」

もしも、自分と同じようにどこかに閉じ込められているとしたら…。あの小さな弟は今にも死んでしまうかもしれない。アンヌは少し慣れてきた目で辺りを見回し、手当たり次第、周囲の物に触れてみた。古い箪笥や、ソファなどが置かれているようだ。やがて、何か冷たいものに触れた。手に取り間近で見てみると、それは火掻棒だった。

「待っていて、ロイス…。私が助けてあげます。待っていて……。」

見てはいても初めて触れた其れ。召使が暖炉で使っていた其れに、ありったけの力を込め、扉へと振るう。木戸は激しい音を立て、揺れた。アンヌは歯を食いしばり何度も其れを打ち付けた。木が砕ける音に励まされ、叩き壊そうと必死になる。ロイスを想えば、手の痛みなどどうでもよかった。……やがて、扉が破壊された。何層にも重なっていた木戸に穴が開き、淡い光が差し込んでくる。

「…嗚呼…神様。アンヌに力を貸していただき…ありがとうございます。」

呟き、床を這いずる…。恐る恐る外へと出れば、其処は屋根裏部屋だった。母と最後に別れた場所だ。薄い窓からは午後の光が溢れ、静寂が辺りを包んでいる。一歩、また一歩と恐る恐る歩き出し、やがて狭い通路へと辿り付いた。階段があり、それを下れば自室や、両親の寝室へと辿りつけるはずだ。屋根裏へ連れて来られた時は、周りを見る余裕などなかったが、今改めて辺りを見回し、自分の屋敷にこの様な場所があったのかとただ驚くばかりだった。

 「お…お父様…お母様…ロイス……。」

もしかしたらロイスは、何事もなかったかの様にベッドで眠っているかもしれない。アンヌは恐怖を紛らわせる為に必死にそう考えていた。軋む階段を下り…暫く歩めば、美しい毛織物の絨毯が敷き詰められた廊下へと辿り付いた。

其の何一つ変わりのない風景に安堵して、表情を緩めた瞬間……アンヌの目に、信じられない光景が映った。廊下の先、ロビーへと降りる階段の手前に、誰かが倒れている。

「だ、誰です……!?」

目を見開き、恐怖で身を竦めたまま駆け出す。…やがて、其の者の側へと膝まづいた。

「…!!!!」

手を伸ばした瞬間、身体が硬直した。其れは…その美しい栗色の髪は、母親のものだ。その身体は紅色に染まり、ただ蹲っている。あの夜、確かに着ていたはずの絹のローブは、無惨にも引き裂かれていた。

「…お、おか…おかぁぁあさ………!!!!!!」

言葉すら上手く出せず、震える手で母の身体に触れる…。そして、その腕でしっかりと抱く何かを見た時…アンヌの視界は真っ白にぼやけた……。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

ロイスだった。母親が抱いていたのは、まだ0歳のロイスだった。ロイスは母親と同様に背や胸を切り裂かれ…息絶えていた。

「…うッ…うぅッ……。嘘…嘘よ……嘘よーーっ!!」

頭を小刻みに震わせ、混乱したまま二人から離れ…、立つ事もままならず、這う様にして階段を下る。床は血に塗れ、ぼやける視界で見渡せば、数人の侍女達も倒れていた。

「…お…と…さま……たい…へんです……。」

うわ言の様に呟きながら、ふらりと立ち上がり…広間へと向かう。其の間も、何体もの死体を越えてゆかなければならなかった。

「あ…あぁ……」

美しかった豪奢な広間には…装飾品ひとつ、家具ひとつ残されていなかった。残されていたのは…父親だった。片手に護身用の剣を握り締め、紅に染まった父親だった。部屋の中央で蹲り微動だにしない。アンヌは呻き…何度も意識を手放しそうになりながら、側へと近づいてゆく。其の無惨な姿を茫然と見つめながら…父親の亡骸に負い被さり、途方に暮れるだけであった…。




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