沼の柵
別名
種類
平城
築城年
平安後期
築城者
清原武貞?
遺構
所在地
平鹿郡雄物川町
沼の柵は、南に黒石沼、北は船沼、東は大沼などの湖沼で、西には雄物川があり、まさに水城的要素の強い天然の要害であった。「後三年の役」の際に、源義家は清原清衡に味方し、応徳3年(1086)清原家衡の拠る沼の柵を攻めたが、雪に阻まれて補給路を断たれ、一敗地にまみれた。その後、家衡は再戦に備え、叔父の武衡の進言で金沢柵へ本拠を移すが、寛治元年(1087)金沢柵も落とされて奥羽の大乱は終息する。現在は「沼の柵址」の石碑が建つのみである。