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現在の山形城(霞城公園)は二の丸までしか現存していないが、最上時代には広大な三の丸が築かれていた。山形城は本丸、二の丸、三の丸を同心円上に曲輪を重ねた輪郭式の城郭である。最上時代の本丸は東西150m、南北160m、およそ7千坪の広さであった。二の丸には5つの出入り門があり、東西396m、南北427m、およそ51800坪の広さであ
ったといわれている。三の丸は11の出入り門があり、最近の図上計測においては東西1580m、南北2090m、面積2,35uという広大さで、平城としてはかなりの規模である。三の丸の濠と土塁は、明治維新まで現存したが、街の発展と共に
民間に払い下げられた。現在は市街地の各部分片隅に僅かを残すのみである。現在の山形城(霞城公園)は二の丸まで現存しているが、これは最上家改易後に入封した鳥居忠政の縄張りによるものである。
城の規模自体の変更はなされなかったが、
本丸や二の丸の出入り門については大幅な変更が加えられている。本丸については、最上時代に東西にあった門が北と東南(一文字門)に変更されている。二の丸に至っては最上時代に5つあった門が4つに変更されている点と、枡形も逆になっている点である。東南の水濠も形を変えている。これは鳥居氏が最上時代の印象を払拭するために行った工事だろうと思われるが、それにしても大規模な工事であったであろうと推測できる。現在では最上時代の縄張りを見ることはできないのが非常に残念である。しかし山形城の原型は最上時代に確立されたといってよいだろう。 |

山形城縄張り図(鳥居氏時代) |