降下作戦(3) |
遠坂は、不規則な息とバラバラに動く手足に、フラフラと脚を止めた。 気付いたら持っていたはずの銃も取り落としてきてしまったようだ。 …しばらく走った。もうここからではミノタウロスの巨大な影も見えない。 振り仰ぐ空。月に雲が薄く影を落としていた。 遠く、気配のような低い響きが感じられるだけだ。 あの目。本気で撃とうとしていた。 かすかに同調した意識は恐ろしく冷静だった。敵を見るような目。 しかし同時に本気で、恐れているようでもあった。 今こうしてあの感覚をたどると、そうも思えた。 …悲しい。 なぜ悲しいのだろう。自分が必要ではないといわれたから? 自分の無力さを痛感させられたから、だろうか。 そうではない…そうじゃない。 そんなことはわかっていたことなんだ。 ただ、アナタが、悲しい。 遠坂はゆっくり、歩き出した。 視界の端に写るレーダーが岩田の交戦を示す。 巨大な赤い反応に、近づいては離れる青。少しずつだが、確実に赤の生体反応は削られていく。 既に最初に交戦相手となったはずのキメラは動けない状態になっている。 彼は強い。どうしてそこまで、強いのだろう。 しかしその確実な、そぎ取るような戦い方。そんな戦い方を今まで彼がしたことがあったか。 其の時ふ、と感じる、赤の色。いつになく冴えた感覚が脳裏をよぎる。 遠坂は反射的に駆け出していた。今さっき後にしたその場所へ。戦場へ。 視界に閃く赤の色。それは少しずつ強くなる。遠坂は唇を噛んだ。 なにが正しい? 僕は間違ったのか? 今は?今こうすることは? ずっと考えていた。自分が正しいのか、この世界が正しいのか。人が正しい選択をしているのか。 自分たちが繁栄するために他者を攻撃することは正しいのか。 誰が突出することもなく、誰が置き去りにされることなく、皆が平等に幸福を掴むことはできないのだろうか、と。 皆が平等に? 遠坂は笑った。 違う。僕は、自分が幸せになりたかっただけだ。 走る荒地になにかの残骸が転がっている。遠坂は速度をゆるめた。 なにかの部品だろうか?雨に打たれた跡が錆になっている。可動部はもろくなっているが、部品は腐食しきっていない。 それをつなぐパイプを握り締めた。動く。 遠坂はふっと目を閉じた。 誰も傷つかない優しい世界に憧れていた。 それが正しいと思っていた。 だが、正しいことだけが重要なんだろうか? 世界がそうあるべきだと思った。しかし重要なのは、世界じゃない。 僕は今、感じる悲しさを払うために走ることができる。 それをアナタが間違っているといっても、かまわない。 たとえこれが、間違っているとしても、かまわない。 遠坂はぎゅっと力をこめて残骸から鉄管をもぎとる。 構えたそれは長すぎて持ちにくく、不恰好にねじくれていた。錆ががさがさと零れ落ちる。 それを握りなおして遠坂はまた走り出した。 「闇をはらう銀の剣…とはいかないな」 苦笑しながら、しかし、迷い無く。 岩田は確実にミノタウロスの攻撃を交わすために、堅実な戦法を余儀なくされていた。 一発でもあたればそれが致命傷になる。高機能ウォードレスをたとえ着ていても、自分の身体能力は本来のスカウトたちとは比べ物にならないほど低い。 与えるダメージも微々たる物で、表面をカトラスできりきざまれた獣は鮮やかな布をかけられたようだが、 見た目ほどには生命力を削ってはいないようだった。 あせる必要はない、岩田は口ずさむ。自分に言い聞かせるように。 瞬間、熱線が肩を掠めた。それを感じた瞬間に反射的に回避行動に移ったせいで直撃は免れたがそれは肩の肉を抉り、焼く。叫びをかみ殺して岩田は振り向きざまにライフルを構えた。 どうしてここまで接近されたのを気づかなかった、いや、作戦開始時にはナーガは補足できなかったはずだ、増援か、こんな時に。 直線20メートル後方、まばらな木々を背に白い顔が笑みを浮かべていた。 醜悪な芋虫のような体を揺らし次のレーザーを撃たんとその赤い複眼が発光しはじめる。 背後のミノタウロスの相手もしなければならない。岩田は一旦距離をとろうと腰に手をのばした。しかし其の手は一瞬止まった。 青の生体反応が近づいてくる。それはまっすぐにこちらへ。 「馬鹿な、なぜ…」 言いながら岩田はロケットを弱く噴かして二匹の獣から離れるように跳んだ。 目標を失って発光を弱めたナーガが、岩田の移動先を向こうとして、何事かを感じたように動きを止めた。 その瞬間、脇の藪から飛び出した遠坂がその腹に鉄パイプを抉りこむ。複眼の一つが潰れナーガが甲高い悲鳴を上げた。 「何故!」 岩田は叫びを上げた。走りながらライフルを撃つ。それは正確にその複眼を貫く。 遠坂は捻り込んだ武器を抜こうと力をこめたが、それがかなわないと知ってすぐにそこから離れる。ナーガが痛みに暴れるように尻尾でそれを薙ぎ払う、遠坂が吹き飛ぶ。 呼吸がとまり、岩田は体が冷たくなるのを感じた。 しかし、衝撃で数メートル滑った遠坂がすぐに体制を立て直すのを見て息を吐く。 次の瞬間、ナーガが自分により近い遠坂に向きを変えようとするのを見て、岩田は反射的に跳んだ。 その視界を横切るように反対方向に回り、それにしたがって伸びた首を切り落とす。 その喉が上げようとした金切り声は、すぐにくぐもったゴボゴボという音に変わった。 脚ががくりと力を失い胴体は横倒しに倒れ、それを確認して、岩田は遠坂に目を向ける。 その目は怒りにもにた色を湛えていた。 「どうして戻ってきたんです」 遠坂は荒ぐ息を吐きながら、岩田を見た。 「僕も戦います」 岩田は物言わずライフルを向ける。 遠坂は身じろぎもせずに岩田を見つめた。 一瞬の静寂の後、遠坂はよどみない足取りで岩田に歩み寄り、自分に向けられるそれを取り上げた。 「借ります」 そして向き直る。ミノタウロスは身体を大きく揺らしながら、緩慢にこちらに向かってくる。 岩田は銃を奪われた体制のまま無表情に遠坂の横顔を見ていたが、ふっと表情を緩めた。 カトラスを構えながら、少し笑う。 「それ、もう弾ないんですよ」 「はぁ!?」 遠坂は素っ頓狂な声をあげて岩田を見た。 「なんちゃって」 「はぁあ!?」 こんな時になんちゃってもくそもあるのか!?と抗議しようとするがそんな暇もない。 そんな遠坂を一瞥して、岩田は言った。 「フフフ、貴方がきたのでイイィことを考え付きました」 その笑みは鋭く深い。 「合図したら撃ってください」 言うと岩田はミノタウロスに一直線に飛んだ。慌てて遠坂はライフルを構える。銃口はミノタウロスの頭に向かう。 「こっちです!」 そのセリフが思いがけない方向から聞こえてきたことに遠坂は一瞬目線をライフルからはずす。 その瞬間岩田はミノタウロスの真上にいた。目を疑うことに、岩田はカトラスをウォードレスとロケットを繋ぐベルトにかけていた。ヘタにそれを切れば、バランスを崩し暴走してしまうだろう。 「なっ…」 ミノタウロスが真上の生体反応にようやっときがついたように頭をあげる。 その十メートルも離れない真上で、ロケットの炎が弱くなるのが見えた。 遠坂にもその意図がやっとつかめる。しかしそれはあまりにも危険だ、だが説得しているヒマはもう、 自然落下し始める瞬間に岩田はロケットを切り離す。ミノタウロスは落下してくる二つを掴もうと腕を伸ばした。 「撃ちなさい!」 「くそっ、無茶苦茶だ!」 遠坂はいいながら狙いをつけた。先に落ちてきたロケット部分がミノタウロスの眼前を通過する瞬間、貫く。 ドウッ、とそれは青い炎を吹き上げて爆発した。 すさまじい光があたりを照らし、巨大な獣は上半身を炎に包まれて雄たけびを上げる。 顔をかきむしるように腕を上げるが、その先から崩れ、ぼろぼろと燃え崩れていく。 一瞬の間、その巨体が揺れ、土煙を上げながら倒れた。 至近距離の衝撃に姿勢を低くしていた遠坂が目を開けると、背後に岩田が転がっていた。 仰向けに倒れたまま、肩で息をしている。どうやら、ギリギリまで引きつけてのテレポートは、間に合ったようだ。 ほとんど呆れた表情の遠坂を、岩田は寝ころんだまま見上げた。 「フフフ、まったく貴方には、いつも驚かされますよ」 「なっ…それはこっちのセリフです!」 曲芸師じゃあるまいし、今思い出しただけでめまいがするようなことを、と遠坂が抗議する。 そりゃあ勿論、高速で接近するにも、ロケット燃料での攻撃をするにも、あんな方法しか無かったかもしれないけれど。 岩田は笑ったが、ふっと真顔に戻る。 「僕は本気で殺そうと思っていましたよ?」 遠坂は、一瞬言葉を失って、ゆっくりと目を閉じた。 「わかってます。それくらい」 「死ぬ気で?」 「まさか」 笑った。 「死なないと誓ったじゃないですか」 僕も、そして、あなたも。 岩田は大きく笑った。らしくない顔。 「フフフ、そうか…そうですね、フフフ、貴方ってひとは。」 ぁあそうか、ひどく其の顔は穏やかなのだ。 口調は、何時もとおなじ道化めいた色をとりもどしながら、いつになく緩やかで。 岩田が多目的結晶に繋がれている通信機器を起動させる。 「殲滅、終了しました」 「…よくやった、今より回収する」 夜の空気がかすかに冷たく吹き抜ける。 月にかかっていたベールのような雲はいつの間にか消えていた。 2006/01/23 |
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