記憶の深遠(3) |
勲章授与式。隣に同時にあるべきパートナーの姿はなく、遠坂は無表情で敬礼した。 自分の心と裏腹に。積み重ねられていくその黄金を、どこか遠くで眺めていた。 やりきれない。 休み時間、誰かが祝いの言葉を投げかけてきた、それを、遠坂はそうですね、と言ったきり、それ以上は答えなかった。 そんな自分を嫌悪してもいたし、実際そうしかできないでいた。 胸ポケットの金属がやけに重く感じた。 こんなもの、いらない。 だけど、なら、なにが欲しいというのか。 どちらにしろ…もう、関係の、ない、事。 うつむいた拍子に、それが滑り落ちた。 キィン、と跳ねる音。 それを受け止められたはずなのに、遠坂はそれに手を伸ばさずにいた。 「大事に扱わないと、本田先生に怒られるよ?」 顔を上げる、速水がそれを緩やかに拾い上げていた。とがめるようではなく、言う。 「…そんなもの」 遠坂は深く考えずに言った。言ってかららしくないと思う。 「しっ」 速水は唇に指を当ててみせた。表情は悪戯っぽい笑顔を浮かべている。 「少し、いいかな?」 「君は真実を知る勇気があるかい?」 遠坂は目を瞬かせた。 「中村君の真似」 速水は笑った。遠坂が表情に困っていると、今度はまっすぐに遠坂を見た。 「遠坂君は、岩田君の事好き?」 笑いながら言うならともかく。速水は至極真面目な目で言った。 戸惑う。 「…好き、といいますと…」 「嫌い?」 嫌いかと聞かれると、それも困った。 速水は遠坂が何か考えようとする前にまた言った。 「わからない?」 うなずくことにする。 そうかぁ、と速水は腕を組んだ。 しばらく考えごとをするように空を見て、視線を戻す。 「どちらかなら、話が早いんだけど」 「…何がですか?」 さっきから何をいいたいのか、わからない。 遠坂はため息をついた。 「好きか、嫌いなら、人は動き出せるから」 何を言っているのだろう? 速水が微かに笑った。 「正直、わからないんだ。人の考えを変えるとか、あまり好みじゃないしね… だから聞くよ。聞きたい?それとも、聞かない?」 「…話が見えないんですが」 「質問に答えて」 こういうとき速水が柴村だと痛烈に思う。 遠坂は半ば諦めて答える。 「…じゃぁ、聞きます」 「それが君の選択だね。なら言うよ、岩田君に指令が降りた」 速水は一気に言った。勢いにまかせたといった雰囲気だった。 「単独で敵地に降下する。規模はまぁ普通の戦闘と同じくらいかな。味方機はなし、援護もなし、敵を殲滅する」 「…無茶苦茶じゃ、ないですか」 「君はどうする?」 「どうする、って」 現実感のまったくない話だった。 たった一騎で敵勢を相手にする、そういう局面が戦闘においてないわけではない、しかし、そんな状況はすなわち敗北であり、それはできる限り回避するのが普通だ。生き残るために逃げるのが妥当でもある。それが、殲滅するべき作戦だというのか。 「彼は…岩田君は、なんて」 死ねといっているようなものだ。いや、死ねと言われるよりも酷い状況だ。生きろでも死ねでもなく、勝てというのだ。 「やる気だよ、一人で」 遠坂は口を押さえた。 「…無茶です、いくら、岩田君が強くても」 搾り出すように言う。 しかし脳裏には、戦いの時の驚異的な動きがよみがえる。無茶だ、口でつぶやきながら、遠坂は岩田ならやりかねないとも思った。 いや、やって欲しいと思っていたのかもしれない。だって、そうでなくては。 「君はどうする?」 さっきと同じ問いを速水は繰り返した。 遠坂は速水を見る。速水は真っ直ぐにこちらをみていた。しかしその奥は酷く冴えた光を湛えている。どこか青さを感じさせる深い黒。気圧されそうな色。 目の前の男が、どんな答えを欲しているのか。一番最初にどうしてそんな考えにたどり着いてしまったのか、遠坂は胸がぎしりと痛んだ。 考えを振り払うように頭を振り息をつく、だが一瞬薄くなった闇は、すぐにまた靄のように形をとりもどして、それは口をついた。 「僕が、行っても…きっと、足手まといに、なります」 口にした言葉が、脳の奥を痺れさせた。 目の前の男は。自分が戦場にいくべきだと言っているのだと感じた。 パートナーである岩田が行くのだから。 しかし僕は行っても役にたたない。岩田は、強い。自分は?自分はどうだ。 事実岩田に「必要ない」と言われたではないか。 戦場でまだ迷っている自分が。そんなところにいって、どうするというのだ。 しかし速水はきょとんとした目で首をかしげた。 「どうしてそう思うの?」 「僕は強くも無い、いつも迷ってばかりで、きっと、躊躇する。 それに、彼は一人の方がきっと上手くやれるはずです。」 「だから、何?」 「だから…?、だから、必要ないんです」 「…君の考え、僕には、理解できない」 「どうしてです、普通に考えれば…そうでしょう」 「普通?君は…ぁあ、そうか、 君は、普通になりたいんだったね、ああ…そうか、…」 「何ですか」 速水は目を泳がせて、それから大きく息をついた。 「…どういったらわかるだろう? 僕は、守りたいんだ、だから最善の方法を探した。 最善の方法のために僕はそれを行使する、だから、 君は、…君は、君はどうすべきだと、思うんだい?」 「…?」 速水は額に手を当てた。息をつく。そうして、苦痛に耐えるように遠坂を見た。 「君は、岩田君が一人で戦場に立つとき、どうしたいと思う?」 「…僕は?」 僕はいるべきではない。僕がいないほうがいい。そのほうがきっといい結果を導けるだろう。 僕にはなにもできない。僕が何かを変えることなどできない。僕が誰かを救うことなどできるはずもない。 彼を一人で戦場に立たせたくはない、しかし、その隣は僕よりもふさわしいひとがいるのではないのか? …僕は弱く…彼は、強い。 僕はそれを、そう思うことで、そうではないと、思いたかった。 触れなければ、それは確かな現実にはならなかったから。 頭の中を掠めていくそれは、自分が臆病ゆえの幻だろうか。 自分の判断ミスで死ぬ誰か。自分をかばって死ぬ誰か。 自分が殺した誰か。自分が殺せなかった誰か… 何にも触れずに生きていけたら、誰にも責められずにいられるだろう、 誰にも疎まれずに、誰にも憎まれずに、 でももし自分がけが其の時何かできるのだとしたら、自分だけにそれをゆだねられるとしたら、 その舵を取ってもしも成功できたなら。僕は計算高く…それを受け取るだろうか、 僕はそれでも、誰かに必要とされることを欲しているのだろうか。 遠坂は目を閉じていた、そしてゆっくりと開いた。 わからない。なにも、わからない。どうすれば正しい結果が手に入るのか。どうすれば、正しかったといってもらえるのか。 それでも、それでも、誰かが、その戦場に立つ時に。 もしも誰かに必要だと言われたのならば。 それが本当に、僕の無力を痛感させる現実であっても、 「…僕に何か、できるんだろうか?」 速水は笑った。 「したいと思い、するのなら、それが正しいと思うよ」 「僕は君を利用して、岩田君を生かそうと思っているんだから」 「僕で役に立つのでしょうか?」 「そうじゃなかったら君には頼まないよ」 「…よく、わかりませんけど、僕は、わかりませんけれど、 …でも貴方に礼をいわねばならないと、思います」 遠坂は唇をゆがめるように、微かに笑った。 本当に馬鹿だと速水は思った。 だからなのだと、思った。 |
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